Raindrops and the moon 3
Raindrops and the moon 3








男の両親は話を聞くと、「独身だからしっかりしないし付け入られるのだ」と
言って、婿にやる事にした。

そして丁度男好みの、都の宮廷に仕えていた下士官の娘との
縁談が上手く行き、二人を結婚させる事にした。

男は娘の姿の華やかさ、美しさに満足し、初夜を迎えた。

そして二日目の晩。
ほどよく酔った男は、戯れて


「長年の内裏生活で田舎の人は煩いとお思いでしょうが。
 宮中では何の中将、宰相の君、という方に添い寝なさったんでしょうね。
 今更ながら憎く思われますよ」


そう笑いながら言うと、新妻は顔を上げた。
その顔に表情はないが、どこか、こわい。


「……古い契りを忘れ、このような取り柄のない女を
 ご寵愛なさるのこそ、憎らしいですよ……」


言うその声は、まさしくあの蛇の女の声であった。

男は身の毛もよだつばかりに恐れおののき、ただ震えるばかりだったが、
女は微笑んで


「そんなに怪しまないで下さいよ。
 海に誓い、山に誓った事をすぐにお忘れになっても、こうして縁があるから
 また会えたんです」

「……」

「他の人の言う事に惑わされて私を遠ざけようとしたら、恨みますよ?
 紀州路の山々がどんなに高くても、あなたを殺してその血を
 峰から谷まで注ぎましょう。
 せっかくのお体を無駄にして、死なないで下さいよ」


男は今にも取り殺されそうな気がして、気を失ってしまった。

次に目を覚ました時、


「ご主人様、どうしてそんなにご機嫌が悪いのですか?
 せっかくのめでたい御契りですのに」


そう言いながら屏風の陰から出て来たのはあの侍女である。
男はまた気を失ったが、女と侍女は代わる代わる話し掛け、
脅し、男はただ死んだままになったような状態で夜が明けた。

朝になって男は寝室を逃げ出し、妻の両親の元へ行った。
そしてどこで聞いているかと声を潜めて事情を説明して助けを求める。

両親も青ざめたが、


「都の鞍馬の法師が向かいの山に来ていらっしゃる。
 大変験のある方のようなので、頼んでみよう」


呼ぶと、しばらくして法師が来た。
話を聞くと鼻を高くして、


「そういう、人を惑わす憑き物を取るのは難しい事でもないだろう。
 安心していらっしゃい」


そう言うので、人々は落ち着いた。


「老いも若きもそこで見ていらっしゃい。
 すぐにその蛇とやらを捕らえましょう」


そう言って進んだ。

しかし寝室の戸を開けると。

今や遅しと待ち構えていたかのように蛇が頭を差し出して法師に向かった。
その大きさはと言えば、戸口一杯に広がり、雪を積んだのよりも
白くきらきらとして、目は鏡のよう、角は枯れ木のよう、
一メートル以上ある口を開いて赤い舌を吐き、ただ一口に飲み込もうとした。




「それはかなり怖いですね。ビジュアル的に」

「B級ホラー映画的だろう?」

「何にせよ大きい物は怖いです。
 あと、ない筈の物があるのも」

「ああ、角?蛇というより竜のようだったのかな」




法師はぎゃっと叫ぶと、腰を抜かして這い転がった。
何とか人々の元へ逃れて来て


「ああ、恐ろしい祟りをなさる神様であるのに、どうして私などに
 調伏出来ようか」


そう言って、結局死んでしまった。

これを見て、人々は益々生きた心地もせず泣き惑ったが、
男は何故か心が落ち着いた。


「これ程験のある法師ですら殺されたんだ。
 僕がこの世にある限り、必ず見つけ出されてしまうでしょう。
 この命一つの為に皆さんにご迷惑をお掛けする訳には行きません。
 もう人には頼りませんので安心して下さい」


そう言って寝室に向かうのを、妻の両親は気が狂ったかと
止めようとしたが、男は聞こえない振りをして向かった。

寝室の扉を静かに開けると、怪物の騒音もなく、女と侍女が
静かに座って男の方を向いていた。


「あなたは何の恨みがあって私を捕らえようとするんですか。
 この後も仇な事をするのなら、あなたの身体だけでなく
 この里の人みんなが苦しい目を見るでしょう」

「……」

「私が一途にあなたを想って操を守っているのに満足して
 不実な心を起こさないで下さいよ」


非常な色気を見せて言うのが、情けない。
男は、


「おまえは妖怪だが、僕を慕ってくれる心は人並みだと思うし、
 ここに居る事で人々に迷惑が掛かるのもどうかと思う。
 おまえが取り憑いている妻の命を助けてくれたら、僕をどこへなりと
 連れて行って良いよ」


そう言うと女は嬉しげに何度も頷いた。




「へえ。己の身を犠牲にして村を守るとは、なかなかやりますね。
 月くんもそういうタイプですか?」

「そうだな。男と同じ立場に立ったら、そうするだろうな」

「なるほど。正義感が強いですね。
 まあ女と行っても死ぬまでセックス三昧、悪い死に方じゃないかも知れませんね」

「人ごとだと思って……。しかしまあ、そうは事は運ばない」




男は寝室を出て妻の両親に、


「こういう情けない化け物が連れ添っているので、お暇を下さい。
 そうすれば娘さんの命は助かるでしょう」


そう言ったが、彼等は全く承知しなかった。


「私にも武道の心得があるのに、頼って貰わなければご両親にも恥ずかしい。
 小松原の道成寺という所に尊い祈りの師がいらっしゃる。
 今は老いて部屋から出られないそうだが、私が頼めば見捨てないでしょう」


言って父親は、馬で出発した。

道が遠くて夜中に到着したのだが、老法師は寝室より這い出て
話を聞いてくれた。


「それは情けなくお思いでしょう。私も老い朽ちて験があるとも思えませんが
 あなたの家の災いを黙って見てはおられません。
 まあ、行って下さい。私もすぐに参りますから」


そう言って、芥子の香が染みついた袈裟を取り出して父親に渡す。


「その者を騙して近づいて、これを頭に被せて力一杯押し伏せなさい。
 力が弱ければ恐らく逃げてしまうでしょう。
 気合いを入れて上手におやりなさい」


父親は喜びながら、馬を飛ばして帰った。
そして男に、件の事を伝えながら袈裟を渡す。

男は早速、懐に袈裟を隠して寝室に行った。


「妻の父が、今暇を下さったよ。
 さあ、行こう。出発しよう」


女は、とても嬉しそうだった。
男がそれを見て、どんな気持ちだったのかは分からないが、
妻の父親に言われた通り袈裟を被せて力一杯押さえた。


「ああ、苦しい……あなたはどうしてこれ程までに無情なのか……
 ちょっとここを緩めて下さいよ……」


そう言われたが、ますます力を込めて押さえていると
道成寺の和尚の輿が入ってきた。

店の人に助けられながら、口の中でぶつぶつ呪文を念じていたが
男を下がらせ、あの袈裟を取る。
下では妻が気を失って倒れ、その上に一メートル程の蛇がとぐろを巻いて
身動きもせずにいた。

老和尚はこれを捕らえて、弟子の掲げている鉄鉢にお入れになる。
更に念じていると、屏風の陰から三十センチ余りの小さな蛇も這い出て来たので
これも一緒に入れてあの袈裟で封じ込め、そのまま輿にお乗りになった。
人々は涙を流し、手を合わせて敬い奉ってそれを見送った。

道成寺へ帰ると和尚は堂の前に深く穴を掘らせて
鉢のまま埋めさせ、二度と世に出ないよう厳重に封じ込めた。




「で?」

「それで終わりだよ」

「そうなんですか。最後は妙に駆け足というか尻切れ蜻蛉ですね」

「後日談的な物はある。
 蛇に取り憑かれていた妻は、病気で死んでしまった。
 でも当時はそんな事は多かったから、妖怪のせいかどうか分からないね。
 男は無事長生きしたらしい」

「それは。何とかは世に憚ると言うか」

「別に男は何も悪くないだろ。その蛇を封じ込めた蛇塚は、
 今も道成寺にある」

「実在の場所ですか。奈良なら関西国際空港から遠くないですね。
 ちょっと掘ってみましょうか」

「やめてくれ!」


夜神は一応「常識人」らしく眉を顰めて吐き捨てた。


「蛇なんか、埋まってないよ。
 それに、それは別の話に由来する塚だという話もある。
 美形のお坊さんに惚れた蛇が、お坊さんを殺した後身を投げた場所だそうだ」

「やっぱり妖怪ですか。ていうか似た話ですね」

「ああ。そちらも、綺麗な姫に化けて追い続けたらしいけどね。
 最後は、お坊さんが逃げ込んだ寺の鐘を、蛇に戻ってぐるぐると巻いて
 焼き殺したとか」

「それは……怖いですね。月くん」

「何」

「私は、あなたを焼き殺したりはしませんよ?」


夜神は座ったまま小部屋……という名前の監獄をぐるりと見渡した後、


「この部屋にそういう設備がない事を願うよ」


そう言って力なく笑った。




エレベーターに乗ると、今度はこのスチールの小部屋が
まるで鐘の中のように思えた。
心なしか暑くなって来た気もして、思わず袖で額を拭いかけてから
そんな筈はない、と自制する。

それにしても、蛇か……。

夜神は、はっきりとは言わなかったが私を蛇だと揶揄った。
執念深いという事だろうか。

確かに絶対に夜神がキラである証拠を挙げて逮捕するつもりではあるが……。

それを言うなら、夜神こそ「しぶとい」。
蛇は生命力の象徴でもあるから、どちらかと言えば夜神の方が蛇に似ている。

蛇に求愛された……美しい男。

もし最初に、男の家族が宝刀を見とがめなければ。
二人が平常に結婚していたら、どうなっていたのだろう。

案外幸せに行きそうな気もするが、吉野の老人によれば
「最後には命を取られる」と言うのだから、男は早死にするのか。

男が靡く度に、女が嬉しそうにするのは、男の命を取れるからか。
あるいは、セックスが出来るからか。

それとも、本当に男を愛していたからなのか。

怖い、というよりは、謎が多く残る物語だった。
女が妖怪である、という一点を除けば、単なる純愛……いや
ストーカーの物語。

それも、男も幾度も靡いているのだから、気の毒なのはどちらかと言えば
女の方だろう。


これがもし、事実を元にした物語であるのなら。
後日、生き残った男側が自分の都合の良いように
事実を歪めた可能性が高いな。

咎のない女を、無条件に悪者にする為の「妖怪」設定。
それが明文化される事により、男は罪の意識を失う。


罪の意識を無くす……為に、事実を、歪める……?


妖怪は、男の方、か?



……チン……


そこまで考えた所で、エレベーターが最上階に到着した。
日が沈んだらしく、辺りはすっかり暗くなっていたが
雨は小降りになっている。
暈を被った月が、白く煌々輝いていた。






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