神話 4 「夜神先輩、お手伝いしますよー」 「いや、私物の引き取りだけだし。一人でこの生徒会室に名残を惜しむよ」 残念そうな後輩の女の子達を笑顔で返し、生徒会室を見渡した。 教師という監視係の目のない場所で、実質的に初めて人を支配した小さな部屋。 人を、世の中を、動かすという事を教えてくれた初めての場所。 とは言っても感慨という程の物はない。 そんな事より、早く家に帰ってデスノートの裁きを続けなければ。 その時、背後でドアが開いた。 「何か、」 またあの女の子達か?と思って軽く声を尖らせて振り向くと、 「……神門」 「会長」 そこに居たのは神門だった。 「……悪い」 「いや、おまえなら良いんだ」 「……」 「それに、僕はもう会長じゃないよ。普通に夜神と呼んでくれ」 「ああ……」 神門はどこか憂鬱な様子で入室し、後ろ手にドアを閉めた。 「おまえも忘れ物取りに来たのか?」 「……ああ」 「僕もだ。集合写真とか議事録とか余った材料とか、どうでも良い物ばかりだけどね」 書類を纏めていると、神門も側に来て手持ち無沙汰にその辺の書類を拾って束ねる。 「……そう言えば夜神は、文T志望だったよな」 「ああ。神門は?京大医学部だったっけ?」 「そう。理V目指してたけどな……やはり難しい。 夜神なら行けるだろう?理V」 「まあね。でも我ながら医者という柄じゃないし」 そんなどうでも良い話をしながら、神門と話すのもこれが最後かも知れない、と思った。 神門ならきっと、京大に受かるだろう。 関西と関東、離れてしまえばもう互いに密に連絡を取るタイプでもない。 「さすが夜神、余裕だな」 「……どうした?今日は少し棘があるな」 「そんな事はない。ただ……」 「ただ?」 「おまえのそんな所も、好きだと思って」 「……」 不覚にも、思わず止まってしまう。 神門の意図を計りかねて。 ……彼は、男にも女にも、気軽に「好き」だなどと発言するタイプではない。 「……どういう意味か、聞いてもいいか」 「聞かないと分からないか?」 突然の。 ピンチ……なのか? 僕に恋愛感情を持っている……さっきの会話にそれ以外の解釈はないか? 彼は、いつも息苦しくなる程に真っ直ぐで。 他の人間にはない、そんな所も、気に入っていたけれど。 「神門……おまえ、好きな奴が居て、先輩と別れたって言ってたよな」 「ああ」 「……そうか」 「ああ」 そう、なのか……。 いつから? 少なくとも、高校一年の頃から? 突然。 一番分かり合えていると思っていた人間が、一番分からなくなる。 おまえの「好き」は、そんなに重いのか? 中学一年生の時から築き上げてきた、貴重な思い出と天秤に掛けられる程に? 勿論、何かの誤解だという可能性もゼロではない。 だが。 「……ずっとか」 「ああ。ずっと、だ」 「ずっと……」 ……ああ。おまえは。 親友の振りをして、右腕の振りをして。 「僕を、騙していたのか?」 神門は、怒っているのか悲しんでいるのか分からない表情を浮かべた。 「別に……騙していたつもりなんかない。俺は昔から、同性愛を肯定してた」 「でも、おまえ自身がそうだなんて事おくびにも出さずにずっと傍にいただろ? 言えば僕が離れると、分かっていたんじゃないのか?」 「……」 「分かっていたなら、最後まで言わないで欲しかった」 何故か酷く口惜しくて、神門に対して初めて怒りに似た感情が湧いた。 「僕は神門を一番分かり合える友人だと思っていた……。 だから、僕との関係を崩す可能性が高い言動を選べる、という事自体に失望したよ」 「おまえは相変わらず理屈っぽい」 神門は俯いて、苦笑する。 いつか見た顔だ。 このまま行けば、僕が「人の事言えないだろ」と言って神門があっさり認めて。 二人して噴き出して、ある程度関係を修復出来るのではないか……。 そこまで楽観視していたのに、神門は。 不意に面を上げて、真顔で僕の肩を掴んだ。 これまでなら考えられなかった事だが、神門に対して……鳥肌が立つ。 「ごう、」 「おまえは勘違いしている。 俺はおまえとの関係を崩すつもりはないし、むしろ今後も築いていきたいと考えている」 馬鹿力……。 僕もテニスで日本一を取ったくらいだから、腕力に自信はあるのだが。 やはり体格差があり、最近まで運動部で鍛えていた奴には敵わない。 「神門、やめろ!」 「何を?」 「僕に、触るな。……気持ち悪い」 そこまで言えば放してくれるかと思ったが、神門の腕はますます強くなった。 「気持ち、悪い?」 「ああ、そうだ。悪いが僕は、そういうのは、受け入れられない」 「そう言えば俺が傷つくとでも思ったか?」 「……」 神門は、とても僕の事を好いているとは思えない目で、僕を睨み付ける。 前々から古武士のような奴だと思っていたが、今は血に飢えた狂戦士に見えた。 「……傷ついたよ。 でも、これくらいで諦めるくらいなら、最初から言わない」 「どう……言う……」 「絶対に諦められない程、好きだという事だ。 五年以上考え抜いた結果だ」 「……」 「俺は必ず、おまえを振り向かせる」 「……」 神門。 そう言えば昔から、一度こうと決めたら曲げない奴だった。 それでも。 「無理だ」 おまえの目の前に居るのは、未来の神だぞ。 おまえの小さな決断など比するに値しない、恐らく人類史上で一番大きな決断を、僕はしたばかりだ。 僕の目の色を見て、神門は初めて戸惑ったように手の力を緩めた。 喉の奥が絡むが、辛うじて声を絞り出す。 「……ごめん」 こんな時は出来るだけ言葉少なに済ませるに限る。 僕はそれだけ言って神門の手を振り払い、急いで荷物をまとめて生徒会室を後にした。 中高を共に過ごした盟友と言える男との決別がこれかと思うとあっけないが。 そんな事に感傷を覚えている暇など、僕には無かった。
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