蟷螂の斧
蟷螂の斧








仮眠から目覚めて、夜神の監視モニタに目を遣ると
静かに眠っているようだった。

息を吐いたが、何となく違和感を覚えて見つめていると、
突然ノイズが走って部屋の明るさが微妙に変わる。
何より、ベッドに横たわっていた夜神の着衣が一瞬にして変わっていた。

思わず、両手で髪の毛を掻き毟ってしまう。


「L」


Lの病室のスピーカをONにして呼び掛けると、すぐに返事があった。


『何ですか、ニア』

「話があります」

『こちらの方から運んだ方が良いですか?』

「私は夜神の監視がありますので……食事の後にでも、出来れば」

『分かりました』


惚けやがって……。

だが、あのLを、すぐに来いと呼びつける訳にも行かない。
せめてあちらに足を運ばせるのが、私の精一杯の権限だった。




小一時間程経ってやっと、Lがふらりと現れた。


「何でしょう?ニア」

「夜神の部屋の監視モニタの件です」

「ああ……」

「一定時間、昨日の録画が流れるように細工しましたね?」

「はい」


悪びれもせずあっさり認められて、こめかみがピクピクと震える。
だが、夜神の寝着を換えたという事は、最初からカメラの切り替え自体は
バレて良いと思っていたのだろう。
途中で邪魔されたくなかっただけだ。


「何の為ですか?」

「さあ……」

「夜神の部屋に、行きましたね?」


少し声を潜めて言うと、Lは少し苦笑に見える表情をした。


「はい。行きました」

「何の為に?」

「さあ……」

「ふざけないで下さい」

「あなたは、何故だと考えますか?ニア」


本当に、ふざけている。
そんな下らない事を推理させられる謂れはない。


「……Lは、こっそり夜神の部屋に行った。
 カメラで見られては困る行為をする為に」

「はい正解」


……それ以上、言う必要はあるまい。

夜神がこの施設に来てからの僅かな間に見聞きしただけだが、
Lの夜神に対する執着は度を越していた。

最早、ただ監禁しておくだけでは飽き足らない程に。

一つになってしまいたい程に。

今になれば思う。
Lは、YB倉庫であの時夜神が死んでいなくても、絶対自分の手の内に囲った。
もし助ける事が出来なければ、きっとその体を持ち帰って調理して食しただろう。


「ニア。どうかしましたか?」

「……夜神には今後尋問があります。あまり無茶はさせないで下さい」

「そうですね」


ああ。
Lの夜這いを、認めるような形になってしまった。
私とした事が。


「でも、」


夜神は、私の獲物です。
私の自由にさせて貰います。

尋問が済んで自分の身の回りの事が出来るようになったら、
誰とも接しない場所に閉じ込めて情報を遮断します。

それで狂うならそれも良し、自殺するも良し。
二度と誰とも接触させるつもりはありません。

……そう言ったら、あなたはどうしますか?


「ニア?」

「いえ。ごめんなさい」


勿論言える訳はないのだが、Lは、ポケットに手を突っ込んだまま
私の言葉を待つように凝っと見下ろしていた。

その目は……苦手だ。
夜神は、この人とあんなに見詰め合って、何故平気で居られたのだろう。
既に、狂っているとしか思えない。

私が気まずい思いで居ると、Lはゆっくりと歩いて来た。
すぐ横まで来て、これまた時間を掛けてしゃがみ込む。

膝が……あと数cmで触れそうだ。

顔が近い……。
あの吸い込まれそうな目が。私の横顔を観察している……。

こんなに誰かに近づかれた事が、今までの人生であっただろうか。

それでも。
これ程までにパーソナルスペースを侵されても、私は逃げなかった。
逃げられなかったと言った方が正確か。

何も言うつもりがない事を示す為に、手元のロボットをこまごまと動かして
手遊びに集中している振りをする。
そんな私の顔を、Lは相変わらず見つめている。


ふと。
視界の隅でLの手が何気なく上がった。
その滑らかな動きに見惚れていると、私の頬に、暖かい、感触が、

反射的に逃げようとしたが、Lの両手は蛇の素早さで私の顔を捕まえ、
何を考える暇も与えず、その顔を寄せた。

唇が、思いがけず柔らかい口が……。
信じられない。

あの、Lが。
この、私が。

私が震えていると、Lはそれ以上深く口付けず、すっと離れて行った。
思わず袖で口元を拭うと、彼は少し困ったような顔を作る。


「……私は、何か間違えた事をしたでしょうか?」


殊勝なセリフとは相反して、相変わらず洞のような目だ。
その闇に、吸い込まれてしまわなかったのがいっそ不思議なくらいだった。


「いいえ……。いいえ、あなたは決して間違えません」


……ああ、そうだとも。
自分で認めたくないが、私は、夜神に嫉妬している。

Lに感情があるわけでも、physical な接触を持ちたかった訳でもないが、
誰かが私以上にLに近づく事が、不快だったのかも知れない。
私が誰とも触れ合わない以上、あなたにも誰とも触れ合って欲しくなかった。

子どもっぽい独占欲。
そんな物が、自分の内にある事など、認めたくなかったが……。


「でも、夜神に触れた唇で、私に触れて欲しくありませんでした」

「繊細な事を言いますね。が、私は、夜神に唇で触れていません」

「……」


そういう、問題かどうかは分からないが、
Lを詰る機会を逸してしまったじゃないか。
私とした事が、Lの前ではまるで思考力が働かない。


「L。誤解しないで欲しいのですが、私は……そういう性癖と言うか
 他人と肉体的に触れ合う事を好みません」

「でも、さっき逃げませんでしたよね?」


それは。
キスを待っていた訳ではなく、あなたがLだから。
逃げても私なんかには歯が立たない事が分かっているから。


「……」

「申し訳ない。揶揄いました」

「……!」


我ながら、舌打ちしなかったのが奇跡的だった。
唇を噛んでいるとLは立ち上がり、私の頭に軽く手を乗せた後
黙って監視室を出て行く。


……私は、きっと一生Lには敵わない。


夜神が私の手の内にある事を武器に、出来る所まで戦ってみるか、
それとも最初から白旗を揚げて、Lに取り込まれてみるか。

自尊心と憧憬の葛藤に、私はしばらく苛まれるだろう。






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