荒城の月 7 翌朝目が覚めると、ニアは既にベッドから出ていた。 「……おはよう」 「おはようございます。滅茶苦茶はだけてますね」 顔を下げると、寝間着の帯を残して本体が腹の横まで開き、 下着が丸見えになっている。 思わず襟を搔き合せた。 「キモノって不便ですよね?」 口の端を上げて言うのに、 「そんな事はない。僕が慣れてないだけだ」 襟先を帯の下にたくし込んで前を重ねながら答える。 ちっ。 別に和服が不便でも良いじゃないか。 何をナショナリストじみてるんだ。 「昨日は……」 一言言って区切り、ニアの指がぴくっと動いたのを確認して 心の中でニヤリと笑った。 仕返しに軽く揶揄っただけで、朝の光の中で昨夜の事に言及するつもりは全くない。 「当面の生活用品を調達したのと、このビルのセキュリティコードを 書き換えたんだよな?今日は何をする?」 「……無駄に目聡いですね」 ニアは息を吐いて呆れたように呟いた。 コイツやジェバンニやリドナーが何をしていたか聞いてはいないが そんな物は大体予想がつく。 「今日も引き続き、セキュリティの強化を図ります」 「Lは?」 「……レスターが抑える筈でしたが、昨夜既にまかれたようです。 特殊部隊の指揮官の裏をかくとは」 なるほど。 どうやったのかは分からないが、あいつなら何とかしそうだ。 「腐ってもL、という事だな」 「……」 「いや……日本には、腐っても鯛という諺があって」 「知ってます」 ああ……そう。 時々、コイツと普通に会話するのが面倒くさくなる。 「Lからのコンタクトはないのか?」 「ありません。PCの回線を繋いだ後も侵入された痕跡もありません」 「そうか。不気味だな。金は持ってるのかな?」 「持っていませんが恐らく、どこの国でもコンビニにさえ辿りつければ 芋づる式にパスポートや当面の金が手に入る手配はしてあるでしょう」 「Lはこのビルに来ると思う?」 「はい。レスターは一応尾行に備えてここに近づかないそうですが、 私が日本国内で行ける場所なんて知れていますのできっと想像はつく。 もう傍まで来ているかも」 何だそれは……ゾンビかターミネーターか。 敵がどんどん近づいてくるなんて、いい気分じゃないな。 「Lの来襲に備えて出来るだけの準備はします」 「別に襲撃じゃ……ないだろう?」 「どうでしょう。私のプロファイリングでは、Lはやるとなったら徹底的、 というタイプですが」 「ああ……それは確かに」 ミサや僕の監禁方法からしても常識外れだったしな。 しかし今は、あの時とは状況が違う。……恐らく。 僕がLなら、このビルを攻略するのにどういった手段を採るだろう? 「なあ。おまえ、何故Lから逃げてるんだ?」 「個人的な事情だと言った筈でしょう。二度と訊かないで下さい」 「でもそれが分かれば、僕だって対策を考えるのを手伝い易い。 極端な話、Lに命を狙われているなら今すぐこのビルから出るべきだ」 Lがニアを追うのは、従えたいからだろうが……。 もし飽くまでも従わないとなった時は、どうするつもりだろう? まさか殺しはしないだろうが、将来自分の邪魔をする可能性があるとなれば 容赦しない気もする。 「手伝って頂かなくて結構。それに、」 「僕が抑止力になるから僕が居る限りビルごと爆破される事は ないって言うんだろ?」 「ええ、そうです」 「その条件も聞きたい。何故僕が盾になるのか。 Lが自分の手で僕を始末したいって言うのなら、」 「それは大丈夫です」 思いがけず鋭い声で遮られた。 「Lは、あなたを殺しません」 「何故?キラの処分はニアに任せるとでも契約したか? あいつにはそんな物、まったく効かないぞ?」 「よく喋る男ですね……」 ニアが、心底鬱陶しそうに言う。 「考えたいと言うのなら、与えられた情報の範囲でお願いします。 自分の立場を忘れないように」 「……分かったよ」 死刑囚が贅沢は言えない、か。 しかしLがこのニアや僕を生け捕りにしたいのなら……。 僕なら手っ取り早く、ジェバンニに近づく。 彼が用事で外に出た時、捕獲して脅して一緒にビルに入るだろう。 いや、単純すぎるな。 ニアがカメラでチェックしてジェバンニごと締め出すだろうし。 となると何とかしておびき出すしかないだろうが……。 「ニア」 「今度は何ですか」 「僕の自宅に、警備は付けられないか? 何とかして、母と粧裕を守れないだろうか……」 「Lがあなたの家族を人質に取ってあなたをおびき出すと?」 「その可能性は十分あるだろう?」 「まあ、実際そうされたら、私の手か自分の手を切って 一人でこのビルから脱出して下さい。 あなたの家族がどうなろうと私の関知する所ではありません」 「おい!」 「……Lも当然、このビルでもあなたは監禁されていると考える筈。 そんな無駄な交渉はしないと思います」 なるほど、それも理屈か。 ニアが本当に僕の家族がどうなっても良いと思っているかどうかはともかくとして 取り敢えず納得するしかない。 「では具体的に思い付くのは、月並みだが兵糧攻めくらいだな」 「はい。そう考えて昨日は一日準備して、 何とか半年は篭城できるだけの食料を貯めこみました」 「凄いね……」 「あなたが初期に死んでくれて、しかもその肉を何とか食用に 加工できればもっと伸びます」 「……」 冗談だろうが……真顔でさらっと言うのが怖いな。 しかし、Lはきっと半年も待たないだろう。 待つべき時はいつまでも待つが、攻め手があるのなら、 多少無理をしてでも相手の予想よりずっと早く攻め込む。 「僕は、Lが来るとしたら一週間以内だと思う」 「どうやってですか?」 「そもそもこのビルのセキュリティは本当に万全なのか? Lが作ったビルだ、いくらプログラムを書き換えてもLだけは 無条件で通すように仕組まれていても不思議は無い」 「一応、指紋認証も網膜認証もオフにしてありますが、ないと思います。 通すとするなら、ワイミー氏だけでしょう」 「根拠は?」 「……勘です」 「勘、か」 敢えて何も突っ込まなかったが、そこがご不満だったらしい。 ニアは小さく舌打ちをした。 「で。セキュリティが正常に作動するとしたら、どうやって入りますか? あなたなら」 「まあとにかく、正面入口に車で突っ込んで来るとか、 そういう目立つ事はしないと思うよ」 「正面突破は装甲車でも無理です」 「だとしたらやはり兵糧攻めか、まさか警察を使ったりはしないだろうが……」 可能性を消していくのは簡単だが、ならLはどう攻め込んで来るか、 という策は具体的に思いつかない。 ニアは、ふん、と鼻を鳴らすと、PCに向かって各フロアの キーロックをチェックし始めた。
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