月と見るのは主ばかり 1 僕の上で腰を振っていた男が、硬直した。 やっと終わったか……。 演技で喘ぎ声を出し続けたせいで、喉が少し痛む。 だが歓んでいる振りをしないと、気を失うまで玩具で犯されるのだから 他に選択肢はない。 今の僕にとっては、プライドよりも自分の精神を守る事の方が大事だった。 「……ダーリン?」 終わった後いつも丁寧に身体を拭き、甘い言葉を囁く男は 今日に限って全く動かない。 身体を起こすと重い身体はぐらりと揺れ、ペニスが抜けて、 ベッドから転がり落ちていった。 「……!」 死……んで、いる……? 反射的に心臓マッサージをしようと差し出した手が、止まる。 ……こんな奴、死んだっていい……。 他人を傷つけて平気な人間なんか、この世界に必要ない……。 無意識に考えてから、これが『キラ』の思考だと気づき、 慌てて裸のまま飛び降りて「ダーリン」の胸の上に手を重ねた。 「起きて!ダーリン!……おい、!起きろ!死ぬぞ!」 体重を掛けて何度か心臓マッサージを行ったが、 この牢獄の看守の一人である変態は、目覚めなかった。 「チッ」 もう一人の看守、「サディスト」を呼ばなければならないか……。 どうせならあっちが死んでくれれば良かったのに。 ……いや、今の様子は監視カメラで見られている筈。 すぐ飛んで来ない方が、おかしい。 四年と十ヶ月……もう五年前になるか。 僕はキラ容疑者として、この国に連れてこられた。 目隠しとヘッドフォンを着けられていたのでよく分からないが、 英語圏ではない。 恐らくロシアか、東欧の辺りだろうと思われる。 最初の数週間は色々な人間がキラ容疑者を見物に来たが (僕が鉄格子越しに会った人間より、カメラで僕を見た人間の方が 遙かに多いだろう)やがて静かになった。 そして、いわゆる「普通の事情聴取」が行われていたのも、 この頃までだった。 最初に僕に暴力を振るったのは、「サディスト」とあだ名をつけた男。 僕に、キラであった時の事を思い出せ、何かあるだろう、と言いながら 殴ったり蹴ったりしてきた。 もはや、質問が目的ではなく暴力を楽しんでいる、という事は分かったが どうする事も出来ず。 青痣だらけになったが、外傷は不味いという事になったのか、 以降は、腕を捻ったり無茶な性的嫌がらせをしたり、地味に痛めつけられている。 そんな僕に別の意味で執着したのは「ダーリン」事、さっき死んだ男だった。 僕を抱く回数も、ダントツで多い。 「サディスト」に痛めつけられ、転がされた僕を見つけ、 「可哀想に可哀想に」と言いながら、そのまま犯した。 だがこいつは、ちゃんと僕の話を聞き、優しく接しようとしてくれる。 ……僕が従順な間は。 最初は抵抗したし、この五年の間、何度か待遇の改善を求めてみたが、 その度にバイブを入れられたまま放置されたり、一日中泣きながら犯されたりした。 頭がおかしくなりそうになり、僕はやむを得ず、彼に従った。 「ダーリン」と呼び、彼と彼の身体に溺れている振りしていると機嫌が良く、 僕も楽なのでもうそうしている。 僕の恋人気取りで、「サディスト」や「所長」からも、何くれとなく守ってくれたりもした。 暴力的な男に、心の中で「サディスト」というあだ名を付けた事を後悔したのは、 「所長」と呼ばれる男が僕の尋問をするようになってからだった。 爪の間に針を刺したり、変な液を点眼したり、蚊が沢山入ったコップを耳に当てたり。 地味で、精神的に来る拷問を沢山された。 電気ショックは当たり前、肛門と尿道に電極を挿された時は、殺されると思ったが それは脅しだけだったようだ。 ただこいつは普段はアメリカにいるらしく、滅多に来ないのが救いだった。 その内の一人が死んだ……。 誰も来ないのはおかしいが、一応カメラに向かって呼びかけてみる。 「あのーすみません、誰か、いませんかぁ?」 僕は現在、殆ど気が狂った振りをしている。 従順に尻尾を振りながら、屈辱を受け入れるしか能のない若者を演じる事が 一番身体の負担が少ないと分かったからだ。 「誰か。看守さんの様子がおかしいです」 この五年間で身につけた、ネジが緩んだ舌足らずな口調で続けたが、 全く反応がない。 参った……。 まさかとは思うが、「サディスト」まで死んでいる可能性を考える。 このまま、閉じ込められたまま。 腐っていく「ダーリン」の死体と共に飢え、僕まで死ぬのはごめんだ。 いや「サディスト」の事だから、カメラでその様子を見ながら楽しむかも知れない。 軽く絶望していると、鉄格子の向こうのスチールドアがカリカリと鳴り、 やがて音も無くゆっくりと開いていった。 ……誰だ? 現れたのは、見知った顔でもテロリストでもない、 スーツにフルフェイスのヘルメット、小脇に何か書類を抱えた場違いな男だった。 不慣れに構えた銃だけが、この場に馴染んでいる。 「……」 「……」 男は、ゆっくりと入ってきて鉄格子の鍵を外し、銃を下ろす。 そして。 「あなたが……キラか?」 久しぶりに聞く、日本語。 意外に若い声。 「という事に、なっている」 用心しながら答えると、男は背筋を伸ばしてヘルメットのシールドを上げた。 ちらりと見える顔はやはり若い……とは言っても僕よりは年上のようだが。 丁度Lくらいか。 「あなたを逃がします。その……服を、着て下さい」 「……」 僕がキラだと認識した上で、逃がす? 一体……キラ信者か。まだいたのか。 立ち上がると、「ダーリン」より前に出された物が、どろりと内股を伝う。 僕は小さく舌打ちをした。 「その前にシャワー。浴びても良いだろ?」 「……余裕ですね」 「監視カメラがあるのに誰も来ない。あなたも特に慌てずゆっくり入ってきた。 当分は邪魔が入らないようにしてあるんだろ?」 「……」 数瞬無言だった男は突然、膝を突いて床にひれ伏した。 「?」 「失礼しました!あまりにもお若いので一瞬疑ってしまいました……。 でもその頭脳、その胆力、あなたはやはり、キラ様だ!」 「……」 「神……お目にかかれて、光栄です。この日をどんなに待ちわびた事か……」 「……取り敢えず、どこかから着替えを持ってきてくれるか?」 「はい!仰せのままに」 どうも尋常ではない男だが……演技でないとすれば、キラの狂信者、といった所か。 怪しいが、千載一遇のチャンスだ。 コイツに賭けるしか、僕がここから出る道はないと言って良い。 それにしても、僕がキラだと思っているからこその、この態度……。 取り敢えず、僕がキラじゃない事、キラだとしても記憶を失っている事は、 言わない方が良さそうだ。
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