完璧 2
完璧 2








「今まで、話したいと思う大人に出会えませんでした」


声は高く、ややハスキーで見た目よりも可愛らしいがそんな事よりも。

……なんという、傲慢。
この子は障碍者どころではない、とんでもないモンスターなのではないか?
そんな予感に全身の血が沸き立つ。

何故そんな大人を試すような真似を……いや、この子を失望させるような
頭の悪い返事をしてはいけない。


「それは、光栄です」

「いきなり腰が低くなりましたね」

「丁寧語を使う価値がある子どもに出会ったのは、あなたが初めてです」

「……あなたも、私が思ったとおりの人です」


男の子は、またちゅぱちゅぱと指を吸いながら、
それでも少し照れたような顔をしているように見えた。


「あなたがyesが1、noが2、と言ったら、恐らく話していませんでした」

「何故、指を吸うのですか?」

「逆に、何故吸わないのですか?とお聞きしたいです。
 落ち着きますのに」


そう改めて聞かれると、言葉に詰まる。
知らないのなら教えるか……いや、彼は月並みな七歳児ではない。


「世間的にはみっともない事だとされていますね。
 その理由は、指吸いが乳を飲んでいる赤ん坊を想起させるからでしょう」

「赤ん坊を想起させたらなぜいけないのですか?」

「それは……」


気持ち悪いから。
と言ってしまいたいがそれはあんまりなので、言葉を選んでいると
彼が自分で答えた。


「年を食って体が大きくなった赤ん坊。良いところ全然ないですね。
 赤ん坊の良い所は小ささと、あらゆる可能性を持っている所ですから」

「まあ、そういう事です。それに口に刺激を欲しがる人は
 精神が幼児期を抜け出していないという説もありますよ」

「口唇期固着ですね?知ってます。
 アメリカでは太ったビジネスマンを、自己管理が出来ていないとして
 下方査定する動きが出ているらしいですが、馬鹿馬鹿しいと思いませんか?」


前置きも接続詞もなく飛躍したな。
繋がっていないようで繋がっていそうな、彼の話に着いて行かなければならない。


「というと?」

「自己管理能力と職業能力はまったく別でしょう?
 偶々私生活がだらしなく、仕事でもだらしない人間はいるでしょう。
 その割合も低くないかも知れない。
 でも、だからと言ってそういう人間が全て仕事が出来ないと見るのは
 如何なものでしょう」


目の前の七歳児は、よく今までしゃべらずにいられたと思うほど雄弁だった。
話すに値する相手だと思われた事が、ますます嬉しい。


「まあ……効率よく人間を振り分けるために、ラベリングせずには
 いられない人種もいます。
 そういう人種と付き合って行きたいなら、下手なラベルは貼られないようにしないと」

「ええ。そういう事です」


あんなに力説していたのに、あっさりと肯定されて拍子抜けする。
しかし次の瞬間、気がついた。

……言わされた。

この少年は、相手をラベリングするような人間とは付き合わないと言っているのだ。
一人ひとりを吟味する手間を惜しんで、見た目や癖で相手をフォルダ分けして
満足するような、そんな怠惰な人間とは。

まさか、


「そんな人間を振り分けるためにわざと?」

「そんな事をしたら私も同じです。これはただの口唇期固着ですよ。
 恐らく私は母親に、満足に母乳を与えられなかったんでしょうね。哺乳瓶も」


連続攻撃、虚仮おどしだ、と思ったが、つい絶句してしまった。
そんな私を、彼は表情のない大きな目でじっと観察している。
何か答えなければ。
何か。


「……普通は、そんな事を言われたら同情をするしかありません」

「あなたは違う?」

「それでよいのだ、という気がしてきました」

「ありがとうございます」


男の子は満足そうに笑う。
また正解、が提出できたようだ。
だが、本当にそう思った。
というか、彼はそう思っているのだろう。


素晴らしい。


幼少期(彼もまだ十分幼少期だと思うが)の環境に何かあって、指吸いが直らないとか。
愛情を受けずに育ったから、他人の愛し方が分からないとか。
人が信頼できないとか。
常に不安に付きまとわれているとか。

そんな事は、彼の中では些細な問題なのだ。
どちらが善で、どちらが悪という事はなく、
彼の中では原因と結果は全く等価で、引き換える必要がないのだろう。

赤ん坊時代たっぷりミルクと愛情を貰って指吸いがない事と
満足させて貰えなかったから、指吸いの癖が抜けない事。

どちらも単なる原因と結果にすぎない。
2を足したから2増えた、2を引いたから2減った、それだけの違いなのだ。


「その考え方は、正しい」


正義とは、かくあらねばならない。

他人の目や既存の善悪など気にせず、全てを公正な目で見ようとする心。
偏見も逆偏見もなく、その中から真実をつかみ出す力。


「あなたなら、決して間違えない、新しい世界の神になれるかも知れない」



ロジャーあたりに言ったら「年甲斐がない」と言われるに違いないので言わないが
私は、「人間だから」という言葉は好きではなかった。

人間だから、欠点もある。
人間だから、間違えても仕方ない。
人間だから、感情に流されて判断を誤ることもある。

そんな事は当たり前だ、だからと言って許されるべきではない。

その為には、絶対的な価値観が必要だ。
法的には非だが、心情的には是、あるいはその逆というような事があってはならない。


そんな価値観を持ち、全てを処する「完璧な装置」……もしかしたら「兵器」を
作り上げたいと、ずっと思っていた。


その素材を、見つけた。
今はまだ幼く、情報不足に苦しむこともあるだろうが
私なら、彼を伸ばし、行く行くは世界を救う装置に仕立て上げる事が出来る……。



「ただ。やはり指吸いはやめるべきだと思います。
 その丸まった座り方も」

「元の場所に戻ってしまいましたね。何故ですか?」


じっと私の反応を見ていた彼は、失望した顔をした。
一つ二つは、他人を受け容れる事も覚えて貰わなければ困る。


「私が、そのほうが行儀が良いと思うからです」


日常会話において、理詰めは感情論には勝てない。
そこで議論を放棄されてしまうからだ。
案の定、彼は不快そうな顔をして黙り込んだ。


「それに、脊髄は脳の尻尾です。
 真っ直ぐにしておいた方が、絶対に脳の働きを良くする」

「……確かに、脳は私の唯一の武器ですが」

「その事にいつ気がつきました?」

「物心ついた頃です。同じ位の大きさの子と話し、大人と話し、
 自分が特殊だと気がつきました。
 それから、自分というものの取り扱いに気をつけて来ました」

「素晴らしい。加えて今後は、紳士としての振る舞いも教えて差し上げますよ」

「……」

「これ以上待っても私以上の大物は釣れませんよ?」


少年は、バレたか、という風にくるくると目を動かした。

彼は恐らく、話せない内から沢山の知識と語彙を蓄積し、
歯が生えて発音出来るようになってからは普通に大人のように話せたのだろう。

その様子を見た大人の反応を見て、それを封印した方が良いことに気づいた。

だが、こんな所で埋もれるような人材ではない。
何か自分に見合った人生、それを共に探し、サポートしてくれる大人を
探す必要があった。

だから、暗算をしてみせた。

しかし、俗物が来た時に退ける為、他の知恵が遅れている振りをした。
もしかしたらサヴァン症候群の本でも読んでヒントにしたのかも知れない。


「そう思ったから私もこうして話しているのですが……」

「私が養い親になるにあたって、私が何者か知りたいですか?」

「いいえ。大体分かりました。
 あなたの柔軟さ、私の使い方を既に具体的に思いついている所。
 ……MI6ではないですか?」


それが、後に世界の切り札と呼ばれるようになる男の、
私が知る限り唯一の間違いだった。





彼を引き取るのはやはり容易ではなかった。
まず、私に妻がいない事、幼い子の父になるには年を取りすぎている事、
法の制約はなかなか融通が利かない。

熱意を示すべきだというロジャーの助言に従って、度々彼に会いに行った。
だが、結局私は彼の名をまだ知らないし、彼も私の名を知らない。
養子縁組が決定するまでは、もし決まらなかった時の事を考えて
お互いに匿名の方が良いという院の方針だった。

彼と私は例の裏庭でよく話したが、彼が大人顔負けの饒舌家と知る者はなく
対等な関係である事も勿論内密だ。

だが、彼との面談は非常に有益なものだったし
彼も私の訪問を楽しみにしてくれているようだった。

……私なのか、私が土産に持っていくお菓子なのかは、分からないが。

それでも、神さびた表情の彼が、甘いお菓子を目の前にした時だけ
年相応に目を輝かせるのが、私には楽しくてならなかった。


「今日は、あなたの画像記憶力を確かめさせて貰えませんか?」

「はい」


彼はキスチョコ二つを小さな口に放り込み、更に銀紙に巻き込まれた
ペーパーリボンを引っ張っていた。


「初めてあなたに会った場所を覚えていますね?」

「もひろん」

「では、院長室の窓に向かって左の本棚、下から二段目にあった本は?」

「……」


考えている訳ではなく、口をもごもごと動かして、口内のチョコを処理していた。
ごくりと飲み込んだ後、ぺろりと口の周りを一舐めして澱みなく応える。


「シェイクスピア全集、左から順に20巻、8巻、11巻、12巻、13巻、
 トリイ・L・ヘイデンのOne Child、Waldorf educationを挟んで2巻、16巻……」

「結構です」

「彼は教育熱心ですが、……ガサツですね」

「あなたがそんな事を言うとは」

「並べ方はどうでもいいんです。
 問題は、どこに何を並べたか本人がすっかり忘れている事で」

「それはいけませんね」


私は微笑んだ。

完璧だ。
彼はやはり、完璧だ。


「トリイ・L・ヘイデンのOne Childは読みましたか?」

「はい」

「どう思いましたか?」

「私と似ているとでも?」


私は思わず、苦笑をする。
この子の回転の速さには、本当に目を見張る物がある。


「どちらかと言うとWaldorf educationの方が興味あります。
 現行学校教育よりはマシという気がします」

「あなたは……もしかして、前世の記憶などがあるのですか?」

「ありませんよ。だから大人と比べれば知らない事も沢山あります」

「なさそうですけどね。その知識量も思考力も判断力も
 とても数年で培った物とは思えません」


……この奇跡の子を、どうしても私が育てたい。
なのに。


「申し訳ない。まだあなたを引き取れそうにありません」

「そうですか……あまり時間がないのですが」

「どういう事ですか?他にあなたを引き取りたい人が?」

「そんな酔狂な人は他にいません。ただ、」


彼は少し考えた後、内緒話をするように少し顔を寄せた。


「この院の名前、創設者の名前を取ってマシューズハウスでしょう?」

「はい」

「スタッフが、この所浮き足立っているんです」

「なるほど」


彼は私が来ない日はずっと図書室に籠もっているとの事で
行く度に何か面白い情報を教えてくれる。

だが彼がリアルタイムの、私が興味を持っているのと同じ事件に
目を付けているとは、驚いた。


「……爆破予告をされた施設は、全て個人宅ではなくMHの頭文字を持つ。
 他に共通点は何もない」

「やはりあなたも気づいていましたか」

「ええ。実は最初にここに来た日も、予告を受けたMHを取材した後でした。
 そういう意味では、ここもターゲットになっておかしくないですね」

「それだけじゃないんです。『ウィンチェスター』です」

「ああ、まあ、それはそうですが」

「実は、『ウィンチェスター』の『マウントヘブロン墓地』にも、
 爆破予告が行っているんです」

「まさか!」

「本当です。そして私が調べた範囲で、一番最初に爆破予告を受けたのは
 実は『ウィンチェスター・ミステリーハウス』です。
 名所なのでこちらまで届くニュースになりましたが、
 きっと他にも予告された場所があると思います」


この子どもは、よくそんな事に気がついたものだ。
まさか、海の向こうの……アメリカのヴァージニア州のウィンチェスターや
カリフォルニアのウィンチェスター縁の地でも同じような事件が起こっているとは。


「単なる偶然でも愉快犯でもありません。
 国際的な犯罪組織が関わっていると思います」

「そうですね……『ウィンチェスター』、『MH』以外に共通点がないという事は
 犯人にもそれ以上の情報がないのかも知れません」

「そして、予告してはすっぽかす、という事が続いて皆の反応が鈍くなっています。
 MHも減ってきましたし、そろそろ本当に」


七歳の彼の、悩ましげな表情を見て、不覚にも私は微笑んでしまった。
その事を、私は早速翌日後悔する事になる。






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