荒城の月 2 ヘリの中では音が煩いのと、ぴったりと体を寄せられているので 逆に話す気になれず、何も質問しなかった。 窓の外には重なる山、少し後ろに、かなり敷地の広そうな白い建物群 窓枠に添えた僕の右手には手錠、その鎖は寝間着の両膝の上を通り、 ニアのパジャマの股の間でとぐろを巻き、立てた左膝に乗せられた手の 白い手首に繋がる。 その向こう側のリドナーも真っ直ぐ横顔を見せて口を引き結んでいた。 僕が見ている事に気づいた気配があったが、全くこちらを見ないので 窓の外に目を戻す。 やがて、外の景色はダムを超え、人家がぽつぽつ見え始めて 瞬く間に街中になった。 気付けば、摩天楼が近づいて来ている。 やがて、ヘリはその中の一つ、高層ビルの屋上へと近づいて ゆっくりと着地した。 「ここは……」 エンジンが止まった後もしばらく耳が遠かったが、降りて見渡すと そこは見覚えのある景色だった。 「Lが建てた、ビル……」 屋上には監禁中に二度(一度はヘリコプターに乗る為だ) そして引き払う前に一度来ただけだが、間違えようがない。 僕にとっては印象深い場所だ。 「はい。今は私が相続しました」 「って、Lは死んでないんだから譲渡だろう?」 「そう言うんですか」 わざとだろうか、ニアは冷たい声で答えてエレベーター室のドアに向かった。 リドナーは動力室の鍵を開けて、恐らくブレーカーを弄っている。 「おまえがこのビルを使うって、Lは承知しているのか?」 「いいえ。どちらかと言えば我々はLから逃げている立場です」 「逃げてる?何故だ?」 「個人的な事情です。あなたが知る必要はありません」 「ええと……」 僕とした事が、環境の激変に頭が混乱している。 Lから逃げている?何の為に? 「訊きたい事は沢山あるんだが……Lと決別したというのが本当だとして」 軽く唇を湿らせ、ニアの表情の僅かな変化も見逃さないように その顔を覗き込んだ。 「何故、わざわざ僕を連れて来たんだ?」 「あなたがLの元に戻りたいと言うのなら止めません。 送りますよ」 勿論僕だって出来れば二度とLに会いたくないのだが、 (あんな事をした以上、どんな報復があるか分かった物ではない) 思ったとおり、ニアは答えをはぐらかす。 なるほど、ね。 「僕の考えを言おうか?」 「結構です」 「そう言うなよ。僕を生かしたまま連れて来たと言う事は……、 僕の命が、Lに対して何らかの抑止力を持つんだな?」 「……」 「つまり、おまえは当分は僕を殺せない」 「……」 ニアは無言で不快そうに顔を顰めただけだった。 つまり当たり。 なるほど。 何だかよく分からないが、状況は好転したらしい。 「命拾いしたな」 「してません。いつでもどんなやり方でも処刑できます。 ……が、あなたの推測通り出来れば当分は死なせたくないので、」 ニアは少し言葉を切った後、偽悪的にニヤリと笑った。 「殺したくなるような行動は控えてください」 「心得た」 僕も悪人のように笑って見せると、一瞬共犯者じみた気分になったが ニアは直ぐに表情を消して、ぷい、と横を向いた。 その時エレベーターの扉が、やや軋んだ音を立てながら開いた。 何年も動かさなかった割にはスムーズに、エレベーターはやがて、 懐かしいモニタルームのフロアに到着する。 このビルは所有権が宙に浮いたまま、誰も使っていなかった筈。 一歩中に入り、何気なく壁に触れると……何となくざらりとした。 違和感に少し驚いて、室内を隈なく観察する。 一見きれいなままではあるが、所々埃の糸がぶら下がっていた。 それだけでなく、窓の上の方や天井の隅に蜘蛛が巣を張っている箇所もある。 こんなに何もない高層建築に、どうやって入り込んだのだろう? そしてどうやって生きているのだろう。 普段なら、古い(という程でもないが)建物に入っても何も気にならない。 だが僕は、このビルが出来たての時の、何もかもがピカピカと光って 新しい建材の匂いと新品のPCの匂いに満たされていた時の姿を知っている。 Lとキラ捜査班の期待を一身に背負って建っていたあの頃を。 そして父の席はあそこ、松田さんは、 ……そこまで考えて、自分があの頃の風景をあまりにも鮮明に覚えている事と、 当時とのギャップに少なからずショックを受けている事に、軽く狼狽した。 Lと共にヨツバキラを捜査した……あの頃は、とても遠い。 思い出すな、月。 思い出しても、今の僕には絶対に何のプラスにもならない。 「……業者にクリーニングぐらい頼めば良かったのに」 動揺を抑えて何気なくぽつりと口にすると、 「床は結構頑張ったんですけどね……」 背後からジェバンニに言われて、思わず手を口に当ててしまった。 彼が一人で掃除したのか。 「民間人を入れる訳には行きません。 ジェバンニが昨夜徹夜でやってくれました」 ニアが、相変わらずの無表情で淡々と言う。 「ああ、そう」 デスノートのコピーの時から思っていたが、ニアのこの男に対する扱いは 本当に酷いな。 ジェバンニも結局文句も言わずそれに応えるから余計にだろうが。 「床は綺麗ですよ。ただ、先に軽くでも機械類を乾拭きしておけば」 「ニアからPCには触るなとの指示があったので、はたきを掛けただけでした……」 「私のせいだとでも?」 「間違いなくそうだろ。 ねえジェバンニ。僕はこう見えても掃除の要領が良いんだ。 手錠を外してくれたら、一日で更にきれいに出来るよ」 「ジェバンニを丸め込もうとしないように。 差しさわりが出ない限り、このままで構いません」 ニアがあっさりと宣言する。 手錠を外すつもりは更々ないらしい。 「怪我も治ってないし、この格好だし逃げられる訳ないだろ」 「その服は、逃げにくい服なんですか?」 「おまえのパジャマと同じ位、外は歩けないね」 「私は必要があればこのパジャマで外出しますが……。 リドナー、夜神の着替えは、今着ているのと同じタイプのキモノだけで 良いです。いくつか手配しておいて下さい」 「……」 まったく……! こいつの性格の悪さには、非常に覚えがある。 Lにそっくりだ。 しかし。 本気で逃げるなら、服なんか寝間着でもパジャマでも関係ない。 問題は、どこに逃げるか、だ。 僕の顔と名前がキラとして晒されているかも知れない世間。 家族の元に帰る訳にも行かない。 それに、家族やミサの元にはすぐにニアの、下手したらLの手も回るだろう。 どう考えても、現時点ではニアの傍に留まるしか道はない。 それはニアにも読めているだろうに、手錠で繋がり続けるのは 一体何故だろう。 勝手にPCのプログラムでも弄ると思っている? ビルの中に、僕に見られたくない物がある? いずれにせよ、監禁するか監視すれば良いだけの話……。 やはり動機が分からないというのは気持ちが悪い。 右手の手錠が、だんだん重く感じられてきた。
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