Raindrops and the moon 1
Raindrops and the moon 1








雨がしとしとと降り続いている。

TV画面の中の地方の紫陽花で有名な寺にも、大都会のビルにも、
雨は等しく降り注ぎ、世界を彩度の低い陰鬱な物に変えていた。

全面ガラス張りの、窓の向こうには薄暗い東洋の摩天楼。
部屋の中の照明を点けていないので辺りは薄闇に包まれているが
明りを付けて窓に自分の姿が映るのも鬱陶しい。


「長いな……」


何となく呟いても、「そうですね」と答えてくれる老紳士は傍らに居ない。
キラ事件にも進展はなく、私は自分の頭脳が緩慢に腐敗して行くのを
ただ傍観していた。

全く、馬鹿馬鹿しい。

天気になど気分を左右されたくないから普段は窓のない部屋に居るのに。
この私が天気になど左右される筈がない、そう奢ってこんなに窓の多い
ビルにしてしまった。


外の景色は憂鬱だ。

かと言って夜神月と夜神総一郎の不在……自ら望んだ監禁により、
沈黙が支配しがちな捜査本部に戻るのも、気が進まない。
私は受話器を上げて、モニタルームの番号をプッシュした。


「夜神月の“個室”に行きます。監視をお願いします」




エレベータで地階に降り、スチールの扉を開ける。
すると、鉄格子の向こうで後ろ手に縛られて転がっていた夜神が
弾かれたように振り向いた。
私だと分かると、少し落胆したように息を吐く。


「如何ですか夜神くん」

「……さすがに上機嫌、とは行かないね」

「自分で望んだ事です」

「分かってる。今、何日だ?」


さすがの夜神も日付感覚が狂うのか……。
彼は外では雨が降り続いている事すら知らないのだろう。
やはりこの地下に来て、良かった。

私がこの部屋に来たのは、夜神の取り調べをする為でも
勿論夜神に会う為でもない。

ただ、雨から逃れたかったのだ。


「何日だと思います?」

「僕は何もなければ一日五時間寝る。就寝時間も大体一定だ。
 けれど、人間の体内時計は二十五時間という説もある」

「……」

「太陽の動きと関係の無い生活をした経験がないから、我ながら
 その辺りの傾向は分からないな。
 仮に僕の体内時計もきっちり二十五時間だとしたら、」

「月くん」

「最後に目覚めたのが五時間前だから、今は六月六日の、」

「月くん。喋りすぎです」


ぴしりと言うと夜神は、口を開いたまま一瞬止まって
すぐに唇を引き結んだ。


「堪えているようですね。誰とも会わず、話さない生活」

「……これが、『生活』って言えるのか?」


夜神は珍しく感情を露わにして、眉を逆立てる。


「申し訳ありません。あなたがキラである事を、あるいは違う事を
 証明するにはこれしかありません」

「で。新しいキラの裁きはあったのか?」

「ありません」

「そうか……」


彼は何故か落胆した「演技」をした。

……そう。間違いなく、演技だこれは。
何故、本当に落胆しない……?


「かと言ってあなたを精神的に痛めつける目的はありません。
 少しだけ、おしゃべりに付き合います」

「僕は自分がキラかも知れないと言ったが、本当にキラの事は
 何も覚えてはいないんだ」

「はい。ですからキラとは関係の無い話で良いですよ」

「……」


少しここで時間を潰したいのは、私の方だ。
他意はないのだが、夜神は疑い深い目で私を睨んだ。


「例えば?」

「そうですね。あなたの生い立ちでも、面白かった本や映画の話でも」

「……」


夜神は私がプロファイリングでも試みていると勘ぐったのか
長い時間考えた挙げ句、


「……今日の天気は?」


当たり障りがない、を通り越して愚かな質問をしてきた。


「雨です。日本には梅雨というものがあるんでしたね」

「ああ……そうか。そうだな」

「雨に何か思い出はありますか?」

「それは、毎年雨は降るから……」


などと適当な事を言って、時間稼ぎをするように立ち上がり、
簡易ベッドに腰掛けた。


「特に話がないのなら、私はもう行きます」

「待てよ」


少しは話す気になったか。
夜神は唇を湿し、私は腰を落として床に座り、膝を抱えた。


「僕の話でもキラ事件と関係のある話じゃなくても良いんだな?」

「そう言っています」

「なら、一つ怪談をしよう」


そう言って夜神は、少し長い話を始めた。




僕は今年の梅雨は見られないだろうけれど、梅雨の記憶はある。
きっと今も、しとしとと憂鬱な、あるいは台風かと思うような激しい雨が
断続的に続いているんだろうな。

これは和歌山の新宮、という場所の話だ。
行ったことはないが、東京から時間的に日本で一番遠い土地らしい。

そこの網元に、優しくて勉強好きな……つまり漁師に向かない息子がいた。

彼が学問をしに神官の元に通った帰り、激しい雨に降られて
知っている漁夫の家で雨宿りをした時の事。

この辺りでは見ないような都会的な女の子が、侍女を連れて
同じく雨宿りを頼みに来たんだ。

見慣れない女に興味を惹かれた男は、色々と話し掛けた。


   くるしくもふりくる雨か三輪が崎
           佐野のわたりに家もあらなくに


万葉集にも雨宿りする家もない、と詠まれた荒磯だ。
こんな雨の中、こんな場所に観光に来るなんて酔狂にも程がある。

だが女は近くに住んでいるが、ただ引きこもっているだけだと言った。
男は興味を惹かれ、傘を貸した。
後日返して貰う名目で女の家を訪ねる為だ。

その晩男は、女の家を訪ねた夢を見た。

金持ちらしい大きな家で、すだれを深く垂らして奥ゆかしく……
まあ今で言う引きこもりそのものと言った様子で暮らしている。

だが男が訪ねると女は自ら出迎え、


『あなたの優しさが忘れられませんでした。
 待ち遠しかったですよ』


そう言って奥へ導くと、酒や大量の菓子で歓迎した。
酒を酌み交わして良い雰囲気になって、このまま押し倒してしまおうか、
と思った時、夜が明けて目が覚めてしまった。

明け方の夢は正夢という。
男は朝食も取らずに家を出た……。




「バカな男ですね。そんな怪しい女にほいほい騙されて」

「そうかな?騙す方が悪いんじゃないか?
 というか、やっぱり女が騙したと思うか?」

「はい。女は男を揶揄ったか、そうでなければ逆に
 男に会うために偶然を装って雨宿りを仕組んだんでしょうね」

「……どこかで聞いた話だな」

「その男女がテニスの試合を始めてから言って下さい」




とにかく男は女の家を訪ね歩いたのだが、不思議と知っている者がいなかった。
昼過ぎまで探しあぐねていると、向こうから昨日の侍女がやってくる。

男は「偶然」に感謝して喜び、


「お嬢さんの家はどこですか?
 傘を返して貰いに訪ねて来たんです」


と言った。
侍女はにっこりと笑って前に立ち、案内をした。

どれほども歩かず、侍女が示したのは夢と全く同じ、
すだれを深く垂らした大きな家。
不思議に思っていると侍女が昨日の女を呼んだ。


それからはお決まりの展開で。
美しい器にご馳走を盛り、酒を振る舞われて男も女も酔い心地になる。
男は、夢と同じ展開だからまた夢から覚めるのかも知れないと思い
いつまで経っても目が覚めない事を、逆に不思議に思ったりもしていた。

そんな頃、酔いに任せたかのように女が口にしたのは。


「決して浮ついた言葉に思わないで欲しいのですが……。
 私は元は都の生まれで、両親を早くに亡くし乳母に育てられ成長しました。
 この国の下役人に嫁いだのは既に三年前ですが、
 その夫も流行病で亡くなり、頼る人も居なくなった事を憐れんで下さい」

「……」

「昨日のあなたの優しさに、これから後の人生をあなたの妻として
 仕えて生きていきたいと思いました」


男は何を唐突な事を言うのだと思ったが、


「……気持ち悪いと思うなら捨て置いて下さい。
 酔った挙げ句の戯れ言と、海に捨てて忘れてやって下さい」


寂しげにそんな事を言われたらさすがに心が動く。


「やっぱり身分の高い人だと思っていたよ。
 田舎生まれの僕にとって、あなたのような人にそんな事を言って貰える機会は
 もう二度とないと思う」

「ならば、」

「でも僕は親懸かりの身だ。僕自身の持ち物と言えば爪や髪しかない。
 どんな事にでも耐えてくれるのなら、あなたのお世話をしたい」

「……貧乏でも時々ここに来てくれればいいですよ。
 お金目当てじゃないですし。
 ここに前の夫が愛でた宝刀があります。常に身に付けておいて下さい」


さすがに金に困っていないと言うだけの事はある。
それは昨日今日出会った男に贈るのはどうかと思うような、刀身も拵えも
見事な逸品だった。

しかしめでたい事の初めに贈り物を断るのは縁起が悪い。
男はその宝刀を受け取った。


「今夜は泊まって行って下さい」

「それは……いきなり親に無断で外泊は不味い。
 明日なら理由をつけて外泊出来るから、明晩来るよ」


そう言って男はその日はそのまま帰った。




「うーん、そのまま考えれば、女は男を陥れようとしているとしか
 思えませんね」

「一目惚れとか、信じない?」


私はいつの間にか夜神の話に引き込まれていた。
まあ長雨の退屈凌ぎには丁度良い。


「あなただって信じてませんよね?」

「当然だ」

「やっぱり。しかもこの話は怪談ですよね」

「ああ、そうだったな」

「その男に、女が惚れるどんな魅力があるのかの描写がない。
 また女の申し出を男が受け入れる理由も分からない。
 それでは事実のみで推理するしかありません」

「だから男は優しくて賢いから」

「下心ありありで傘を貸したくらいでそんな評価が貰えるのなら
 世の中結婚難という物はありませんね」

「……」

「恐らくその宝刀は、盗品か、一般人が持っていてはいけない物なのでしょう。
 で、男が持っているのが見つかって、」


左手を握り、ぱっと開いて爆発と破滅を表現すると
夜神はニッと笑った。


「別に誰でも良かったんです。濡れ衣を着せられる相手なら」

「さすがだな。でも、ちょっと違う部分もある。
 まあ黙って聞けよ」






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