八角の棺 8 最上階では、六つの面に窓があった。 残りの二面は暖炉と階段室になる。 「こちらから見える山もきれいですよ」 「そうだな」 反対側の窓からは、これも朝日に照らされピンクオレンジに輝く山が見える。 濃い青緑の影とのコントラストが美しい。 Lがゆっくりとそれぞれの窓の外を眺めながら、近づいて来た。 二人で並んで、一番海が良く見える窓に貼り付く。 「……この建物は本当は、移情閣と言います。情を移す、と書きます」 「へえ」 「何となく、ワタリがここを選んだのは……偶然じゃない気もするんです」 「見た目の好みだけじゃなく、名前も関係しているという意味?」 「そうです」 Lはそれだけ言って、また黙り込んだ。 僕も特に話の続きを促すつもりはない。 「……情を移したのは、誰でしょう」 「ワタリさんが、おまえに情を移したんじゃないのか?」 「そうでしょうか」 Lは少し首を傾げて 「私に、誰かに情を移して欲しかったのかも、知れません」 気のせいか少し沈んだ声で言う。 ワタリは、自分に依存しすぎているLを案じていたのか。 確かに、それもありそうだ。 「その様子だと、情を移せなかったようだな」 「……」 隣で、少し顔を俯けた気配がして沈黙が落ちた。 何となく、僕が話を続けなければならないような気がして話を変える。 「でも八角堂とも言うんだろ? 八角形で、八角堂、単純だな」 「地元の人は六角堂とも呼ぶそうですが」 「どうやったら六角形に見えるんだろう?」 「下から見てたら全部の辺は見えないし、分からないのでは?」 「上から見なくても、一辺の長さと角度を考えたら、 正六角形ではあり得ないという事が分かりそうなものだけど」 いつもの調子でどうでも良い事を話していると、空気が戻った気がしたが。 「本当は、それぞれの窓から違う景色が見え、目を移す度に 違う情緒を楽しめるので移情閣と言うそうです」 Lはすぐに話を戻した。 「そうか……まるで僕たちのようだ」 「?」 「六角形じゃないけど、六つの窓で六道の辻を思い出した」 「はぁ」 「僕は常に辻に立っていて、それぞれの先には違う景色が見える。 どの道を行くのか、自分では選べないと思っていたんだけど」 「選ぶのは、常にあなたです」 「うん」 そうだな……。 自分の先に死しかないと思っていた時でさえ、 今思えば、残りをどう生きるかは僕の選択に掛かっていた。 「そして、現在の所、どの道もそれぞれに美しく輝いている」 「うん……」 取り敢えず、しばらくは死なずに済む事が分かったからな。 ずっと死ぬと思っていたお陰で、今世界はとても美しく見える。 どの窓から見える未来も。 未来だというだけで、美しい。 本当に僕を殺す時には、是非最期まで言わないで欲しいものだ。 「美しいです」 「何が?」 「死ぬかも知れないと思っていたから、景色が全て美しく見えます」 同時に同じ事を考えていたシンクロニシティも面白かったが それよりもその内容に驚愕した。 「死ぬって、おまえも?」 「はい。私は、あなたがワタリを片付けなかったり 私を殺す可能性も五十パーセントは有ると思っていました」 「……」 「私を殺さずとも、片付けないのなら、あそこから出るつもりも 出すつもりもありませんでした」 Lは……半分くらいは、あの場所で死ぬつもりだったのか。 僕と一緒に。 「それってやっぱり、僕も処刑された可能性があったって事じゃないか」 「ですから、それを選ぶのはあなたですから」 うーん、揶揄われているような気もするが。 この数日のLの様子を思い出すと、ワタリの死体を見た時の自分の反応を ある程度予想し、死を覚悟していたのかも知れないとも思う。 「どうしますか?」 「何が?」 「どの窓を、選びますか?どの道を行きますか?」 急な質問にLを振り向くと、窓から入り込んだ冬の日差しが、 その血の気の薄い肌を輝かせていた。 黒いと思っていた髪が、日に透けると意外と明るい色なのだと気づく。 そんな筈はないが、初めて自然光の中でLを見た気がした。 「……おまえと、同じ道を」 「そうですか」 Lは、照れたようでもなくまた真っ直ぐに海を見つめた。 「修羅道かも知れませんよ?」 「これまでと同じだよ」 「……あなたを連れて来たのは、勿論処罰の為ですが、」 丁度そこで船が汽笛を鳴らし、会話を邪魔する程近い音でもなかったが Lは言葉を切った。 「……何となく、あなたなら、私に上手く引導を渡してくれそうな気が したからでもあります」 「何となく?」 「何となく、です」 今まで、Lが何となく、と口にした時は、はっきりした論拠があっても それを説明したくない、説明するのが面倒な時だったと思うが。 今は本当に、「何となく」と思っていそうな気がした。 「……行きますか」 「ああ」 僕たちはそれ以上語らず、階段を下り始めた。
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