掌中の王 1 その日私は、オリンピック会場で起こった不可解な事件を調べるために モニタルームで二十の防犯カメラの映像を観ていた。 リドナーの、 「Lが帰って来ました」 の言葉にも、軽く頷いただけで目は離さない。 心拍数が上がった自覚はあったが、モニタチェックに差し支えない程度だと 自己判断した。 やがて、半自動ドアが開いた音がして。 「帰りました」 背後の声に、出来るだけ慌てないように両手でリモコンを操作していく。 全ての画面を一時停止にして振り向くと、そこにはポケットに手を入れ 背を丸めたLが立っていた。 たった三日会わなかっただけなのに、相変わらずだ、などという 感想が湧く。 だが無精ひげと全体に薄汚れた様子は珍しい。 洋館の塔とやらの中では身繕いはしなかったのか。 そして、その一歩後ろにはジェバンニ。 こちらはいつも通りきっちりとタイを締めているが、疲労の色は隠せない。 今朝Lと夜神と合流した直後から丸一日、一人で 運転して帰ってきたという話なので、仕方ないのかも知れない。 それだけだった。そこに居たのは。 ……夜神は? 夜神が、いない。 彼がどうしたのか尋ねたくなったが、尋いたら負けな気がした。 どこかで嫌な報告を聞きたくなかったのかも知れない。 勿論、嫌というのは夜神の死ではなく、Lが私との約束を 反故にしたという事実だ。 「……お疲れ様でした」 それ以降私が何も言わなかったので、沈黙に耐えかねたのか ジェバンニがLに向かって口を開く。 「L。あの、あれは……どうしましょう?」 「そうですね。適当に、火葬にして下さい」 「分かりました。火葬場を手配するのにLの名を使って良いですか?」 「いえ。そこはキャッシュで解決して下さい。任せます。 ああ、骨は一応私の方へ」 夜神の……死体? を、持って帰ってきた? 顔から、血の気が引くのを感じる。 だが暗い部屋だ、Lにも悟られはしないだろう。 「L……あなた」 「何でしょう?」 夜神を、しばらく借りると言ったじゃないですか。 本当に処刑すると思っていなかったのに、殺したのですか? 私に無断で? 口を開いて本当に言いかけた時、またドアがスライドした。 現れたのはLと同じくらいの細身、Lより背筋の伸びたシルエット。 ……夜神……。 一瞬思考が止まりかけたが、奥歯と眉間に力を入れて回転を回復する。 幾分窶れたようではあるが、Lと違っていつも通りのさっぱりした姿。 夜神は、生きている。 一人だけ遅れて、清潔な姿という事は……先にシャワーを使ったのか。 相変わらず身勝手な男だ……。 などと考えていると、心が落ち着いて来た。 「……帰りましたか」 そう言うと、夜神は女性受けしそうな笑顔で 「お陰様で」 と答えた。 「と言う事は、誰の死体を火葬するのですか?」 「キルシュ・ワイミーです。元はと言えば夜神が殺したのですから 私と夜神で遺体を回収に行きました」 ああ、そう言えば、以前ワイミー氏の死体を気に掛けるような事を言っていた。 意外だった。 Lがまさか本当に、そんな物に拘っていたなんて。 そこには、ワイミー氏もワイミー氏の魂とやらも居ない。 ただの、乾いた肉と骨なのに。 「ワイミーは公共施設の地下にアジトを作っていたのですよ。 そのまま捨て置いて、将来改装か何かの時に見つかったら 大騒ぎになるでしょう」 「なら地元の、金で動く者に適当に処分させるか コンクリートでも流し込んで埋めてしまえば良かったのでは?」 「まあ、アジトの方はそうしますが……」 Lは珍しく困ったような顔をして、夜神に目を遣った。 「ニア。Lは僕に、そういう事をさせたかったんだよ。 僕に人の死という物を突きつけるために」 「……」 ならばワイミー氏でなくとも良い。 神戸くんだりまで行かなくても、特殊清掃の会社でも作って、 近郊で夜神を働かせれば良いだけの事。 「L。らしくないです」 「そうですか?」 「死体は抜け殻に過ぎない、感情を注ぐ価値はない。 他ならぬワイミー氏にそうたたき込まれたのではありませんか?」 「ワタリはそんな言い方してませんよ」 信じられない。 あのLが、モノに感情を持ったり、特別扱いしたりするなんて。 そんな非合理的な考え方、Lじゃない。 「おまえも大事な者を亡くしてみれば、分かるよ」 夜神が頭の悪そうな取りなしをするのが また苛立ちを増長した。 自分で殺しておいて何を言っているんだ! 「そういう、経験を振りかざして論理を退けるような真似はしないで下さい。 それとも、そうでなければ私に勝てませんか? あなたが明らかに私に勝っているのは社会経験だけですからね」 「……」 「それに、私だって一緒にワイミーズハウスで育ったメロやマットを 亡くしています。悲しいです。残念です。 でも彼らの死体には、何の執着もありません」 視線を感じてLの方に顔を向けると彼は、無表情ではないが 何とも感情の読み取れない、不思議な目で私をじっと見ていた。 そして。 「ニア、あなたは正しい」 一言で話を終わらせた。 ……そんな事をされたら、私の饒舌がバカみたいじゃないか。 と言いたかったが、これ以上子どもっぽい真似も出来ないので諦めた。 それからLはモニタに目をやって親指を囓りながら何か考えていたようだったが、 やおら私に向き直った。 「それでは、夜神を返します」 私を横目で見ながら言って、夜神の前で長い舌を出す。 「……下らない手品を、するな」 言いながら夜神は手を持ち上げ、その舌の上から汚そうに小さな鍵を摘み上げた。 夜神の手首のリングまで、銀色の唾液が糸を引く。 Lも鍵を受け取って、自分の手錠を外した。 それから、夜神の背に手を当て、私の前に押し出す。 思わずたじろぐと、Lは少し頭を傾けて私を見下ろした。 「どうしました?」 「いえ……私はてっきり、あなたが夜神を自分の物にする為に 連れ出したのだと思っていました」 そう。 夜神を私から引き離し、長時間過ごす実績を作る事で なし崩し的に自分の側に夜神を置くつもりなのだと。 そう思っていたのに。 「あなたの許可無くそんな事しませんよ」 事も無げに否定する。 そのやり取りに夜神だけが不快そうに眉を寄せたが 結局何も言わず、一同は解散した。
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