完璧 3 翌日の未明、ロジャーにたたき起こされた私は とんぼ返りでウィンチェスターに向かった。 メディカルセンターに車を付けると、病室に向かう。 意外にも彼がいたのは、ICUではなく一般病棟だった。 「無事でしたか!」 この時になって、私は彼の名前も知らない事をもどかしく思った。 ベッドでナースに血圧を測ってもらっていた男の子は 私を見て少し目を丸くしたが、弱った様子はない。 「まさか、あんな事が……」 「……」 「とにかく無事で良かった。一体どうして……」 だが彼は、無表情のままぼんやり窓の外に目をやった。 嫌な予感がして、思わず胸に当てていた帽子のクラウンを強く掴んでしまう。 「あれ」は、この男の子の中にひと時だけ舞い降りた、「何か」だったのか? ショックでどこかへ飛び去ってしまったのか……? だがそれは杞憂で、ナースが出て行った後、男の子は重い口を開いた。 「……ご心配を、お掛けしてすみません」 それを聞いて、私は膝から崩れ落ちそうになるほど安堵した。 だが、その次の瞬間の自分の感情の動き。 私は今でも恥じる。 彼の言動によって私は全く不利益を被っていない。 なのに、一体。 「何故謝る!」 どうして声を荒げてしまったのだろう。 彼を、この世界の王に、神に……至上最高の兵器にしなければならない。 彼を従わせようとしてはならない。 誰かに従う事に馴れさせてはならない……。 男の子が、怯えた様子を見せなかった事に安堵したが、 やはり驚いたようではあった。 「……申し訳ない。つい」 「……あなたも、私が一般的な子どものように振舞った方が良いんですか?」 「いや……」 「そう言えば、私がお菓子にかぶりつくのを嬉しそうに見ていましたね?」 「……」 ……私は。 ただ、嬉しかったのだ。 完全無欠の彼が、私の前でだけ子どもらしい表情を見せてくれるのが。 その柔らかい髪が、幸せそうに揺れるのが。 私は、間違っていた。 「……すみません。八つ当たりをしました」 だが、声を震わせたのは、彼の方だった。 私が顔を上げると、俯いて目を見開いている。 「私はあなたが思っているような、パーフェクションじゃない。 感情がないわけなんかじゃない」 ……昨夜真夜中の爆発で。 彼が生まれ育った孤児院は、殆ど跡形もなくなった。 あの、教育熱心だけれどがさつな院長も、表庭で元気に遊んでいた 彼の朋友達も、全員死んだ。 恐らく彼は、あまり誰とも関わらなかっただろう。 痣の事を考えると楽しい思い出もないかも知れない。 それでも、長い間寝食を共にしてきた人々だ。 感情が動かないわけがない。 それで何も心に変化がなければ、それは神ではなく、悪魔だ。 「あなたが悪いんじゃない」 ベッドに腰掛けると、彼は俯いたまま少し後ずさった。 だが私は彼を引き寄せ、強く抱きしめる。 初めて抱いた彼は想像していたよりずっと華奢で、暖かかった。 そして、がたがたと震えていた。 「あなたは、完璧じゃなくていい。今はただの子どもです」 そう囁くと、小さな手が腰の辺りをぎゅっと掴む感触があり、 震えが大きくなったと思うと、嗚咽が漏れ始めた。 「っ……う〜〜っ……」 彼の押し殺した嗚咽は、子どもに慣れていない私の胸を 締め付けるようだった。 いくら知識があって考え方がしっかりしていても、この世に生を受けて まだ七年なのだ。 たった七年。 「泣いていいんです。思い切り泣いて下さい」 言うと堰を切ったように、わあわあと大きな声で泣き出した。 だがそれは、どこか泣き慣れていない、不器用な泣き方で。 その事にまた胸が苦しくなる程、愛しいと思った。 きっといつもは、泣いて良いと言われて泣けるような子ではないのだろう。 それから、しゃくりを上げながら、 「……こゎ、こゎくて、ね、寝られませんでした……窓の、外に、男が、 だ、だから私、出て……こ、こっそり抜け出して、あの木の下に、」 どうやら、昨夜は彼なりに警戒していて、爆弾を仕掛けたらしき 怪しい男を見た後、建物を離れて難を逃れたようだ。 「私、私だけ、」 「あなたが助かったのは、神のご加護です。 為すべき、重大な事があるから助かったんです。 分かりますね?あなたは何も悪くないんですよ?」 「わか、り、ます」 聡明な彼は、偶々一人だけ助かった事に子どもらしくない罪悪感を覚えるだろうが やはりその聡明さが、すぐにその精神を立て直してくれるだろう。 2分ほど泣き、1分程息を整えていた彼は、やがて静かに体を離した。 「……ありがとうございました。指を吸うのと同じで、 私にも偶にはこういった経験が必要なのかも知れません」 「いつでも。理由なんかなくてもいつでも来てください」 「爆弾は念入りに建物を壊すように、けれど周辺に累が及ばないように 威力の弱いものが沢山仕掛けられていました」 涙の跡が残っているというのに、テレビジョンのチャンネルを変えるように 頭を切り替えた彼に、また舌を巻く。 だがよく見ると、その顔にはいくつもかすり傷があり、髪の毛の一部の先が 焦げたように縮れていた。 「私の考えでは、これは見せしめです」 「……ほう」 「犯人の目的は、MHの建物から何かが持ち出される事です。 その品の在り処を確認したいのか横取りしたいのか分かりませんが、 恐らくあの孤児院にはないだろうと判断したんでしょうね」 だから、何も持ち出していないあの院を爆破した。 これで、今後爆破予告をされた施設は、必ず貴重品を持ち出すだろう。 「その『何か』とは?」 「……分かりません。 ただ、持ち出す所を襲わず、遠くから観察しているだけの所を見ると 書類ではないと思います。 かなり大きな……もしかしたら、兵器」 私は、ごくりと固唾を飲んだ。 彼には今、甘い甘いお菓子が必要だと思った。 彼は私以外の人間の前で話す事はなく、名前すら特定できなかったが 結局条例に縛られて、私は彼の養父になる事が出来なかった。 そこで彼を引き取るためだけに、孤児院を再建する事にする。 財産の一部を使ってマシューズハウスの跡地を買い取った。 その設計に関して彼の意見を聞くため、取り敢えず自宅に呼んだ。 「……さて。今更ですが、私の名前はキルシュ・ワイミーと言います」 「あの、キルシュ・ワイミー?」 「知っているのですか?」 「ええ!勿論。この二、三十年でイギリス人の周辺に現れた物の内 1/4はあなたの発明か、あなたの発明の追従品です」 「それは大げさですが」 「本当です。あなたが従来型を改良したものを加えれば、30%に上ります」 「そんなに……なりますかね」 「浮世離れした人ですね」 こちらに向けられる苦笑に、私も思わず苦笑をしてしまう。 君に言われたくない。 「ならば私の財力、コネクション、大概の事が可能だと分かりますね?」 「はい」 「それを踏まえた上であなたは今後、何をしたいですか?」 勿論彼は、市井に埋もれる人ではない。 政治家、哲学者、エンジニア、医学者、どのような道に進んでもこの国を、 ひいては世界を動かす人物になるだろう。 「……取り敢えず、爆破犯を捕まえねば」 「それは警察に任せておけばいいのでは?」 「任せられるものなら任せますけどね。 未だにアメリカの事件と関連付けて考えている者はいない状況です」 「分かりました。出来得る限り、情報と資料を集めましょう」 「お願いします。長丁場になるかも知れませんが」 彼なら、出来るかも知れない。 情報さえあれば、居ながらにして国際的な犯罪組織を捕らえることが。 その後は、彼自身に決めさせればいい。 私はそれがどんな望みであれ協力を惜しまないが 今は彼を単なる「神」や「兵器」にしたいとは思わない。 ちゃんと泣きたい時には泣ける、人として当たり前の幸せも追求できる その上で感情をきちんと切り離してコントロールも出来る、 そういう意味でのパーフェクションに、作り上げたい。 それが、私の役目だと。 いずれ世界を救うことになると。 そう思った。 「ところで、院の書類関係は全て燃えてしまいましたが、あなたの名前は?」 「私は……」 彼は指をくわえる。 私が笑顔のままでそれを外すと、少し眉を顰めて今度は爪を噛んだ。 なかなかの負けず嫌いだ。 彼に行儀作法を教えるのは事かも知れない。 「L、と呼んでください」 「名前を教えてくれないのですか?」 「この先、もし犯罪組織と関わることになれば、私は狙われます。 私の名を知る事によって、あなたも危険になるかも知れません。 私はワイミーさんを守りたい」 七歳児が何を大げさな、とは思わない。 彼の悪い予想はどんなに有り得なさそうな事でも当たると、証明されたばかりだ。 しかし、こんなにも小さくて幼い人に 守られるというのはなんとも不思議な気分だった。 「分かりました。お礼に私も、全力であなたを守ります」 「……ありがとうございます」 「でももっと大きくなって、一生に一度の運命の人に出会ったら、 その人には本名を教えなくてはいけませんよ?」 「そんな人……」 彼は、また年相応に照れたような不機嫌そうな顔をした。 ……恐らくこの世で唯一、彼の本名を知る事になる、運命の人。 その人物がまさにこの日、極東の島国で産声を上げた事を、 この時の彼も私も知る由はなかった。 --了-- ※10000打踏んでくださいました、シャイでいらっしゃる|ω・`)さんに捧げます。 リクエスト内容は 子Lとワタリのおはなし でした。 Lもちっちゃいころは子どもっぽい所があって可愛かったんだよ、という方向か 小さい頃から有り得ないほど天才でした、という方向か迷ったのですが 後者にしてみました。 10歳頃にはパタリロみたいになってそうです。 キラ事件は、デスノートを武器とした月と、Lを武器としたワタリとの 戦いだったという図式はどうかと思いました。 ワタリは、キラと同じ正義感でLを育てたのかもねー。みたいな。 最後、誰視点やねんという話ですが、死後のワタリですかね。 また、この月が、レムのノートを見てLの本名を知る事になるのか それとも別のシチュエーションで知る事になるのかはご想像にお任せします。 蛇足ですが。 中で使わせていただいた「One Child」は日本語訳で「シーラ/という子」、 「Waldorf education」は「シュタイナー/教育」でした。(検索した!) ええっと、恐らくイメージされた所と違うんじゃないかという感じがしますが良かったでしょうか。 |ω・`)さん、嬉しいリクエストありがとうございました!
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