荒城の月 1
荒城の月 1








朝食前には普通だったと思う。

リドナーはいつも通り淡々と食事を置き、食器は後から取りに来ると言って
去っていった。
異変が起こったのは、ほぼ朝食を食べ終わった辺り。
ニアとリドナーがばたばたと入って来たのだ。

リドナーはともかく、ニアまで足を縺れさせながら早足に入って来たのには
驚いた。


「夜神月。移動します」

「え?今?」

「大人しくしてください」


ニアが言うと、リドナーが前に出てきて僕の右手首に金属のリングを付ける。


「いきなりだな……」


それは五年前Lと繋がれていた当時使っていたものと同じ、
特製の鎖の長い手錠だった。
訝しく思っているとリドナーはもう片端をニアに渡し、
ニアは一瞬躊躇うようにリングを持ち直した後、がちゃり、と自らの左手首に掛ける。


「何……」

「急ぎますので遅れないで着いて来て下さい」


ニアは、くるりと踵を返すとドアに向かった。
僕は鎖がテーブルに引っかからないように慌てて立ち上がり、
辛うじてスリッパを引っ掛けてニアに続く。

朝食のトレイの、フォークを中途半端な位置に置いたままになったのが
妙に心残りだった。


「何、何が起こったんだ?Lは?」

「……Lとは、決別しました。これからは私の独断であなたを監禁します」

「は?決別ってどうして?何が、」

「黙れ」


そう言われても黙っていられる筈がない。
ニアを追い越して前を早足で歩いていくリドナーの横に並ぶ。


「ハルは聞いてる?何が起こったんだ?」

「……」


リドナーは硬い表情で前を向いたまま答えなかったが、
彼女もどこか、腑に落ちないというか、納得行かない顔に見えた。
僕と同じく状況が見えていないのかも知れない。

その時突然鎖が引かれ、振り向くとニアが玩具のロボットを抱えたまま
無表情に転がっていた。


「ニア。やはり靴を履いた方が」

「嫌いだと言っているでしょう」


リドナーはよく見ていなければ気付かない程微かに眉を顰め、
ニアに背を向けてしゃがんだ。


「乗って下さい。走ります」

「……」


ニアは少し驚いたような、泣く寸前のような妙な顔で固まっていたが
やがて不器用にその背に覆いかぶさった。
僕まで何となく気まずくなってリドナーの顔を覗き込む。


「すまない。怪我がなければ僕が背負うんだけど」

「大丈夫です。体力には自信があります」


リドナーは口を引き結んで前を向くと、確かに人一人背負った女性とは
思えない早足で進み始めた。
彼女と鎖で繋がった僕も、(正確には彼女の背の荷物と、だが)
久しぶりのスピードで歩いた。




僕とリドナーとニアは、夜逃げの一家のように白い廊下を進んでいく。
いくつか角を曲がり、階段を下りると前方にパイロンが見えた。
その向こうの廊下には一般的な病院のように何かの器具や
ソファ等が見える。

どうもパイロンからこちらの方が、隔離された病棟のようだ。
向こうには人の気配もあるようで、あちらはどうも見慣れた「現実」らしい。
あちらから見ればこちらは「非現実」「非日常」なのだろうが、僕は元々
どちらかと言えば「あちら側」の人間だ。

戻れる。
僕の知る、日常へ。
生まれ育った元通りの世界へ。

久々に「社会」に触れる予感に胸が高鳴ったが
リドナーはその直前で、左に分岐した廊下に進み軽く落胆する。

角を曲がるとすぐ前に防火扉が現れ、僕がリドナーに代わって開けた。
その向こうは暗い小部屋で、向かいの壁にも更に物々しい無塗装の
スチールのドアが付いている。

リドナーは躊躇う事なくそのドアに近づき、ニアが背中から手を伸ばして
ハンドルに付いたスリットにカードキーを通した。
横のテンキーに何某かの数字を打ち込むと、重々しい音と共にドアが開く。
途端、予想外の爆風が吹き込んできて思わず膝を突いてしまった。


……バラバラバラバタバタバラバラ……


爆音が耳を打ち、思わず両手で頭を挟み込む。


だが、リドナーは覚悟していたのだろう、よろけもせず地を踏みしめて
目の前に止まった爆風と爆音の源、ヘリコプターへと向かった。


「ライト!」

「分かった」


リドナーの声はやっと聞こえたが、答えた僕の声は恐らく届いていないだろう。
ニアの鎖に引かれるようにして、僕もリドナーに続いた。
目まぐるしく温度の変わる空気、木の匂い、青っぽい草いきれ、
何とも表現できない、屋外の匂い。空気。

情報量が多すぎる……。

以前はどう対応していたのかと思うほど、突然触れた外界は刺激に満ちていた。
と共に、自分がどれ程情報を遮断された、単調な場所にいたのかと思い知った。


「やが……ょろきょろしない……そいで乗……くだ……」


ヘリのスキッドの傍で待つリドナーの背中で、ニアが何か言っている声が
切れ切れに届き、慌ててタラップに足を掛ける。

足を開くと寝間着が捲れ上がり、ボクはマリリンモンローのように前を押さえた。
片手で裾を掴み、片手でグリップを握って腕力で体を持ち上げようとしたが、
数回失敗してやっとよじ登る。

やはり、自分で思う程体力は回復していないか。
おまけに、キャビンに乗り込む時スリッパを落としてしまった。

すぐにニアが押し上げられて来たので片足裸足のまま
シートの奥にずれ、手を差し伸べる。
ニアは僕の掌を見たが掴まりはせず、座面に縋って不器用によじ登ってきた。

何とか乗り込むと、今度は同じシートにリドナーも乗り込んで来る。
窮屈な……。

ゴウ、とドアを閉めたので前を見ると、操縦席にジェバンニがいるだけだった。


「四人?」

「はい」

「本当に、Lは置いて行くのか?」

「今レスターが止めてくれている筈です。ジェバンニ、発って下さい」


ニアにともリドナーにとも付かず訊いたが、ニアが答え、
後半は前の操縦席に向かって叫んでいた。

目まぐるしく慌しく、僕達の飛行は始まった。






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