蜘蛛之糸 2
蜘蛛之糸 2








見つかった携帯から父に電話を掛け、無断外泊を詫びる。
勿論父は心配し、怒ってもいるだろうが、先にこうして謝ってしまえば
年頃の娘という訳でもなし、小言を言う事も出来ないだろう。

しかしビルに戻り、着替えて捜査本部に現れた竜崎と僕を見て、
やはり少し苦い顔をした。


「ごめん、父さん。心配しただろう?」

「いや、それはワタリさんから、竜崎と一緒だから大丈夫だとは聞いていたが。
 携帯の電源が切れていた訳でもなし、どうして自分で連絡一つ入れないんだ?」


僕の携帯には、父から何度も着信が入っていた。
電源を切っておけば、充電が切れていたとでも言い訳できるのだが
そこまでは考えが及んでいなかったのだ。


「マナーモードにしていたら気がつかなくて」

「おまえが?」


苦しい言い訳に、訝しげな顔をしている。
事実、今まで僕は、充電切れやマナーモードで電話を取れなかった事はない。
電車に乗る時や授業前は必ず公共モードにして、電話が出来るようになったら
すぐに折り返していたからだ。


「すみません私が悪いんです」


その時、竜崎が口を挟んだ。
何を言い出すんだと、思わず止めそうになったが。


「月くん、正直に言っていいです。
 私が酔って電話を見せてくれと言って取り上げてしまったんです。
 着信があったら返せと言われていたんですが、私が気づきませんでした」

「そうなのか?」


父に真顔で問われて、思わず頷いてしまった。
そこに、竜崎ならその粗忽さも分かる、そうであってくれ、と書いてあったからだ。


「ついでに、私が酔いつぶれてしまって、月くんがビジネスホテルを取って
 休ませてくれました」

「月、お前も飲んだのか?」

「いや、僕は」

「月くんは烏龍茶を飲んでいました」


言われて父は眉間を広げて、少し肩を落とした。
自慢の息子の完璧さが守られた事に、安堵したのだろう。
この嘘吐きの言う事を、よくも全く疑わないものだ。
人間は、やはり信じたい事を信じるように出来ている。


「夜神くん、私、本気です」

「え?」


何の話だ?
父の前で、何を言い出すつもりだ?


「昨夜言った事。夜神さん、折り入ってお話があるのですが」


それから竜崎と父と僕は個室に行き、ソファに座った。
竜崎は、まさか本当に父に挨拶をするのか?



「竜崎、改まって、何だ?」

「夜神さん。私、キラの捜査を一旦打ち切ろうと思います」

「え?き、急に何故だ?まだ他にノートがある可能性が高いと言っていたじゃないか」

「勿論、ノートによる殺人がまた始まれば一からですが、
 どうも、その可能性は高くないように思えて来たんです。
 となるとどうにも取っ掛かりがなくて、捜査が進められない」

「そうなのか?」

「はい。ですからあと一ヶ月、この捜査本部は維持しますが、
 その間新たな事件が起きなければ……私は捜査から抜けます」

「……」

「勿論、この建物は今まで通り使っていただいて構いません」


父が、戸惑ったようにちらりとこちらを見る。
昨夜、竜崎とこの件についてもっと詳しい話をしたのか?
と聞きたいのだろうが、僕は小さく首を振った。


「あのノートは……どうするんだね」

「処分します」

「!そんな事をしたら、」

「大丈夫です。絶対に誰も死にません」

「そんな事、死んでからでは遅いだろう!」

「私、感情心理学や表情分析も一通り学んだんですけどね」


突然関係ない話を始めた竜崎に、父がまた戸惑いの色を見せる。


「死神も、ああ見えて表情筋の構造は人間と同じようなんです。
 さすが人型ですね」

「すまん。私には何の話か……」

「あのレムという死神に尋問をする内、表紙と裏表紙に書いてある
 デスノートのルールには、嘘があるというのが分かったんです」

「本当かね」

「はい。で、消去法で行きますと、デスノートを燃やしたり破棄すると
 それまで触った者は全員死ぬという、例のルールでしかあり得ないという
 結論に達しました」

「しかし、」

「月くんも同じ結論です」

「本当か、月」


父さん……竜崎を信用できないのも、僕の判断を信じてくれている事も分かる。
でも、いちいちこちらを見ないでくれ……。

今まで、こんな事を思った事はなかった。
父を含め、周囲の人に判断を任されて当たり前だった。
僕は常に、一人完璧だった。

それなのに、こんな風に少し苛々してしまうのは、竜崎と長時間過ごしたからか。
無条件に信用される事など決してなく、相手の言葉の裏の裏まで読む、
そんな駆け引きに慣れてしまったからかも知れない。


「ああ。僕も、あのノートを燃やしても大丈夫だと思う」

「しかし、」

「私、正直、皆さんにあのノートを任せて日本を離れるのは心配です。
 しかし皆さんも、皆さんの本名を知っている私がノートを所持するのは
 気持ちの良いものじゃないでしょう?」

「そんな事はない!我々は、君を心から信用している。
 じゃなければ、こんな捜査などしていられない」


この反駁の仕方は予想外だったのだろう、竜崎が少し体を反らして目を見開いた。


「それは……ありがとうございます。でもいずれにせよ、使う気がないのなら
 あんな物、出来るだけ早く処分するに越したことはないと思うんです」

「まあ、それはそうだな」


感情心理学だの表情分析だの。
そんな胡散臭い言葉を信じて命を預けてしまっていいのか?
と思うが、やはりそこがこの父の偉大で、男らしい所だとも思う。

相手を信じる。
その一点に、命を賭けてしまえる所が。


『それでも、私は今のあなたを信じます。
 あなたが記憶を取り戻しても、私を殺さない方に賭けます』


不意に以前竜崎が言った台詞が蘇る。
違う違う、竜崎の場合は、そう言いながら一ミリも僕を信じてはいなかった。
常に、僕の両手を塞ぐ方法を考えていたじゃないか……。


「それともう一つ」

「何かね」

「息子さんは、学生でありながら本当に優秀な捜査員です」

「いや、まあまだまだ経験不足で、」

「謙遜はいいです。それでですね、是非、息子さんにLの仕事の補佐を
 して頂きたいんです」

「……それは、どういう事だ?」

「Lという機関に、永久就職して欲しいんです」


父は、目を剥いた。
堪らず言葉を挟む。


「竜崎、日本語で永久就職と言うと、普通嫁に行く事を指すんだ」

「そうですか。失礼しました。定年のない、死ぬまでの仕事という意味ですが」

「ああ……いや、そうだろうとは思ったが」

「勿論休みも差し上げますし、長期休暇には帰国して頂いても結構。
 それに私がスカウトするのですから、報酬もそれに見合った物です」


竜崎が、口から出任せに甘い言葉を発する。
これが本当なら、反対する親の方が少ないだろう。
子の活躍と幸せを願う親なら。


「ちょ、ちょっと待ってくれ。話が急すぎて、」

「ですね。一ヶ月ありますからゆっくり考えてください」

「月は……どうなんだ。受けるつもりなのか?」


……勿論、受けなければキラとして処刑されるしかないのだから
受けるしかない。


「うん……僕も、竜崎、いやLの傍で、世界中の事件を解決する事に
 尽力できるなら、日本の警察に入るより、良いんじゃないかと思ってる」

「そうか……」


父は、額に手を当てて考え込んでいた。
その顔を見て、老けたな、と思う。
特にキラ事件以降は、就労時間の長さや心労から、随分と白髪が増え
乾いた皮膚にはいくつも深い皺が刻まれていた。

やがて、その喉から少ししわがれた、絞り出すような言葉が出てくる。


「私は、反対だ」

「夜神さん」

「父さん!」


何を言っているんだ、それでは僕は生きていられないんだ。
勿論いざとなったら父の反対を押し切って行くしかないけれど
出来れば「完璧な息子」のまま、あなたから離れたいんだ……。


「ずっとではない。悪い事は言わない、大学は出ておきなさい」

「夜神さん。私は月くんの履歴なんか見ていませんし、私の所に来れば
 学歴なんか関係ありません」

「だが、次に就職する事があった場合、最終学歴が卒業と中退では
 だいぶ違うだろう?」

「私が永久に雇います。次の就職なんかありません」

「分からないじゃないか。竜崎だって不死じゃない。
 大学を辞めた途端、事故か何かであなたがリタイアしてしまったら
 どう責任を取ってくれる?」


父さんの言う事も尤もだ。
だって、間違いなく遠からず竜崎は死ぬのだから。
思わず笑いを堪えてしまったが、竜崎も何故か、口の端で笑ったように見えた。


「……私が死んだとしても、機関としての『L』は存在し続けますから
 その中で働いて貰えます」

「分からないじゃないか。あなたが月を気に入ってくれても、次のボスは
 どうか分からない。
 それどころか、竜崎と月だって、いつ喧嘩別れをするか分からないだろう。
 実際君達は、常に仲が良かった訳じゃない」

「……」


父の立場に立てば、その気持ちは痛いほどに分かる。
父も、若い頃は上司と合わなくて苦労をした事があるのかも知れない。
僕達家族には、そんな事はおくびにも出さなかったが。


「なあ月。父さんは、何も頭ごなしに反対しているんじゃない。
 将来はLの元で働くのも良いだろう。その頃にまだ応募させてくれるなら。
 だが、大学は出ておきなさい」


仕方ない、ここは置手紙でも残して後味悪く行くしかないか、
と横目で竜崎を見たが。


「……分かりました」

「竜崎?」

「そういう事でしたら、大学を卒業して下さい」


……え?
僕を、拘束するんじゃないのか?


「私もしばらくここを拠点にします。キラ捜査はしませんが。
 月くんは、ここに住み込んで私の手伝いをしながら大学に通ってください」

「え……本当に、それでいいのか?」

「仕方ありません。私はそれ程、月くんが欲しいんですから」


ベッドの上で何度も、嘘と真の間をたゆたいながら聞いた言葉。
思わず耳が熱くなったが、父は立ち上がって竜崎の手を取り、
いやありがとう、ありがたい、と感謝していた。






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