神話 9 例によって自称Lこと流河旱樹と一緒に(付き纏われて)キャンパスを移動していると、向かいに長身の影が見えた。 まさかと思いながらも、膝が震える。 「?」 「どうしました?夜神くん」 思わず目を疑ったが、影はまっすぐこちらに向かって来る。 憮然としているようにも、どんな表情を浮かべて良いのか分からず戸惑っているようにも見える例の表情。 「……神門」 「あぁ」 殆ど初めて見た私服の、それは神門だった。 「京都じゃ、なかったのか?」 身体にぴったり合った縞のボタンダウンシャツに、ダメージのないジーンズ。 これといった主張はないが、自分のスタイルの長所を心得たファッションが、何となく意外だった。 「いや。実は、理Uに変更した」 「……そんな事、出来るのか」 「ああ。京大は元々親の希望に過ぎないから、両方対策してはいたんだ」 まさか、僕の為という事はないだろうが……。 自分の中では卒業式の日に切ってしまって、二度と会う事はない相手だと思っていたので、どう反応して良いのか分からない。 神門に対して、もう憎しみも恨みも無い。 けれどそれは、僕の人生から消えた人間だという前提があったからだ。 「同じ大学に居るのに、意外と会わないもんだな」 「まあ、キャンパス広いしね……」 神門は僕が無視しなかった事に気を良くしたのか、普通の友人のように話し掛けて来る。 「携帯の番号、変わってないか?」 そう言いながら近付いて来て、ふ、と手を伸ばして僕の首元に近づけた。 さすがに、思わず身を引いてしまう。 「……糸くず。襟の所についてる」 「あ……ありがとう。ごめん」 神門は薄日が差すように、微かに微笑んだ。 「携帯の番号は……変わって、ない」 「俺も」 電話をして良いかどうか聞かれるかと思ったが、神門は唇を引き結んだまま数瞬考えた後、 「……気が向いたら、電話してくれ」 どこか辛そうな表情で真っ直ぐに僕を見つめたまま言った。 ああ。 こいつのこんな控えめな所が、僕は……多分、好きだった。 でも。 書庫での嵐のような、後で思えば夢だったのではないかと思ってしまいそうな、非現実的な出来事がまざまざと脳裏に蘇る。 だが、あの屈辱も身体の奥に今も記憶している痛みも、床の冷たさも。 全て現実だ。 おまえの番号なんか、とうの昔に消したよ。 「夜神くん」 その時、忘れかけていた流河が不意に後ろから声を掛けてきた。 邪魔をされたような、助かったような、何とも言えない気分で振り向く。 「何」 紹介でもして欲しいのか。 キラ容疑者の知り合いは、キラ候補だとでも? 単なる中高の同級生だよ、生徒会も一緒にした、と、当たり障りなく答える心づもりをしたが、流河の口から出たのは、予想だにしない言葉だった。 「うわきは、ゆるしませんよ?」 妙に平坦に言うので、一瞬何を言っているのか分からなかった。 当の流河は、猫背のまま人差し指を咥えてにいっ、と口の両端を上げる。 言葉の意味を把握して尚、意図が分からず思わず神門の方を見ると、神門も目を見開いてこちらを見つめていた。 それから、いつもの朴訥とした表情に戻ってゆっくりと流河に目を向ける。 流河……L。 認めたくはないが、こいつは頭も勘も良い男だ。 神門と僕の僅かな会話、表情の動きから、僕達の関係を悟ってしまったのかも知れない。 いや……悟ったというよりは、可能性の一つとして考えついた程度……。 だとすれば、この台詞はブラフだ。 神門、反応するな……! 流河は目を見開いて神門を観察していたが、神門もその視線に全く怯まず、流河をじっと見返していた。 「行きましょう、夜神くん。三限が始まります」 空気を緊張させたのも流河なら、それを破ったのも彼だ。 僕と神門は仕方なく、曖昧に会釈をしてすれ違う。 振り向くことはなかったが、神門はきっと振り向いて僕達の後ろ姿を見送っているのだろうと思った。 「流河……変な事、言うなよ」 「何がですか?」 「浮気って。誤解を招くだろ」 「どんな誤解ですか?」 「どんなって……」 ゲイだと思われるだろう、と言えば、ゲイでなければ浮かばない発想ですねとか言うのか? そして、思い出したようにわざとらしく神門の事を持ち出すんだろう? 「とにかく、そういう冗談は好きじゃない」 「そうですか。では、ゴウドくんに聞いてみましょうか」 「何を!」 「気付きませんでした?あの人、凄い目で私を見てましたよ?」 「別に。あいつは普段からあんなだから」 「へぇ……あいつ、ですか。スゴく親しいんですね?」 僕は思わず立ち止まり、流河を睨んでしまった。 「変な絡み方するなよ。おまえは、ただキラを追っていればいいんだろ」 「ええ。でも前も言ったように、今現在浮上しているのは夜神くんだけですから」 キラ容疑者として、を省略したのはここがキャンパスである事に配慮してくれたのだろうが大差ない。 「ですから、あなたの事なら何でも知りたいですね。 例えば高校時代の人間関係、恋愛」 「おまえ……」 「教えてくれますか?後ろめたい事がないのなら」 ……下らない所で嘘を吐いても仕方ない。 そんなに小さな人間じゃない。 僕は溜め息を吐いて、流河と肩を並べて歩き始めた。 「……おまえの想像通りだよ。 あいつは、高校時代僕の事が好きだった。恋愛対象として」 「あなたは?」 「僕は、困っていた。同性は愛せない」 「肉体関係は?」 「だから、あいつが一方的に迫ってきてただけで、僕はそういう趣味はないから!」 ああ、下らない嘘を吐いても仕方がないと思ったばかりなのに。 これだけは、意地でもこいつには言いたくないと思ってしまった。 「そうですか。服の上から見た限りですが、あの人の方が力がありそうです。 ストーカー気質もありそうですから、もう押し倒されたかのと思いました」 「……」 その時、何と返せば良かったのか、どんな表情をすれば良かったのか、僕は未だに分からない。 もし本当に神門と関係を持っていなければ……僕は、一体何と言ったのだろう? 流河は僕の顔をしばらく見つめた後、突然興味を失ったように目を逸らしてすたすたと講義室に向かって歩いて行った。
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