神話 1
神話 1








神門と初めて会ったのは、中学校の入学式だった。
同じクラスで、僕より背の高い三人の内の一人。
その程度の認識しかなかった。

クラスメイトの名前自体は、初日の自己紹介で全部覚えられる。
だが、こちらは悪目立ちしない為にも、全員と繋がりを持っておこうと思って、それぞれと小さな会話を交わすよう心掛けていた。
彼はそんな中、最後の方に喋った男だ。


最初の会話も、何故かよく覚えている。
掃除の時間、一人で箒でゴミを集めている彼の所へ、僕がちりとりを持って行った時の事だ。


「取るよ、ゴミ」

「……ああ。サンキュ」


ぶっきらぼうな奴だと思った。


「神門、だよな?珍しい名字だな」

「……うん」

「あ、ごめん。名字に『神』が入るの自体が珍しいから。
 それが同じクラスに二人揃ったのが面白いな、と思って」

「……もしかして、おまえが夜神か」

「え!知らなかったのか?」


もう四月も半ばを過ぎていた。
加えて我ながら目立つ方だと思っていた。

そうか、他人が眼中にない人間には、僕だって全然目に入らないんだな、
そんな事を特に口惜しくもなく思った覚えがある。

とにかく、神門と言葉を交わしたのはそれが初めてだった。
神門は自分は暗いと言っていたが、真面目な人柄で新顔だらけのクラスに少しづつ馴染んで行った。
「ごうど」という名前と、縁の下の力持ちな印象から、すぐに「ゴードン」というあだ名を付けられていた。



しかし、その時は特に親しくはならなかった。
僕に近付いて来る人間は後を絶たなかったからだ。
何もしなくとも、勝手に友だちだのガールフレンドだのが増え、テニス部も忙しくなる。
なので神門とは特に関わり合いが無い内に、夏休みが終わった。

次に話したのは、二学期の始め。
休み時間に珍しく一人で図書室で本を読んでいると、目の前の椅子に誰かが座ったのだ。
目を上げると、久しぶりの神門だった。


……何?……


という意味を込めて少し見ていたが、神門は口を開かない。

彼は、基本的に自分から人に話し掛けるタイプではなかった。
だが「寄らば大樹の陰」ではないが、長身の彼の周囲にはいつの間にか人が集まっている。
つまり僕と同じく、来る物拒まず去る者追わずで関係を形成しているので、本来は彼と僕が交わる事は殆どない。
だからこうして近付いて来たのがただただ意外だった。


「……夜神ってさ……」


やがて、低い声で、困ったように。
だが、俯いたりせずにまっすぐ僕の目を見ていた。


「うん」

「夜神って……入試、一位だったんだってな」

「うん。新入生挨拶しただろ?」

「そう、だったっけ」


神門は、初めて目を逸らした。
それでも、気不味そうでもなく、ただぼんやりと窓の外を見下ろしている。
特に美男な印象はないが、横を向くと鼻筋が真っ直ぐで尖っていて、中々美しいラインだと思った。


「そうか……一位が、新入生挨拶するものなんだな……」

「知らなかったのか?」

「ああ」

「嘘吐け」

「……」


遠目に見るだけだが、神門は馬鹿なタイプではない。
口数は少なくとも、知識を吸収する意欲もそれを応用する頭脳もあった。


「知ってただろ?どうしてそんな嘘を?」

「うーん……」


神門は珍しく困ったように目を細め、鼻先を指でつまむような仕草をした。


「夜神と、ちょっとしゃべりたかった、から」

「神門」


僕は本を閉じて、溜め息を吐く。


「あのね。雑談がしたいならしたいって言ったらいいじゃないか。
 僕の前で馬鹿の振りはしなくて良い」

「……」

「ゴードンって呼ばれるのも、嫌なら嫌って言った方がいいぞ?」


神門の頬がぴくりと動いて、切れ長の目だけでじろりと僕を見る。
彼はその頃には、隣のクラスの女子や教師にまで、ゴードンと呼ばれていた。


「……おまえだけが神門って呼んでくれると思ってたけど……
 気付いてたのか」

「何となくね」

「……幼稚園の頃から呼ばれ続けて飽きてるんだ」

「じゃあそれを言えば良いじゃ無いか」

「いい」

「良くないだろ」

「いや。夜神が分かってくれてるだけで、気にならなくなった」

「そんなものか」

「そんなものだよ」


……恋の始まりなんて。
後に、彼は言った。




神門とは、相変わらずクラスでは話さなかったが、時折図書館で会うようになった。
僕が昼休みに図書館に行けば神門が後から追って来たし、その逆もある。
この僕がそうしたくなる程、彼は話していて楽しい奴だった。

神門は弓道部で、一年生ながらに筋が良くて大会に出るように先生に言われたと言っていた。
何かの機会に弓を引く姿を見たが、確かに様になっていると思ったものだ。

あのシャープな横顔を見せてゆっくりと的を見、正面に顔を戻して矢をつがえ、もう一度的を見つめる。
それからは瞬きすらせず、一瞬も目を逸らさぬままにゆっくりと、しかし一定の速さで流れるように弓を引いた。
他の一年生のようにパワー不足でぶるぶると震える事もなく、弓を引き絞ったまま呆れるほど長々と静止する。

やがて、放った矢が見事に真ん中の黒丸を射貫いた時、思わず大きく息を吐いて自分まで息を止めていた事に気付いた。

そんな、弓矢と的の事しか頭になさそうな寡黙な印象だった彼だが、二人になると、非ユークリッド幾何学や量子力学についてよく話した。
それも、ませた子供が粋がって覚えたての知識を披露するのではなく、本当に理解している。
そしてそれを面白いと思っている。

その頃、僕もネット上で正体を隠して学者相手に論戦を繰り広げていた。
しかし、リアルで語り合える相手などいなかった。
彼以外。


「クォークが三つしかない、というのはどう考えてもおかしいだろ」

「だから、俺もカビボは古いと思うよ。五つまでは発見されてるんじゃなかったっけ?」

「いや、確か日本人が三世代混合の理論を出してたと思うんだけど」

「マジで?帰ったら調べよう。本当に証明出来てたらノーベル賞ものじゃないか?」

「そう言われると自信がなくなるな。
 でも、僕はクォークは……いや、クォーク以外にも、あらゆる物が三の倍数だと考えている」


時に飛躍する僕の理論に、着いて来られるのは彼だけだった。
面倒な解説の手間、丁寧に証明した後ですら理解して貰えない危険性、そんな事を考えると、普段はこんな事を話す気にはならないのだが、彼だけは違う。
そんな心配が一切ない。
これ程話すのが楽しいと思ったのは、生まれて初めてだった。


「あらゆる物、とはまた大きく出たな」

「例えば、『月を見る為に必要な三つの要素』の話があっただろ?」

「ああ、禅に繋がるやつな。
 けど、『象を冷蔵庫に入れる為に必要な三つの条件』みたいに、考えると全部無理矢理『三』という数字に収めているような気がしないか?
 実際、キリンを冷蔵庫に入れる為には四つ条件が必要だし」


学術的な話も、屁理屈も、宗教も、ファンタジーも。その頃の僕達の前では同列だった。
果てしない広がりを見せる美しい世界の前で、僕達は自由だった。



だから神門は、後で思っても得がたい友人だったと思う。
しかし、二年生になってクラスが離れてからは、話す機会も減っていった。
お互い部活も忙しくなり、世界がすれ違って行ったのだろう。

その頃から僕は世の中の美しさよりも矛盾、法の不備の方が目につき始めていた。
時に神門相手に愚痴りたい気持ちになった事もあるが、そんな事をしてもどうにもならない。
何より神門には浮き世離れしたままで居て欲しくもあり、結局僕から話し掛ける事もなく、僕達は中学時代を卒業した。






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