八角の棺 2 扉が開いていくと同時に、微かに黴臭いような、山の中のような、 何とも言えない臭いの空気が流れ出してくる。 今までに無い、有機的な臭いだ。 「これは……」 そこも、寝室と同じくらいの広さの部屋だったが、八角形をしていた。 入り口以外の七面の壁際はコンピュータと夥しい数のモニタで占められている。 一部屋で、小規模な捜査本部のようだ。 「上の、八角堂の真下……なんですね」 ああ、あの八角形の塔は八角堂と言うのか……などと考えながら 視線は部屋の中心に釘づけられたように離せない。 PCデスクの前……部屋の中心に当たる場所には……恐らく、人体。 誰かが向こう向きに倒れている。 その手前には、忘れもしない、捜査本部にあったのと、同じ椅子。 が、ひっくり返っていた。 元々つやつやしていたらしい床は、ほぼ茶色いシミで覆われている。 人体を中心に広がり……乾いて、細かくひび割れ、 それぞれが小さくめくれ上がっていた。 恐らく……いや確実に、この人物は死んでいる。 しかも死後結構な時間が経ち、腐る段階で落ちた体液や脂が…… 広がって、固まっ…… と思った途端、強烈な吐き気に襲われてその場で吐いてしまった。 自分の吐瀉物が、茶色く固まった元体液の上に落ちる。 それを見て、また吐き気がぶり返す。 胃がひっくり返るかと思う程、吐いた。 「想像よりマシでした。 前にこういった死体を見た時には、床一面ハエの死体がびっしりと 積もっていましてね……」 「……うっ、」 「それと、この部屋だけ空調が効いてます。 虫が入れなかったのと、恐らく五年間ずっと換気していたんで 臭いもしないしキレイなんですね」 臭い……してるし、綺麗とはとても思えないけど。 Lは平然と、部屋の中に入り込む。 乾いた体液が、その足の下でぱりぱりと小さな音を立てた。 それにしても、その五年間、って……。 「それ……その人……もしかして」 「はい。ワタリです。あなたが殺した」 僕じゃない、死神だ……と思ったが、自白になるし、 僕がそう導いたのだから何も言わない。 言えない。 五年と少し前。 Lがデスノートを試すと言い、僕がほくそ笑んでいたあの時。 こんな……誰も知らない場所で、一人で死んでいたんだ……。 火口を確保した時に会った、品の良さそうな老人を思い出し、 目の前の遺体と比べて……また吐き気がした。 Lは良く……平然としているな。 探偵だから死体を見慣れていても不思議はないが、 生前はさんざん会い、世話になったんだろうに。 Lは死骸の足下を回り、ポケットに手を突っ込んだままその正面に立った。 「ワタリ……お待たせしました。迎えに来ました」 ん? 今の、声。 震えて、いた? Lの声が? と、思った途端、Lの体が膝から崩れ落ちる。 あ、と思った時には体が動き、Lが体液の海に着く前に、 何とか抱き留めた。 「L?竜崎!」 肩を抱きながら揺すったが、その瞼は閉じられたまま開かない。 この状況、前にも一度体験している。 まさか、死…… 取り敢えずLの体を引きずりながら部屋から出て、扉を閉める。 体液のかけらが付いた靴を脱がせてベッドに横たわらせると やっと一息ついた。 「竜崎!竜」 そこで気づいて胸に耳を当てると、心臓は早いが脈打っている。 何だ……気を失っているだけか。 水を汲もうと部屋の隅の洗面台に向かおうとすると、 鎖に手を引かれた。 ああそうか、 ……これは、チャンスか。 Lは気を失っている。 ジェバンニの監視の目は無い。 僕は目立たない一般的な服装をしている。 僕は、降って沸いた僥倖に勇み打ち震えながら、 Lのポケットを探って銃を取り出した。 初任幹部教養の時に一通り習った銃の扱いを思い出しながら 安全装置を外す。 そして、引いた鎖の出来るだけ自分の手錠に近い場所を狙った。 パン! 生まれて初めて銃を撃ったが、思ったほどの衝撃はなかった。 狙いが少し逸れたのか鎖は切れなかったが、輪が一つ潰れたので そこから鎖を外す。 それから……一瞬Lに銃を向けたが、後で良いかと思い直し、 ポケットに銃を突っ込んで自由への扉に向かって駆けた。
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