背水の陣 3 「それは、六道の辻だね」 「何ですか?それは」 恐らく聞いた事がないであろう言葉に、あっさり乗って来た。 何でも良いからこちらの話に興味を惹かせ、相手から問わせる事。 そして、これも何でも良いから、取り敢えず頷かせる事が肝要だ。 「キリスト教では転生はないとされているよね?」 「はい」 「仏教の世界では、天国に行く事も地獄に落ちる事も、再び人間に生まれる事も、 全て等しく『転生』と考えられている」 「はい……」 「死後、転生先への六つの道の分かれ道を、六道の辻と言うんだ」 「そうなんですか……。 あ、でも、天国、地獄、人間界だったら三つですよね?」 「ああ。良く気付いたね」 小学生でも気付く事なのだが、軽く驚いたように賞賛すると、 無表情の中に満更でもなさそうな色が滲む。 ちょろいもんだ。 「後の三つも、地獄ではないが遠からずだ。 一つは、餓鬼道。常に空腹に苛まれる。 それから、畜生道、動物に生まれ変わる」 ジェバンニが、ああ、と納得したような顔をした。 「でも、動物に生まれ変わるのは悪くない気がしますね」 「飼い猫のように安泰に暮らせる動物ならね。 でも、動物は仏法を受ける事が出来ないので不幸だという考えらしい」 「なるほど」 「最後に修羅道、争いが絶えない世界だ。 ……僕は、この世界は実は人間界ではなく、修羅界なのかも知れないと 思った事もある」 ジェバンニは深く頷いた所で我に返ったように背筋を伸ばす。 ちっ。 自分が取り込まれ掛けている事に気付いたか。 「いや、これは勉強になりました。 仏教徒の方とこういう話をしたのは初めてです」 「特に仏教徒という訳ではないよ。あらゆる宗教の勉強をした。 テストに出るからね」 リラックスさせる為に、片目を瞑りながら笑って言うと、 ジェバンニも「ああ、」と笑う。 「そう言えば、月くんは勉強も出来たんでしたね」 「うん。ペーパーテストは得意だ」 でしょうね、と笑ったジェバンニの笑顔が、そこで固まった。 表情を変えないように気をつけているようだが、僕から見れば 不自然さが際立つ。 会話が数瞬途切れ、困ったように眉を寄せたジェバンニだったが やがて口を開いた。 「……答案用紙に、常に正しい答えを書き続けたように。 デスノートにも、完璧な答えを書き続けているつもりでしたか?」 「……」 ……ニアだ。いや、Lか。 この口調、この内容、間違いなくニアかLが言わせている事だろう。 迂闊にも、ここで初めて僕は、ジェバンニの耳に小型のイヤホンが 入っている事に気が付く。 Lとニアは僕の尋問をカメラ越しに観察し、ここぞと言う所で ジェバンニを通して自らの質問を挟み込むという手法なのだろう。 僕の最初の答えを笑ったのも、突然話を終わらせたのも、あいつらの仕業か。 くそっ! 「……100%ではないのは認める。僕も人間だから。 でも、そこいらの裁判官と同じかそれ以上には、正しかったと自負するよ」 「月くん……」 『ジェバンニ』 ジェバンニが何か言いかけた所で、スピーカからニアの声が流れた。 『切り上げて下さい』 「はい……」 突然の指示にも素直に立ち上がりかけたジェバンニは、 だが急に振り返って屈み、いきなり僕の手を握る。 「……月くん。私は君の考え方に賛同は出来ないけれど 君の味方でありたい」 強い力で手を握ったまま、これまでにない早口でしゃべりだす。 「君が残り時間を、心安らかに過ごせるよう最大限尽力する。 約束する」 『ジェバンニ』 促すニアの声に、ジェバンニは手を離すと、振り返りながら 部屋を出て行った。 「……ふぅ」 ジェバンニとの会談は、容易いと思っていたが意外にも疲れた。 だが、今後の為に回想して整理する。 威圧的で機械的な導入。 いきなり軟化させた態度、プライベートな話を経ての教誨師としての説得。 それから、親しげな雑談。 友人であるかのような親身な態度。 どこからどこまでかは分からないが、Lやニアの指導だろう。 今の所全てと思っておいた方が良い。 教誨師。 弁護人。 友人。 僕の心を変える可能性のある全ての役割を、背負わされている。 最後、ニアの制止を無視して僕に話し掛けたのも、恐らく打ち合わせ通り。 ……そんな事を考えていると、先程の話題と相まって どうも僕は修羅道にいるらしい、幸福な人間ではない、と思えて来た。 それに、僕が天国と地獄の分かれ道にいるというのが本当なら。 余命が決まっているというのなら……僕がすべき事は……。
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