虚構の檻 1 がくん! 意識が浮上した時、一瞬全てが把握出来なかった。 今のは何だ。 僕が死んでいない……全ては夢か? いや、そもそも何故僕は死んだ? だが、体のあちらこちらの強烈な痛みが、朦朧としかける意識を 否が応でも呼び覚ます。 がくん! ああ、さっき体感した、高い所から落とされたような、 胴体が爆発したような衝撃。 その衝撃と共に、視界の隅、肩や脇腹から血が吹き出し、 顔に生暖かい飛沫が掛かった。 「……ああ。蘇生しましたね。止めて下さい」 目を開けると、そこには。 竜崎がいた。 ……。 ……と言う事は、ここは死後の世界か。 死んだら「無」だと思っていたのに、まさかこんな世界があるなんて。 何故か、目尻から涙が流れた。 生理的なものか。 竜崎は僕と目を合わせたまま、ゆっくりとマスクとヘルメットを取る。 三途の川や彼岸と言った物があるとしたら、花畑や霧の立ち込めた シンプルで抽象的な世界だと思っていたが。 妙に現実的で、せせこましい場所だな。 死んだ時と変わらない竜崎。 その背後に、なにやら沢山の計器やスイッチ。 「酸素吸入を。取り敢えず止血します。 あなたは運転をお願いします」 竜崎が、僕の足元にいるらしい別の誰かに話し掛ける。 「そう言われてもどこまで、」 「既にcar navigation に入力してあります。余計な事は考えないで下さい」 久しぶりに聞く竜崎の、低い声に僕の意識はまた遠ざかった。 次に目が覚めた時は、真っ白い部屋にいた。 壁も天井もベッドも何もかも白一色だ。 やはり肩や脇腹の痛みに、つい顔を顰めてしまう。 頭を回すと、一応窓もあるらしいが、曇りガラスか白いアクリル板で 塞がれていて、その向こうは全く見えなかった。 少し経って、微かなモーター音と共に入り口ドアがスライドして 金髪の看護士が入ってきた。 というか、ハル・リドナーだ。 ハル・リドナーがナース服を着て、にこにこしながら立っている。 こいつSPKで、その前はCIAだったよな? やっぱり夢か……死後の妄想世界なのか。 「目覚められたんですね。ご気分は如何ですか?」 だが、僕の腕に血圧計をセットしながら言うそのセリフに 意識がクリアになった。 僕の知る限り、看護士というのは挨拶代わりのように患者の名を呼ぶ。 そう訓練されているのかも知れない。 だがこの看護士は、僕の名を呼ばない。 「ここは……」 「落ち着かれたようで何よりです」 口を塞ごうとするかのように、開いた口の舌下に体温計を差し込む。 やがて取り出して、会話を拒むように忙しなく手元の機械に何やら 打ち込んでいるのに、無理矢理話し掛けた。 「僕は、落ち着いてなかった……?」 リドナーは少し迷うように部屋の隅に目をやる。 よく見れば、棚の高い所に隠しカメラが設置してあるようだ。 「……昨日一昨日は、酷く錯乱していらっしゃいました」 「そうか」 落ち着け……落ち着け夜神月。 この状況は夢でも幻でもない。 僕はどうやら……リュークにデスノートに名前を書かれて死んだ後、 何故か蘇生したらしい。 リドナーが居ると言う事は、ニア側の手に依る物だろう。 そして覚えていないが、二、三日は正気じゃなかった。 今は正気だが……ニア側にすれば、夜神月の記憶を失っていれば、 少しは扱い易いと言う事で、思い出させないようにしているのかも知れない。 「今日はもう大丈夫だよ」 「そうですか」 リドナーはにっこり笑うと、いきなり僕の服……術衣の紐を解く。 前を肌蹴け、手馴れた仕草で肩と脇腹のガーゼを外すと、軽く消毒して 新しいガーゼを貼ってくれた。 「この傷は……」 「感染症もなく縫合痕もきれいに塞がっています。 後は安静にしていれば大丈夫ですよ」 「そうか……世話になっているね。改めて初めまして。ハル・リドナー」 「……!」 包帯だらけの右手を差し出すと、リドナーは真っ青になって立ち上がる。 「ああ、正確にはYB倉庫が初顔合わせだったな。 看護士の資格も持ってるの?」 リドナーは無言で慌しく血圧計を回収して去っていった。 右手のガーゼも換えて欲しかったな。 しかしこれで、ゆっくりと考える時間が出来た。 ニアは、僕を誰の目も届かない場所に閉じ込めると言っていた。 だとしても人外に殺された僕を是が非でも助ける理由はないだろう。 実際、松田の発砲も止めなかった。 それでも生かされた理由は、二つ考えられる。 一つは尋問して、キラ事件の、デスノートの詳細を明らかにしたいという事。 もう一つは、僕にニアが納得行く酷い罰を、あるいは死に様を与える事。 だとすれば、取調べに応じない事が、出来るだけ長生きする方法か。 ニアにもそれは分かるだろうから、死んだ方がマシだと思わせられるような 拷問をされるかも知れないが。 うとうとした後、またモーター音に目を覚ますと、ロボットの玩具を手にした 白人の子どもが目の前に立っていた。 「夜神月。いや、キラと言った方が良いでしょうか。 意識と記憶が戻ったそうですね」 そうだ……思い出した。コイツがニアだ。 Lの面を被った姿の方がよく思い出されて、少し顔を忘れていた。 変声機を通さない澄んだ声にもまだ違和感がある。 「あなたの事は出来るだけ内密にしたいので、この施設のスタッフにも この一角には立ち入らないよう言ってあります」 「……」 「ですからリドナーの看護で我慢して下さい。彼女を刺激しないで下さい」 「ああ……」 今度は「ニア」の面を被っているんじゃないかと思う程の無表情。 数年に及ぶ確執の決着が着いた直後だと言うのに、酷く事務的な 抑揚のない言葉。 僕の方も、キラ事件に関しては言葉が見つからなかった。 「……ええっと。僕の認識ではさっき初めて目覚めたんだけど」 「手術から二日程は熱で魘されていましたが、その後目覚めた時は 錯乱していました」 「らしいね」 「僕は新世界の神だとか、全ての人間は僕にひれ伏して当然だとか、 そのような事を丸二日程ブツブツ呟いていましたよ」 「……」 理性が飛んで、思考が駄々漏れだったのか。 しかも記憶や時間の感覚も狂っていたらしい。 「このまま廃人になるのかと思いましたし、それで良いとも思いましたが」 「……」 「医者の役割をして辛抱強く相手をしたり投薬したり、 ああ、その傷口を縫ったのもLです。会いますか?」 「L……?」 何を言っているんだ。Lは僕だろ? いや、今はお前か。 ……竜崎の事を言っているのなら、あいつは大昔に死んだ。 間違いない。 大体、生きていたら僕との対決をコイツに任せる筈がない。 「えっと……意味が分からない」 「Lに、会いますか?」 「……」 補足するでもなく繰り返す声に。 Lは死んだとか、何馬鹿な事を言ってるんだとか、 そんな平凡な言葉を返す気にはなれなかった。 どんな策略か分からないが、おまえがそう言うなら乗ってやろう。 僕は小さく頷く。 「分かりました。但し、きっかり五分だけです。 あと、気付いていると思いますが監視カメラもあるので 変な気は起こさないように」
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