神話 17 それから僕は、上着を羽織って神門の指定した公園に向かった。 うちからバス一本で行ける、遊歩道のある広くて茂みの多い公園だ。 昼間はあまり人気がないが、夜来てみると……等間隔に並んだベンチの殆どに男女が座り、淫靡な雰囲気を醸し出している。 茂みの中にも、人の気配があった。 きっと彼等は世間の騒ぎも全く知らず、家に戻ってから報道特番でも見て驚くのだろう。 時折、小さな喘ぎ声や何やら湿った物音が聞こえて来る。 神門は恐らく、テープを渡す代わりに僕の身体か、あるいはプラス今後の継続的な関係を要求するのだろう。 その程度の価値はあるテープだ。 木の影の薄暗がりで、僕は財布を取り出す。 掌の中で、仕込んであったデスノートの切れ端とレシートに、神門の名前を、あと一画を残して書き記してペンと一緒に握りしめた。 ……何とか上手く言いくるめてテープだけを手に入れられれば良いが、相手はあの神門だ。 きっと一筋縄では行くまい。 Lの疑いを深めるだけなので出来れば今は殺したくないが、いざとなったら死んで貰うしかない。 指定されたベンチに行くと、そこは一際明るい公園灯の真下で逆に余人の気配が無かった。 神門が背筋を伸ばして両膝の上に拳を置いて座っている。 筒袖の黒い道着に、黒っぽい袴。 弓道着で、テレビ局に行ったのか……。 傍らには、黒いフルフェイスのヘルメットと黒い弓袋、矢筒も置いてあった。 唯一真っ白だったのが、「さくらTV」とロゴの入った手提げ袋だ。 足を止めて遠目に眺め、あのベンチに押し倒される自分を想像する。 袴なんか履いて、どうするつもりなんだろう。 それともあれは、筒の太いズボンではなく、スカートに近い構造なのか? 普段は息一つ乱さない神門が、その時ばかりはきっと息を荒げるだろう。 着物は肌蹴て、襟の間からあの引き締まった胸筋が覗くに違いない。 想像するだけで、勃起しそうだ。 ……え? え? 今僕は、何を。 ……「あなたをセックス依存まっしぐらの軌道に乗せてみました」…… 流河の声が、がんがんと頭の中で響く。 駄目だ……やはり、神門は殺さなければ。 もう一度寝たら、本当にもうお終いだ。 後戻りできない。 流河で……流河だけで、留めておかなければ。 僕は、地面を踏みしめて一歩一歩ベンチに近付いた。 「……神門」 「ああ……」 神門は、ゆっくりと顔を上げた。 「悪い。夜に呼び出して」 「いや……」 そういう問題じゃない……。 神門は、こんな所が少し怖い。 逃げ腰にならないように、しかし近づき過ぎないように。 慎重に距離を測ってベンチの隣に座る。 「その、場所も悪かった。こんな、配慮のない場所にして」 「……」 「昼間は静かで良い場所なんだ」 僕はまだ何も言っていないのに、珍しく神門が言い訳をしている。 だがそれには触れず、 「それか」 それだけ言って視線で紙袋を示すと、神門も「ああ」と短く答えた。 「……どうすれば、それをこちらに渡してくれる」 神門は無言でこちらをじっと見つめた後、俯いて小さく笑った。 「何も」 「え?」 「別に、何も求めていない」 「……でも」 「ただ、夜神に俺に会いに来て欲しかっただけだ。それと、」 「……」 「一言だけ伝えたかった。おまえを泣かせるつもりなんかなかったって事を。 謝る資格も無いから謝りはしないが」 「……」 僕が黙っていると、神門は紙袋を持ち上げて本当に僕に押しつける。 「……本当に?」 「ああ。この場所に来てから、誤解されても仕方が無いと後悔した」 「……」 「でも、言っただろう。もう乱暴な事はしないと」 それだけぶっきらぼうに言うと、神門は立ち上がった。 弓袋と矢筒を肩に担いで、ヘルメットを脇に抱える。 そのいつも通り躊躇いも淀みもない動きに、何故か僕の方が焦ってしまった。 「神門!」 「……何だ」 「何故、ここまでしてくれるんだ?」 おまえは、復讐で僕を抱いたんじゃないのか? それはもしかして恋着などではなく、執着なんじゃないのか? 聞くなら今しかない。 が、その背を前にしてまだ僕は逡巡する。 それでも口にしなくても伝わってしまうかも知れない。 神門になら。 「言っただろう。 おまえが、本当はゴードンというあだ名が好きじゃないと見抜いてくれた時から、おまえは俺の神だよ」 「……それだけの、事で」 「それだけでもない。『ゴードン』が好きじゃなかったのは本当だが」 神門は少し振り向き、印象的な横顔を見せて少し肩を竦めた。 「でも、ずっと呼ばれていて飽きたというのは嘘だった。 中学に入って夜神に……もう一人の『神』に出会う前俺は、」 神門はまた、向こうに向き直る。 「『ゴッド』と呼ばれていた。 我ながら勉強も運動もずば抜けていて欠点のないガキだったからな」 「……」 おまえは……おまえも、かつて「神」だったのか。 「……礼をしないと気になるというのなら、携帯登録で良いよ。 おまえ、俺が電話した時誰だか分からなかっただろ」 それだけ言い残して、神門は去って行った。
|