神話 12 「へぇ、ホテルの一室を使ってるんだ」 「ええ。便利ですし、外国人が事務所を借りるとか結構面倒くさいんですよ」 「それもそうだろうね」 それは豪勢なホテルのスイートで、一室にいくつかのノートPCと外付けのハードディスク、TV、何かの検査機械のような物が所狭しと設置されていた。 そのせいかやけに息苦しい。 これは、いくら金を積まれたか分からないが、ホテル側も驚いただろう。 「他の捜査員の人は?」 「ああそれは、表向きの捜査本部で作業をして貰ってます」 「表向き?」 「はい。私も大概そちらにいるんですが、同じような部屋を別のホテルに作って、そちらを警察用の捜査本部としています。 こちらは、完全にプライベートの捜査本部です」 それって。 捜査本部というか、ただの自分の部屋……じゃないのか? 「じゃあ寝るのにこちらに帰って来てるだけ?」 「そうですね。ただ、あちらのPCの内容は全てこちらに転送されますので、一人でゆっくり考えたい時に使えます」 「へえ」 なかなか贅沢な事をしているな。 やはりこいつが本物のL、か。 PCに触ってみたいが、それはさすがに止められるだろうから手持ち無沙汰に当たりを見回す。 まさか本名を書いてある私物がその辺に転がっているという事はないだろうが。 座れとも言われないので立ち尽くしてしまうが、その方が楽だからでもある。 何故か座ると今以上に息が詰まりそうな気がした。 流河は勝手にソファに座り、僕を見上げる。 そしておもむろに囁いた。 「怖くないですか?」 「え、何が?」 「私と二人きりって」 「問題ない。どんな尋問をされても困らないよ。僕はキラじゃないから」 にっこり笑って答えると、流河も口の両端を吊り上げた。 空調が壊れているのか。高級ホテルなのに。 熱くも寒くもないのに、やけに肌が湿る……加湿器、か? 「そういう意味ではなく。今まで、密室で二人きりになった事、ありませんよね?」 「……どう、言う、」 「私だけではなく、男性と二人きりになった事、ないんじゃないんですか? ……神門くん以来」 「!」 立ち眩みが。 そうだ……僕は……。 確かにあれ以来、男と二人きりになった事はない。 しかし苦手だとか嫌だとか、そんな事を意識する以前に、そんな機会も殆ど無かった。 乗りたかったエレベータに、男性が一人で乗っていたら乗るのを止めて見送った程度。 ……だが何故、あの時僕は乗らずに見送ったのか……。 その答えが。これか……。 「トラウマというやつですか。日本でも今はPTSDの方が一般的ですか?」 「僕は……」 「心療医に診て貰った事あります?全部話して、今は治癒出来るようですよ」 「……違う」 冗談じゃない。 あんな事を、見ず知らずの他人に話すなんて。 「違うんですか?」 「違う!僕は、そんな弱い人間じゃない」 「神門くんを見て震えていたのに?」 「見間違いだ。今日だって、普通に神門と話した」 「それがあなたの特殊な所でしょうね。精神力が普通じゃない。 自分に対する加害者とでも表面上は平然と話せるし、人を殺しても平気な顔をしていられる」 「……!」 こいつ……やっぱり僕がキラだという根拠を探したがっている……。 「大学に神門くんが現れた時、本当は殺したかったんでしょう? でも、自分とあまりにも近い人間を殺すのは危険過ぎた。 こんな事なら、囚人の死の前の行動を操ったりしなければ良かった。 そう思ってるんじゃないですか?」 「は?何故?」 「神門くんを心臓麻痺で殺す訳には行かない。 しかし死の前の行動を操れるという事は、適当な遺書を書かせて自殺させる事も出来ると言う事です。 それを私にバラしていなければ、人知れず神門くんを始末出来ましたよね?」 「無茶苦茶言うなよ!僕はキラじゃない。神門を殺したいとも思っていない。 訳の分からない憶測を重ねて人を貶めるな」 「本当に?では神門くんとセックスしたのは、合意の上だったんですか?」 「……っ!」 「無理矢理じゃなかった、だから憎んでもいない、そういう事ですか?」 流河の狙いは何だ……。 僕は本当に、神門を殺したいだなんて思いも寄らなかった。 大学で再会するまでは。 実際、神門との関係を流河に知られてしまった以上、どんな理由であれ殺す事なんか出来ない。 ならば本当の事を言っても差し支えないだろう。 詳らかに話す必要もないが、以前下らない嘘で失敗したからな。 「……ああ。ある意味合意、だった」 「話して下さい」 「カウンセラーの真似事か?」 「そう思って貰っても結構です。トラウマでないのなら話せますよね?」 「まあいいけど。……あの時」 スチールで占められた、埃っぽい狭い書庫で押し倒されて。 「一番に考えたのは、騒げばお互い受験に差し支えるという事だった。 だが神門も、理性が飛んでるみたいだったから」 『今、おまえに抱かれたら、おまえは僕を忘れる事が出来るのか?』 自分の愚かな声が蘇る。 「一度きりなら我慢すると、言ったんだ」 だが、のし掛かってきた筋肉の塊に、熱量に。 僕ともあろう者が……怖じてしまった……。 「夜神くん」 突然手首を掴まれて、びくっと震えてしまう。 いつの間にか目の前にあの真っ黒な瞳があった。 「辛いのなら、もう良いです」 「別に、何でもない」 「あなた震えてます。汗も酷い」 「何でもないと言っているだろう!」 そう言われてみると顔中が痒くなったような気がして、掴まれていない方の手で顔を拭う。 確かに掌にべっとりと水分がついて、自分に対する苛立ちに爆発しそうになった。 「やはり、専門の」 「必要ない!おまえだって僕の精神は強いと言っただろう。 キラだという訳ではないが、神門との事は本当に、今は何でもない」 「……」 底の知れない洞窟のような、真っ暗な目。 こいつも神門と同様に感情が読めない目だが、より不気味な何かが潜んでいそうな気がする。 「……そうですか」 「ああ。だから手を放してくれ」 「男に抱かれた過去が、あなたの中で占める比重は低いと」 「その通りだ。だから、」 流河は突然、どこにそんな力を秘めていたのか怪力で僕の手を引っぱった。 思わず躓きそうになりながら、つい引っぱられる。 リュークは、ニヤニヤ笑いながらそれを見送り、窓から出て行った。 助けろよ! 流河は続き部屋に入り、真ん中の大きなベッドに僕を投げ出した。
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