荒城の月 3
荒城の月 3








午前中、昼、午後、ジェバンニは外出していたらしく、姿を見なかった。
リドナーは建物内を動き回っているらしく、時折モニタルームに顔を見せる。
ニアはと言えば、メインPCの前から動かないので、僕も移動が出来ない。
ただぼんやりと、ニアや捜査本部内を眺めていた。

しかし、この手錠は否応なしにLとの生活を思い起こさせるな。

ふと気を緩めると、手錠の先に猫背の探偵がいるような錯覚に陥る。
常に甘い匂いが漂っているような気がする。

……あの頃、Lは大半やる気を失っていた。
それでも、常に甘い物と紅茶を口に運び続けていて気持ち悪いくらいだったが
ニアは対照的に、食事の時間も殆ど何も摂取しない。

偶にチョコレートを齧ったり、牛乳を飲んだりする程度で
どうやって生体を維持しているのだろう。
不思議に思うが、Lが決して太らなかった事を考えると、
どちらも人間離れした体質であるのに変わりないのかも知れない。


「ちょっと……まだ体が普通の生活に慣れていないので疲れたんけど」


ニアはPC作業が終わったらしく、地べたに座り込んだままドミノを縦に積んでいる。
本人は時折モニタを見ているが、僕はPCを与えて貰えない。
長時間ただひたすら座らされていると、さすがに腰が痛くなってきた。


「囚人が何を言っているんですか」

「囚人でも体調不良の時はあるだろう。少し横にならせて欲しい」

「良いですよ。そこの床でどうぞ」


おまえじゃあるまいし、床でゴロゴロ出来るか!と思ったが
実際僕の生殺与奪権があるのはニアに違いはないので口にはしない。

まだ直立する背を支える事に慣れていない背筋は軋むが
僕は意地で座り続けた。




それでも一応気を使ったのか、夕食後はすぐに部屋に下がってくれた。
それは……Lと僕が数ヶ月過ごした部屋だった。
ジェバンニが精一杯掃除してくれたのだろう、それなりにきれいになっているし
シーツ等リネンは全て新しい物に取り替えられている。


……Lが本当に死んでいたら、僕はこの部屋の光景に
何か感慨を抱いただろうか。


ふとそんな事を思ったが、自分でもよく分からなかった。
ただメインフロアに入った時程のインパクトはない。

それは寝る為だけの部屋だったから、という事もあるだろうが、
捜査と関係ない場所だからというのが大きいだろう。

僕がこのビルに、感慨のような物を多少なりとも持つ要因は『L』ではない。

当時の……Lや父さん達と共に夢中で事件を追っていた、
あの状況が、少し懐かしいだけなのだろう。

Lがこの世に居なくても、きっと一片の感傷も湧かない。
そんな物に振り回されているようでは、デスノートを使う資格などない。




「寝る前にシャワーを浴びたいから手錠を外して欲しいんだけど」

「Lは、どうしてました?」

「……一緒に浴びてた」

「へえ。随分親密だったんですね」

「あいつは変態だよ」

「私も似たような物です。付き合います」

「……」


久々にこの面倒な、片袖を抜いてから手錠を掛けなおし、
もう片方の袖を脱ぐ、という動作をしなければならないのか。

ニアは、クラシカルな白いブリーフを穿いていた。


「昔から世界中のどこにでも売っていて、これからも売られ続けるスタイルです」


僕の視線を感じたのか、聞いてもいないのに説明する。


「私にとっては、変わらないという事はとても重要な事です。
 パジャマは買い置きする事も作らせる事も出来ますが、ゴムを使った製品は
 置いておく事も少量数発注を掛ける事も難しいので」


言葉数が多いのは、それが一般的でないと自覚しての事だろう。

誰かと手錠で繋がれて生活するというのは、その相手に四六時中観察され、
こちらも観察する、という事だ。
そんな事は通常の人生にはあり得ないので、面白いと言えば面白い。

短い生で二度もそんな目に合うというのは、因果だと自分でも思うが
それは逆に言えばやはり他と違う、選ばれた人間だという証左かも知れない。



Lは、細かったが骨が太く、余分な肉が一切なくて筋や骨格がはっきりと見えていた。
ニアの体は対照的に、太っている訳ではないが全体に皮膚の下にうっすらと脂肪が
乗っていて、女性的な、あるいは幼い子のような滑らかな曲線を見せている。

目の色が寒色なのでそんな事はないだろうが、どこかアルビノじみた
男とも思えない肌の白さを持っていた。


「見ないで下さい。そういう趣味、あるんですか?」


シャワーを頭から浴びて、ぺったりと顔に貼り付いた髪の間から睨むニアには
巻き毛の時にはなかった凄みがある。
そんな事を思うのは、昔祖父が飼っていた長毛種の猫を洗って激怒された時の
原始的な恐怖が蘇るからか、と思うと我ながら少し可笑しくて笑ってしまった。


「悪い。知ってる猫に似てる気がして」

「私はこう見えてもヒトです」

「分かってるよ」


何と言うか……取り付く島がないな。
僕に興味もなく、会話をする気すらないのに、一緒にシャワーを浴びようという
気が知れない。
まあ、それならそれで……。


「ニア、ちょっと背中洗ってくれないか?」

「え?」

「僕はまだ体が捻られないから。
 背中と脚の裏側を洗って欲しい」

「……」

「僕の世話が嫌なら、リドナーと手錠で繋いでくれよ。
 その方がお互い、良いんじゃないか?」


ニアは何故か信じられない、と言った顔をしていたが
やがてのろのろとスポンジを受け取り、しゃがんだ僕の背を擦り始めた。


「もっと強く擦ってくれないかな」

「……」


意地になったようにごしごしと擦るが、端や腋の方まで手が伸びない。
まるで始めてお手伝いする幼児のような気の利かなさだった。


「ありがとう。もう良いよ」

「……明日、柄が長めのボディブラシを用意させます」

「そうしてくれると助かる」

「私が、人の……しかも殺人犯の世話をさせられるとは」

「怪我人と手錠で繋がるっていうのはそういう事だよ」


ニアは何か言いたそうだったが、常に傍にいる僕が不潔になるのも、
手錠を外すのも嫌なのだろう。
結局それからも脚を洗い、寝間着を着るのを手伝ってくれた。






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