背水の陣 4
背水の陣 4








歩き回りながら時折さりげなくカメラの死角に入り、腕のリハビリを続けた。

左手は痺れの程度が分かってきたので、かなり自由に動く。
右手も強い刺激を与えなければ、それなりに細かい動きが出来た。
多少痛みを堪えれば、一見怪我などしていないように振舞えそうだ。


だが、リドナーが持ってきた夕食は敢えて不自由そうに食べた。
食器が下がった後、予想通りLが訪れる。

医療用ワゴンを押していて、珍しくガムをくちゃくちゃと噛んでいた。
甘い物を食べているシーンは馴染み深いが、ガムを噛んでいるのを見たのは
意外と始めてかも知れない。

Lは部屋に入ると無言で真っ直ぐ戸棚に行き、ワゴンに乗っていた観葉植物の鉢を
カメラの真ん前に置く。
それから、噛んでいたガムを口から取り出してカメラの横辺りになすりつけた。
恐らく、そこにマイクがあったのだろう。

作業を終えると振り向いて、


「清拭に来ました」


清拭に来ました。じゃないだろう!
カメラを殺したと言う事は、また見られたくない行為をすると言う事。
こんなにあからさまなのは、既にニアもある程度了承済みである事を
意味する。


「そう、ありがとう」

「寝間着、自分で脱げますか?それともお手伝いしましょうか?」


無表情に、完全に介護人の仮面を被っているのが
逆に嫌らしいと思った。


「自分で脱げるよ。それに……今日は、結構歩けたんだ」

「はあ」

「だからそろそろシャワーを浴びさせてくれないか?」

「……」

「髪の毛もきれいに洗いたいし」

「と言っても、洗うのは私ですよね?面倒なんですが」


リドナーやニアの話では、Lはよく僕の世話をしてくれたようだが
僕には知られたくないらしい。
それとも、実際面倒がっているのか。
まあ僕にとってはどちらでも良い事だ。


「この後……僕を抱くんじゃないのか?」

「……ええ。抱きます」

「ならきれいな体の方が良いだろう?
 僕だってどうせ人様とセックスするなら、清潔にしたい」


Lは例の、何を考えているか分からない静かな笑顔を見せる。


「分かりました。
 では、傷口に防水シートを貼りますので一旦座って下さい」




防水のフィルムを張って貰った後、ゆっくりとシャワールームに行き、
寝間着を肩から滑らせる。
熱い湯は本当に有難かった。
何日分か分からない汚れが、一気に洗い流される気がする。

僕は基本じっとしたままで、Lが体も頭も洗ってくれたが
そのLも当然脱いでいた。

注意深く観察したが、やはり腕が細い……以前は細いなりにも
しなやかな筋肉が付いていたが、今は頼りなく思える。

そして、動きもどこか年寄り染みた、緩慢なものだった。
勿論、猫背も足を引きずる歩き方も、一見以前と同じなのだが。
以前は怠惰でそうしていたのに対し、今はどちらかと言うと
止むを得ず、という風に見える。


これなら、勝てる……。

Lが言っていた通り、僕が抵抗すれば手加減せず関節技でも
極めるつもりだろうが、それが可能なのは僕の手が使えない場合だ。

僕を座らせ、シャンプーを丁寧に泡立てているLの、
指の力は女性のそれのように物足りない。

今なら……。


やがて、頭から湯を掛けられた。


「他に、洗って欲しい所はありますか?」

「いや、十分だよ。ありが」


言葉の切れ目を待たず、素早く振り返って
Lの膝を抱えるように掴む。


「とう、竜崎」


だが、僕はLの足ではなく、顔を見ていた。

その瞬間の、Lの表情を見逃したくなかったのだ。

スローモーションのように倒れていくLの、目は限界まで見開き、
小さく口を開いていた。

ははっ。

どんなに頭の性能が良くても、回転が速くても、
咄嗟にする表情は人並みなんだな。

ばたっと派手に倒れたLの、太腿の上にすかさず乗り上げる。


「やが、」

「悪いな、竜崎」

「……私に勝てると思ってるんですか?」

「おまえこそ、僕に勝てると思ってる?何を根拠に?
 何年も寝ていたのなら、体の隅々の筋肉まで衰えている筈だ」

「そういう意味では、」

「昨日は無理して、腰を痛めなかったか?」


Lは僕を睨みつけた後、腹筋だけで起き上がろうとしたので
のしかかって腕ごと押さえつける。

その強気な言葉と相反する状況に、屈辱を感じているのだろう。
少し開いた唇の間から、食いしばった歯が覗いた。


「……そういう意味ではないと、言っているでしょう」

「そう」

「昨夜自分の立場は分かっていると言っていたではありませんか。
 こんな事をして、ただで済むとでも?」

「済まないだろうね。でも、良いんだ」

「……どういう事ですか?」


それはおまえも良く知っているだろう。
僕の余命は少ない。
自棄になっている訳じゃない。
ただ「心残り」を、「遣り残した事」を出来るだけ減らしたいだけだ。


「おまえはよく、一回は一回と言っていたけど。
 僕も、やられた事は必ずやりかえす質なんだ」

「……」

「大人しくしてくれ。知っての通り、怪我をしているからね。
 もし不意打ちで痛い思いをさせられたら、手加減出来なくなる」


Lの言葉をそっくり返しながら顔を近づけ、舌先でその頬を一舐めすると
肌がぴくぴくと震えた。


「夜神くん、止めて下さい」

「止められないよ。男の生理だろ?」

「そうではなくて」


調子に乗ってまた同じ台詞で返すと、Lはぎろりとこちらに顔を向けた。


「バスルームのカメラは生きてますから、部屋の方が良いですよ」

「嘘吐け。僕が調べた限りカメラはなかったし、あったとしたら
 今頃ニアか誰かが飛んで来てるだろう」

「バレましたか。でも、実際ベッドの方が快適だと思いませんか?」

「その手には乗らない」

「本当にもう抵抗しませんから、移動させて下さい」


せっかくのマウントポジションを、譲る訳ないだろう。
……と思ったが、脱ぎ捨てられたLのTシャツを見て考えが変わった。


「いいよ。ただし、手、出して」


Lは僕の意図を察したのか、不快げに眉根を寄せる。
だが結局、大人しく左右の手首を合わせて前に差し出した。
その両拳をTシャツの胴部分で包み、手首を袖部分で縛る。
左手と歯を使ってきつく結ぶと、Lの手は完全に死んだ。

動物のように拘束された事に腹を立てる気持ちと、
状況の珍しさに対する興味が入り混じった顔をして、
Lはてるてる坊主のようになった自分の手を見つめる。


「私、詰みましたね……」

「そうだね」


笑いながらLの上から退き、その腕を引っ張ると、大儀そうに立ち上がった。

そのまま病室に向かったが、Lは無抵抗に着いて来た。






  • 背水の陣 5

  • 戻る
  • SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送