完璧 1
完璧 1








デスクの上には、今日もきっちりと角を揃えた書類が置いてあった。
ロジャーの几帳面な文字が並ぶメモ用紙や様々な書式だ。

サインが必要な特許願書、明細書。
使用期限、更新日時が迫った特許商品の目録。

CNNの取材依頼。
桁違いの報酬をチラつかせる、ニッポンのTV局の出演依頼。
(プラザ合意以来、円高不況に悩んでいるらしいが輸入は異常に強気だ)

それから、これは特に頼んで楽しみにしていることだが。
新聞や雑誌などから、ロジャーが面白いと思った記事三つ。


私には時間がない。
いや、正しくは時間は誰にでも平等に訪れ去って行くのだが
私には経験したい事、成し遂げたい事が多すぎ、それに対して私の人生は
短すぎるのだ。

だから新聞は殆ど読まないしテレビジョンも見ない。
ラジオは手作業をしている時なら聞くという程度。

だが、アイデアという物は個人の体験からだけ湧く訳ではない。
発明家というのは、常に新しいインスピレーションを
探し続けていなければならないのだ。

その為には、ロジャーのこなしてくれるこの雑事は私にとって
非常に意味のある物だった。


「チャレンジャー号爆発事故から丁度一年の今日、レーガン大統領は……」

「天才少年現る……サヴァンか、珍しいな」

「ウィンチェスターのバイクショップ、Motor-Horseに爆破予告……」


少し考えて、私はロジャーを呼んだ。


「なんだ、キルシュ」

「この、爆破予告なんですが」

「そんな事より取材はどうするんだ?」

「受けるわけがないでしょう。報告しなくていいので断っておいて下さい」

「あんたは本当に……欲がないな」

「欲?」

「有名になれるチャンスがいくらでも降って来るのにことごとく流す。
 特許申請だって金の管理だって私に任せきりだ。
 私がピンハネしていたらどうするんだね?」


私が欲がない?
とんでもない。強欲の塊だ。
でなければ発明家になんかなれない。


「……君の働きは素晴らしい。いくら給料を貰ったって構いませんよ」

「あんたも天職だろうが……それでも、才能の無駄遣いと
 思ってしまう事も沢山あるよ」




私を知る者は私を「天才」と呼ぶ。

エジソンを超えたと言ってくれる者も、もっと有名になってもいいと、
功績を世に発表すべきだという者も。

だが私は今更有名になどなりたくない。金も使いきれないほどある。
私の望みはただ一つ。


……世界を、救いたいのだ。


この世に沢山ある不条理を正したい。
真面目で心の優しい人間が幸せに暮らせる世界を作りたい。

それも、他の誰でもなく私の手で。


全ての人が少しでも便利で暮らしやすくなるように、日常品から工業部品、
あらゆるものを発明したが、原発事故一つ防げなかった。

スーパーコンピュータの発明と製作にも携わったが
「便利」にはなっても、不正や犯罪の防止には何の役にも立たなかった。
あれも結局、馬鹿でかいだけの並列計算機だ。

そんな事を思うと、最近、少し疲れてきた。

地球を掃除するように、短期間で全てを善くする方法などないのか……。
いや、キリストが2000年近く掛かって成し得ないのだ。
いくら私でも、一介の人間の手に負える事ではないのかも知れない。



「それよりこの爆破予告なんですが、確か三件目ではありませんか?」

「さあ。悪戯だと思うが調べておくよ。天才少年はどうだ?」

「10桁掛け算が暗算で出来るという七歳児ですか」


私は新聞の家庭欄らしき小さな切抜きを手に取った。

この世には、何千年分ものカレンダー計算が出来る者もいるし
一度聞いたメロディを、あるいは一度見た映像を、
いつでも完璧に再生出来る、しかも二度と忘れない、という人もいる。

脳がその分野に特化しているのだ。
その代わり他の部分、社会生活は全く、という場合が多い。

人間の能力、いや脳の限界を知ると言う意味では興味深いが
機械で代用できるような事には意味がない、と私としては思う。

メロディを再生したいのなら録音すればいいし、
10桁掛け算の答えは、子どもに聞かなくても手元の計算機の
キーを押せばいいのだ。

データの蓄積や解析は機械に任せられるが、そこから得られる
推測やひらめき、というものは現在の所人間の専売特許らしい。

ひらめきに特化したサヴァンになら、会ってみたい。
そして全ての答えを尋ねるのだ。

……そんな者がいたら、それは神、か。


「素晴らしいですが、まあ致命的に人としてのバランスを欠いているでしょうね」

「お。でも同じウィンチェスターだぞ?」

「それが何か」

「Motor-Horseに興味があるのなら、行ってそのついでに会ってみないか?」

「時間の無駄かと」

「子どもはいいぞ。インスピレーションの塊だ」

「……何が言いたいんですか?ロジャー」


嫌な予感がする。
いや、これは予感ではなく経験による予測だ。


「あんたは働きすぎだ。少しは休んだらどうかね?」


ほら来た……。
時折、ロジャーは「ママ」のようになる。
余計なお世話なのだが、本当に世話になっているだけに逆らいにくいのが辛い。


「休んでいます。10時50分から11時までがお茶を入れる時間、
 11時5分までがお茶を飲む時間です。昼は、」

「そういうのを、5分しか休んでいないと言うんだ。
 偶には予定を入れず、頭をからっぽにしてみたまえ」


結局私は、その日の予定を一部キャンセルして、車上の人となった。
(と言っても相手がある事ではなく、自分予定なのだが)




ウィンチェスターのバイクショップ、Motor-Horseの店舗に顔を出し、
爆破予告について質問したが、あまり深刻に捉えてはいないようだった。
理由は、これまで市内で二件の爆破予告があったが、結局爆破されていない事、
予告だけで脅迫がない事から、悪質な悪戯との見かたが強まっているからだ。


「前に脅迫されたマクハリソン社も、引越しの勢いで貴重品や重要書類を
 持ち出したのに一週間以上何もないらしいじゃないか」


それでも、今回も最低限の貴重品は逃がしたらしいが
それもせいぜい社長の自宅という杜撰さだ。
次に爆破予告があっても、もうニュースにもならないだろう。

やはり、単なる愉快犯なのか。
一連の事件の意味を考えながら車に乗っていると、
自動的に次の場所、天才少年の元に連れて行かれた。



そこはいわゆる孤児院で、通された院長室で長々とした前置きを聞かされた後
現れたのは質素な男の子だった。

質素で、恐らく平均よりかなり小柄。
汚れた服の襟元に痣が覗いている所を見ると、虐待を受けている可能性もある。

指をくわえたまま、やたら大きな目でぎょろぎょろと天井の辺りを眺めていた。
やはり健常ではないのだろう。


「こんにちは」

「……」


手を差し出してもこちらを見ず、室内のあちらこちらに視線を走らせている。


「計算させてみますか?」

「いや、結構」


断ると、院長は不興げな顔をした。
見世物的な物言いが少し引っかかったのが、
私の言葉か表情に表れてしまったのかも知れない。


「その、彼ら二人を少し話させてくれませんか?
 ワイミー氏も別種の天才だ。二人の会談には興味が湧きます」


ロジャーが取ってつけたように柔らかい声を出す。
だが、既に帰りたくなっていた私には、残念な方便だった。


「よろしいですよ。
 ただ、その子は数字以外は口に出しませんが」


やはりか……。
そう思いながらも、ロジャーの顔を立てて私も穏やかな笑顔を浮かべながら
男の子にもう一度手を差し伸べる。

彼は、今度はおずおずと私の手に触れた。





寒空だったが、ロジャーと私と男の子は三人で孤児院の裏庭に行った。
表庭の方は他の子ども達が騒がしくて、ロジャーが嫌がるだろうと思ったからだ。
彼は、私に子どもの相手を勧めておいて自分は子どもが苦手だ。

だが、その選択は男の子のお気に召したらしい。
えらく古びた、何人の子どもを経たのかというコートの長い袖から
出た指をくわえながら、少しだけ笑ったように見えた。


「君は、数字以外は口にしないんだったね?」

「……」

「そうだな……なら、yesは1、noは0で答えてくれるかい?」


それは、ただの思いつきに過ぎない。
自分に向けての冗談だ。

だから勿論、答えなど期待していなかったのだが。


「One.」


私はその時、初めて男の子の声を聞いた。
少し驚き、本当に話を聞く気になって木陰に腰を下ろす。
ロジャーは少し離れた所にあるベンチに座った。


「……では。いきなりだけれど、10桁暗算が出来るのは誰かに習ったから?」

「0」

「自分で覚えた?」

「1」

「それは、何か生きていない物を見て?」


人間ではない、書物やテレビやコンピュータを一括して言うのに
使った言葉だが、男の子はまたくすりと笑った。


「1」

「君が10桁暗算出来る事がみんなに分かったのは、偶然?」

「0」

「……実は、普通に話せる?」

「1」


男の子はそこで大きく息を吐いて、ニヤッと笑った。
その表情は妙に大人びていて、今までの知恵遅れめいた表情は
演技だったのではないかと疑ってしまう。

その時いきなり、小さな体から信じられないほど落ち着いた発声の言葉が流れた。


「大人で、話す価値があると思ったのはあなたが初めてです」

「……」








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