Raindrops and the moon 6 私は驚きました。 「何故そんな変な事を言うのですか? 私が夢を見ているとも思えませんが」 ですがそれを聞いて、あなたは長い話を始めました。 「おまえと別れて国に帰ったが、国の者は大方経久の配下になっていて。 塩冶の恩を覚えている者はいなかった。 すると従兄が利害を解いて僕を経久に会わせた。 確かに勇ましく、よく兵を訓練している人物だったが、頭が良い者に対しては 猜疑心があるようで腹心の部下というものは居ないようだった。 僕もここに長くいても仕方ないと、おまえとの菊花の約の話をして 去ろうとしたのだが、経久は恨みがましい様子で、 従兄に僕を城の中に監禁させ、遂に今朝になった。 この約束を違えばおまえは僕をどう思うだろう。 そう気を揉んではいたが、逃れる方法もない。 しかし、思い出した事があった。 古から、魂は一日に千里を行くと聞く。 僕は、自刃した。 そして今夜、風に乗ってはるばる菊花の約に赴いてきた……」 そう言い終わると、あなたはぽたぽたと涙をこぼしました。 「さあ。今度は永の別れだ。母上によく孝行するんだぞ」 そう言って席を立ったと思うと、掻き消えてその姿は見えなくなりました。 私は慌てて留めようとしたのですが、一陣の風が吹いて目がくらんで、 躓いて俯せに倒れてしまい。 大声で泣き続けました。 母が目覚めて驚き、酒瓶や酒を盛った皿を並べた中に倒れて 泣いているのを起こしてどうしたのかと聞いてくれたのですが。 声を出そうと思うとまた泣いてしまい、何も言えません。 すると母は、 「兄上が約束を違えたのを怒っているのなら、明日来てくれた時に どんな顔をして会うのですか。 あなたはそんなに愚かだったのですか」 私は漸く、声を出すことが出来ました。 「兄上は……今夜、菊花の約に来てくれました。 酒と肴と月を以てもてなしましたが、再三辞した後、このような事で 約束に背く事になるので、自刃して魂だけ会いに来たと言って消えました。 それで、母上の眠りを妨げてしまいました……お許し下さい」 母は少し考えて、優しく私の背を撫でながら言葉を継ぎます。 「牢獄に繋がれる人は許される夢を見、渇する者は夢に水を飲むと言います。 あなたもそのような事でしょう。よく心を静めなさい」 母の言う事も尤もです。 しかし。 「あれは、現実でした。 兄上は、ここにおられました」 そう言うと、また慟哭して伏し泣いてしまいました。 その様子に母も今は疑わず、二人で泣き明かしました。 言葉を切ったが、夜神は何も言わなかった。 私も何も言わず、ただ見つめ合う。 だがやがて。 「……それで、終わりだったっけ?」 「いいえ。あと少し後日談があります」 「それは聞かない方が良いような気もするな」 「何故ですか?残酷な結末が待っていそうですか?」 「いや……蛇足な気がするから」 「どうでしょう」 一番残酷な結末は、何だろう。 武士が死んで、魂だけ学者の元へ来た。 これ以上に残酷な結末があるだろうか? 武士が裏切って、意図的に約束を守らなかった、と言う方が 死んでいない分、まだ救いがあるのではないか? 「こうしてあなたを閉じ込めている私は、この話で言えば 尼子経久という事になりますが。 どうですか?自刃してでも会いに行きたい人はいますか? ミサさんに会いたいですか?」 学者を一人称にしておいて、突然自分を尼子経久に例えたせいか 夜神は少し眉を上げた。 「いや……僕は、誰とも約束していない。 それに、監禁される謂われはないんだから、絶対にもうすぐ出てやる!」 「そうですか」 「ところで、経久は何故武士を監禁したんだ?」 「疑わしいからです」 はっきりと言うと、夜神は少し顔を引く。 「……経久には、信頼し合える相手なんか居ませんでしたから。 そんな約束の存在を、信じる事も出来なかったのです。 本当ならば、牢の中からでも会いに行くだろうと、あざ笑ったのです」 「……」 「私は、キラなら、牢の中からでも殺人を行えると思っています」 不意打ちで言うと、夜神は何故か一瞬泣きそうな顔を見せた後、 憤怒の表情になった。 「僕は、違うと思う」 「そうですか?」 「経久は、武士に嫉妬したんだ」 「……」 「自分が信頼できる相手がいないから、そこまで信じ合える二人の仲を 裂いてやろうと卑劣な事を考えた」 「……」 「でもどんなに邪魔しても、二人は命がけで約束を果たした。 それを知った時、経久は敗北感にまみれて後悔した…… それが後日談なんじゃないか?」 「ずるいですよ……覚えてるんですね?」 「読んだのは確かだけどそこまでは覚えてないって。それとな」 夜神が声を潜めるので、近づいていくと 「僕は、キラじゃ、ない」 真顔で。 私の顔に息を吹きかけるように言った。 「そうですか」 「少しは、その学者を見習って僕を信じてくれ。 何か、約束してくれ。友だちだと言ってくれただろう?」 「……」 やはり、昨日の夜神とは何かが違う。 言うに言われぬ違和感だが。 私を全力で信用している雰囲気があるのだ。 自分を信じて欲しいという、必死さよりも、苛立ちの方が感じられる。 ……罪の意識を、なくす……為に、事実を歪める……。 昨日のとりとめの無い思考の一部が、蘇る。 今の夜神の言葉は真に迫っていて、本当に……記憶を失っているようだ。 いや……記憶は連続しているのだが……。 「分かりました。では一つ、約束しましょう」 「何だ?」 「今年の重陽の日、一緒に過ごす事が出来たら」 カメラに背を向け、いっそう鉄格子に顔を近づけて。 「……兄弟の契りを結びましょう」 そう囁くと、夜神は驚いたような戸惑ったような顔を見せたが、 やがて真剣な顔で頷いた。 「……分かった」 「私の言う意味、分かってますね?」 「ああ……」 睫を伏せて頷く夜神の、内心は表情からは読み取れない。 私の計算ではこのままキラの殺人が再発せず、八月には 夜神も弥もキラとして逮捕出来る筈だが……。 そんなに簡単には行かない予感もある。 今年の九月、もしかしたら本当に私は夜神と一緒に過ごす羽目になるかも知れない。 「その時には、僕のキラ容疑は晴れている筈だから 探偵の弟として遜色ないよな。 っていうかおまえ、僕より年上だよな?」 いっそ無邪気とも言える生真面目さで尋ねる夜神は、 実際キラに見えなかった。 「ええ。私が兄という立場になりますね」 「そうか」 「ああそうだ。さっきの話の後日談ですが。 学者は武士の遺骨を引き取る為に出雲に行って、 武士を監禁した従兄を殺したそうです」 「……」 「月くん。私がもしキラに殺されたら、敵を取ってくれますね?」 「……ああ。勿論だ」 そんな気弱な事を言うな、と怒鳴るかと思ったが。 息苦しい程の熱情を秘めた声で、言葉少なに答えられた。 「ありがとうございます。 私ももし殺されても、魂魄になって必ずあなたに会いに来ます」 「ああ。おまえに死んで欲しくなんかないけど、もし殺されたら待ってる。 魂が千里を走るなら、キラを探し出して僕に教えてくれ」 「大丈夫です。私は必ずキラを見つけます。 そして、魂魄としてあなたの側に存在しつづけます。ずっと」 ……私は蛇のように執念深いですよ? そう小声で続けたが、夜神に聞こえていたかどうかは分からない。 以降、予想を裏切って夜神は監獄を出る運びとなり、 私達は九月九日を一緒に過ごして、「兄弟の契り」を結んだ。 それから二ヶ月足らず経過した時。 夜神は、一粒の涙も流さなかった。 それでもこんな雨の夜は、一際はっきりと私の姿が見えるのだろう。 最初は見えない振りをしていたが、一度目が合ってからは 見える事を隠そうとしなくなった。 私は生前より少し、雨が好きになった。 夜神は、今では時には鬱陶しそうに、時には懐かしそうに、 ぼんやりと私を見ている事がある。 「……盟たがはで来り給ふことのうれしさよ」 今日遂に、彼は呟いた。 『嬉しいんですか?』 私も死んでから初めて、彼に話し掛ける。 「……どちらかと言うと、おまえのしつこさに呆れてる」 『早く、“こちら側”に来て下さいよ……ねぇ、賢弟よ』 「あの、『N』ってのもおまえの亡霊か?」 『さあ……』 「……」 夜神は眉を顰めて、ベッドに潜り込んで毛布を被った。 私はその毛布の中に入り込み、冷えた身体を、抱いた。 --了-- ※素敵な企画に参加させて頂けて光栄でした♪
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