狂気の男 1 『ニア。私の部屋に来て下さい』 モニタの中の夜神を見ていると、Lの病室から連絡が入った。 その声の調子は……。 単に私が盗み聞きめいた事をしていた事や、 Lを助けなかった事を咎めるだけとは思えない、 どこか剣呑な響きを帯びていた。 「私はモニタルームから動けません」 『ではこちらから行きましょう』 マイクのスイッチに触れた指先が、すっと冷える。 私はLとの通信を切るとすぐにレスターとリドナーに連絡して、 いつでも移動できる程度に荷物をまとめておくよう伝えた。 ジェバンニにも、こっそり元日本捜査本部であるビルに手を入れるよう 連絡する。 出来ればここを離れずに済めば良いが。 念には念を、だ。 相変わらず背を丸めて、Lは部屋に入って来た。 以前はキスをされたので……無意識に体が硬くなる。 「何でしょう?L」 それでも平静を装って声を掛けると、思いもかけない答えが返ってきた。 「ワタリの遺体はどうなりました?」 急に、何だ。 それでも、Lが夜神の話をしない事に些かほっとしながら、 出来るだけ淡々と答える。 「……ワイミー氏の事でしたら、見つかっていません。 あの人も自分の活動拠点を一定させず、居場所も身内には勿論、 あなたにさえ伝えないようにしていたようですから」 「ですね。しかしPCのデータが全削除されたという事は 間違いなくそういう事でしょう」 それは、ロジャーを含め、ワイミー氏の裏の顔に関わった全ての人間の 一致した見解でもあった。 彼が万が一生存していたとしても、all deleteボタンを押したという事は、 今後知人の前に戻ってくる事は決してないという強い意思表示に他ならない。 だから、ロジャーは中途半端に可能性を残したりせず、 すぐに発明家・キルシュ・ワイミーの死を発表した。 Lも、今更ワイミー氏の生死に拘るという事はない筈だが。 「それが、どうかしましたか?」 ワイミー氏の遺体が、どうしたというのだろう? 一般的には身近な人物が死に、その遺体が見つからないとなったら 何としても見つけたいという心理が働く。 だが、遺体や遺品は、死体・あるいはその品物以上でも以下でもない。 と、私達は教え込まれている。 Lも同様の筈だ。 「L」の扱う事件は多岐に渡り、「呪い」「心霊」といった物に関わる事も少なくない。 無残な死体と二人きりで夜を過ごす羽目になる事もあれば、 「呪いのダイヤモンド」を探さなければならない事もあるからだ。 そんな時、超常現象を少しでも信じていれば、心に隙が出来て 推理の見落としをしてしまうかも知れない。 もっと弱ければ、逆プラシーボ効果であり得ない物を見たり、体を壊したり、 そんな「世界の切り札」にあるまじき醜態を曝してしまう可能性もある。 そんな事は、未熟なメロや私ならまだしも、Lにはあり得なかった。 今、もしワイミー氏の骨を発見できたとしても、他の人間……いや 動物のそれと変わらない、カルシウムの塊に過ぎない。 それは、Lが一番よく分かっている筈なので、 ワイミー氏の遺体の話が彼の口から出てきた事自体が、非常に不可解だった。 「あなたは、ワイミー氏に一体、」 「ニア。デスノートを出しなさい」 「……」 今度は、何だ。 思わず思い切り眉を寄せてしまった。 何だその決め付け。話の流れをぶち切る物言い。 デスノートが、ワイミー氏と関係……ある訳ではないだろうな。 それとも、万分の一の彼の生存の可能性を消すつもりか? 「持っていますね?」 繰り返される、確信的な物言い。 とぼけようという気が失せる。 迷っている間に、どんどん「持っていない」と言う機会が減っていく。 「はい……」 仕方なく答えると、Lは当たり前のように手を出した。 目の前に突き出された、指の長い掌。 つい先程、この手で夜神の肌を押し返していたのだ……。 「デスノートで、何をするのですか?」 少し頭を振って顔を上げると、全く何の感情も見せない目が 私を見下ろしていた。 この、黒い瞳だって。 涙を湛え、流す事があるんだ……。 見つめながら答えを待ったが、今度はいつまでも返事が無い。 無言で見つめ合う事に先に耐えられなくなった私は、 溜め息を吐いて立ち上がり、部屋の隅にあるデスクの引き出しの鍵を開けた。 中から黒い一冊のノートを取り出す。 「やはり、すり替えていたのですね」 「はい……。ジェバンニには二冊コピーして貰いました」 「大したものです」 「魅上に見られない方の『本物』のノートは適当で良かったですし、 ジェバンニは学生時代、一週間で辞書を丸一冊写した事もあるそうです。 余裕でしょう」 そしてLなら、その半分の時間で辞書を丸一冊暗記するだろう。 どちらが「大したもの」か分からない。 Lにノートを渡す瞬間、そう言えばLは私の本名を知っていただろうかと 気になった。 YB倉庫では、夜神の持っていた切れ端も、魅上が書いたノートもすぐに回収した。 夜神に聞いていれば別だが、恐らくそんな機会はなかった筈……。 疑うつもりはないが、やはり少し胸を撫で下ろしながら指を離す。 ノートを受け取ると、Lは緩慢に周囲を睨め回した。 「そのノートに死神は憑いていません。 どういう訳か分かりませんが、魅上のノートには死神は居ないようです」 Lは軽く頷くと、椅子の座面に乗ってしゃがみこみ、無言で ぱらりぱらりとデスノートをめくっていく。 やがて、新しい頁まで来たのだろう。 つと顔を上げた。 「ペンを借ります」 「何をするのですか?」 思わず声が大きくなったが、Lは答えずニッと笑っただけだった。 本当にペンを走らせるのに、Lの背後に回って覗き込むと そこに書かれていたのは意外な名前だった。
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