背水の陣 2 思ったより体の調子が良いので、部屋の中を歩き回ってみる。 脇腹の痛みも引き、動かしてみると左腕の痺れも取れていた。 Lが寝間着を取り出したクローゼットを開けてみると、 未開封のボクサーブリーフがあったので、紙おむつを脱いで 勝手に穿き換える。 ご丁寧にも、僕が死んだ時に穿いていた物とメーカーも色も同じだった。 それから、腕を動かしてみて筋力の衰弱具合を確認する。 腕は、元々体重を支えている訳でもないから 大して衰えていないようだった。 窓は、やはり完全に塞がれていて外を窺える隙間もない。 防音もしてあるのか、風や鳥の声など、何の音もしなかった。 背後で、ドアが滑った音がして振り向く。 そこに居たのは意外な人物……というか、知らない男だった。 いや、待てよ? 「ジェバンニ」 呼び掛けると、男は分かりやすくたじろいだ。 そうだ……YB倉庫に来ていた、SPKの。 『ジェバンニが一晩でやってくれました』 馬鹿馬鹿しい……魅上の几帳面な文字を、一晩で何千字も 手でコピーするなんて狂気の沙汰だ。 だが、こいつはそれをやってのけたし、そのお陰で僕は。 男……ジェバンニはすぐに体勢を立て直し、真っ直ぐに部屋に 入って来る。 腕時計にちらりと目をやると、戸棚の上のカメラに向かって 「2010年2月6日。午前9時13分、キラ事件容疑者夜神月の 取調べを始めます」 と言った。 なるほど、今は二月六日の朝なのか。 公的な記録でもあるまいし、僕に日時を教えるような事をして どうするのかと思ったが、今更知られても何も困らないという所だろう。 「ご挨拶だな」 「あなたは、夜神月に間違いありませんね?」 「……」 「夜神月」 「……」 「夜神月!」 僕が黙ったままで居ると、ジェバンニは早くも感情を乱し始めた。 どうしてこんな奴が取調べをする事になったのだろう。 「何故、答えないのですか?」 「……答えたら、自分の死が近づくのに答えるわけないだろう」 「凶悪犯の九割がする凡庸な答えですね」 「それこそ凡庸な嫌味に、この僕が取り乱すとでも?」 ジェバンニの頬が緩んだので、少し不快になる。 切り返す事自体が動揺を見せる形になってしまったか。 「夜神月さん。あなたは、少し勘違いしている」 わざとらしくゆっくりと言った後、ジェバンニは真顔になった。 「この取調べは、記録には残しますが公的な物ではありません」 「……」 「ニアは、あなたにキラ事件やデスノートについて説明をして欲しいと 思っていますが、しなければそれはそれで良いと考えています」 「……それは、自白をしようがしまいが、僕の処刑時期は 決まっているという意味か?」 「……」 なるほど……。 僕が自白をしない事によって処刑を引き伸ばす事を想定し、 事件の完全解明は捨てたか。 ニアの中では、ナゾ解明よりも僕を処刑する事の方が 大事だというわけだ。 「夜神月さん」 「はい?」 「……私の父は、カトリック教会の神父でした」 ? いきなり何の話だ? 何を仕掛けてくるのかと、心の中で身構える。 「厳格な家庭で育った割りに私自身は無神論者なのですが、 それでも時々、死んだ後自分はどこへ行くのかと考えてしまう事があります」 「……死んだら、無だろう」 「そうですね。ただ……死ぬ瞬間の事を思うと、この世に思い残す事が ないというのは、重要な事かと思えます」 ……それは、そうかも知れない。 一度死んだ身だから分かるが、遣り残した事、心残りがあると 死んでも死に切れない苦しみの中で死ぬ事になる。 「自白をするもしないも、あなたの自由です。 ただ、余命は同じだ。 それなら、重い秘密をあの世まで持っていくのと、全てを出し切って 身軽になって逝くのと、どちらの方があなたにとって得か?という話です」 「……」 「先程言ったように、私には天国や地獄があるのかどうか分からない。 ただ、あるとしたら、あなたはその岐路に立っていると思う」 「……」 「あなたは個人で凶悪犯を、テロリストを、マフィアを、裁いた。 それは間違いですが、その事によって救われた沢山の命があるのも事実です」 「……」 「それは、きっと天も認めていると思います。 神は、全ての罪を告白すれば必ず許して下さると、父が良く言っていました。 どんな罪でもです」 恐らく父譲りであろう穏やかで単調な、眠くなる口調。 ああそうか……。 神父の息子というのが、コイツが取調官に選ばれた理由か。 反論すべき事でもないので反論せずに聞いていると、いつの間にか 惰性で頷きたくなってくる。 肉体が相手に同調する事によって精神まで同調し、知らず知らずの内に 依存してしまっているという訳だ。 つまり教誨師のような手管で僕を内側から突き崩し、 真実を引き出そうとしているのだろう。 ……その手には乗るものか。 まずはジェバンニの話のペースを、崩してやる。
|