兄弟喧嘩 ガタッ! 竜崎と僕が多少いざこざを起こしても、父を始め捜査員達は口を挟まない。 大きな諍いになる前に自分たちで止める事も多いし、 口論の内容によっては理解出来なかったりするからだ。 だが今回は、大きな音をさせてしまって自分たちでも不味いな、と思った所で 「竜崎!月!」 父が大きな声を出した。 「捜査本部だぞ!喧嘩をするなら出ていけ!」 竜崎の襟首を、伸びそうな程掴んでいる僕の手を見つめている。 不味い。 大きく息を吐いて手を離すと、殴る前に止められた事に安心したのか 父が眉根を広げてトーンを落とした。 「全く……一体何が原因なんだ」 「お宅の息子さんが、今更ベッドをシングル二つにしろとか我が侭な事を言うんですよ」 「どうしたんだ月」 「……僕だって、多少のテリトリーは欲しくなってきたんだ。 ダブルベッドで男二人って……そろそろ息苦しくて睡眠も十分に取れないし。 手錠を外せと言っている訳ではないんだから、譲歩してくれてもいいじゃないか」 「う〜〜む」 「最初は広いベッドを見ただけで喜んでいたではないですか。 監禁されていた時に比べたら天と地ほどの差があると」 「状況は変わるだろう!」 「おや、そうですか?」 くそ!隣に寝ている男に犯された身にもなってみろ! 状況は大変わりだろう。 それを人前で言えないのを良いことに、とぼけやがって! 「待て待て。二人の言うことはどちらも一理あるが、月。 竜崎も同じ我慢をしているのだし、この建物に今更大型家具を 運び込むのは危険だ。ほぼ不可能と言っていい」 「分かってるよ父さん。僕だって絶対にとゴネた訳じゃない。 何か方法はないかって提案しただけだ」 「そうなのか?竜崎」 本当だ。 僕だって、最初は出来るだけ穏やかに話をしていたんだ。 「ええ……まあ。でも、しつこいんですよ!」 「検討もしないで却下するからだろう!」 昼間はずっと捜査員達といる。 そんな所で一昨夜の話をするわけにもいかないので ベッドを分けて欲しいと提案する事で、軽く抗議をしたつもりだった。 なのに、間髪も入れず面倒くさそうに「嫌です」と。 頭に血を上ってしまうのを、どうやって止めろというのだ。 「で。どちらが先に手を出したんだ?」 「月くんが私の服を」 「竜崎がいきなり僕の椅子を蹴ったから、ついカッとなって」 「あなたがくどいからでしょう!」 「竜崎!」 その時、父が少し声を鋭くした。 「別にそんなに争うほどの事じゃないだろう。 竜崎の方がお兄ちゃんなんだから、もう少し……」 「……」 「あ……、いや、すまん、」 「……今非常に新鮮な呼ばれ方をした気がしますが」 「すまない、つい」 「日本では血が繋がっていなくとも年長の男性をそう呼ぶ事があるのは 知っていますが、私は夜神さんより年上に見えるのでしょうか」 「違っ、そんな、月だよ、月からすればお兄ちゃんだと、」 「年上だから譲らなければならないと?」 「そういうつもりでは、」 汗をかきだした父を、本気で分からないような真顔で問いつめる竜崎。 わざとだろう。見ていられない。 「竜崎……ちょっとトイレに行きたくなったから付き合ってくれ」 「はい」 「ついでに……ちょっと疲れたから少し寝室で頭を冷やさせて欲しい。 父さん、いい?」 「ああ勿論だ。病み上がりなんだから、大事にしなさい」 トイレを済ませて部屋に戻る。 嫌でもベッドが目に付くが、今は昼間だし昨日一日寝ていたので もう嫌悪感は薄れた。 一昨夜竜崎に抱かれて(嫌な表現だ)そのせいか昨日は熱に悩まされた。 朦朧とした意識での認識だが、竜崎は特に心配する様子もなく、 隣に座り込んで一日菓子を食べ続けていたと思う。 その間ミサは見舞いに来たがっていたそうだが、断って貰った。 彼女がくればこの部屋は監視される。 長い監禁生活で最も堪えたのはカメラの存在だった。 常に誰に見られているか分からない、見られているかいないかすら分からない、 その事がどれ程精神を蝕むか、体験した事のある者にしか想像出来ない。 竜崎が邪魔ではあるが、それでも基本的にはカメラで視られない この寝室は僕にとって安全地帯だった。 「はぁ……やっぱりカメラがないと思うと落ち着くね」 「そんな物でしょうか。別に普段通りで良いと思いますが」 くそっ。そんな事を言われたら僕が弱音を吐いたみたいじゃないか。 そう思わせたくてワザとそんな返事をするのだろうが。 「さっきは父が失礼してすまない」 「はぁ」 「というような事も、監視されていると思うと伝えづらいだろう?」 「まあ、そうですね。もし今、夜神さんが見てたら赤面物でしょうし」 そうだとしてもそんな事わたしには関係ないですが。 と言いたげに、投げやりに答える。 「あの調子なら、月くんも随分謂われのない小言を言われたんじゃないですか?」 「いや、僕は『お兄ちゃんなんだから』なんて言われたことは一度しかないよ」 「意外ですが、一度はあるんですね」 「小学校に入った年、初めての宿題が嬉しくてね。 遊んで欲しがって泣いている妹を放っておいて取りかかってしまった。 そうしたら父が」 そうだ。あの頃はさすがの僕も気が抜けていた。 それまでは我慢強く妹と遊んでいたが、宿題という大義名分が出来たから 多少さぼっても許されると思ってしまったんだ。 「『お兄ちゃんなんだから、妹を泣かせるな』『宿題なんか後でも出来るだろう』って」 「はあ。全くもってその通りですね」 「いやまあそうなんだけど、普通の親は学校の宿題を後回しにしろなんて 言わないものなんだよ」 「そうですか?楽で緊急性のない仕事こそ後回しで良さそうですが」 妹と遊ぶ事が、学校の宿題より苦しい仕事だとでも言うつもりかこの野郎。 やはり今までの周囲の奴とは物の考え方が全然違う。 「父は、理不尽に僕を叱ってしまったと、ずっと気にしていたんだと思う。 さっき気付いたんだけど」 「それで、今度はあなたを粧裕さん役にして罪滅ぼしですか。 私は良い面の皮です」 「そうだね。僕にとっては、父は妹が泣くと理性を失うんだな、と学習しただけの 出来事だったんだけどね」 「面倒くさい人ですね。今度は私に理不尽な事を言ったと落ち込むのでしょうか」 「……僕は父が真面目で義理堅い人だという話をしていたつもりなんだけど」 粧裕は、あの時どんな顔をしていただろう。 赤ん坊と言ってもいい年だったから本人は覚えていないだろうけど 粧裕なりに、父が僕の方を叱った事に、というより父が二人の間に登場した事に 驚いていたような気がする。
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