Odd one 4 意外にも夜神の体の腐敗は始まっていなかった。 死後硬直も起こっておらず、それどころか体温すら感じる。 もしかしたら先程、我々が訪ねて来るまでは、生きていたのか……。 私が訪ねてきたと、教授が金髪に連絡した時点で 用済みとなって殺されたのかも知れない。 その可能性も十分に想定していた。 それでも助けに行きたいと、ニアは言った。 覚悟もしていたではないか。 夜神が死んだと、ニアに伝えればきっと眉一つ動かさず 「そうですか」と言うだろう。 今までの私は、彼のそんな所に安心していた。 けれど今回はきっと、ニアは、本当はどんな気持ちなのかと、 案じてしまうに違いない。 そんな面倒は嫌なのに。 厄介な、置き土産を残してくれた。 こんな事なら夜神とニアを、会わせるのではなかった……。 そんな事を考えながら手早く掛布を畳み、夜神の体とベッド周辺を調べる。 その体は、薬物中毒患者か何かのように、沢山のベルトでベッドに固定されていた。 肩、肘、腰、太股、臑、足首。 自由が利くのは首から上だけ。 足下には尿瓶や便を取る為の道具やウェスがあり、トイレにすら 行かせて貰えなかった事が伺える。 そう。別に、ショックを受ける程の事ではない。 発信器は、ずっと微動だにしなかった。 生きているとすれば、ピンで止められた蝶のような状態だと、 自分で思ったではないか。 夜神は、固定されたまま、寝返りも打てず、あの男に下の世話もされて、 ずっとここにいた、だから……。 ベルトで締められている部分にはもれなく鬱血と擦過創がある。 身をかがめて体の下を見ると、骨の当たる部分に褥瘡が出来ていた。 手当もされず、とても衛生的とは言えない環境。 滲み、垂れ、マットレスに染み込んだ膿が、この腐臭を放っているのだ。 服は、下着も含めて全て脱がされていたが、首を見ると、 鈍色のネックレスだけはそこにあった。 首を動かしただけでそうなるのか、あの金髪に引っ張られてそうなったのかは 分からないが、首回りに赤い線が幾筋も付いている。 昔、手錠で繋がれて生活していた頃、私の手首にもこんな痕がついた。 夜神の手首にも。 ……奇妙な事だが、その時初めて夜神を、哀れに思った。 前途洋々たる年若い男がキラだと確信した時も。 幾十日も監禁監視して弱っていくのを見続けていた時も。 あの暗く不潔な地下牢に幽閉されているのを見た時も。 屈辱にまみれながら、為す術もなく私に身を任せた時も。 夜神を哀れだなどとは、毛筋ほども思わなかった。 だが今、こんな縁もゆかりもない場所で、首に鎖の痕を付けたまま 虫の標本のように死んでいるのを見ると、心底哀れだと思う。 「月くん……」 死体に、声に出して話しかけたのは、初めてだった。 今まで見た死体には、話しかけるべき内容もなかったが。 だが偶には、映画やドラマのように、死者に言葉を贈っても良い。 夜神とは因縁浅からぬ仲だったし、二人きりになるのはこれが最後だろうから。 ……と思ったが、結局は何も考えつかなかった。 「……セックスなんかしなくても、あなたの肌は気持ちよかったですよ。 それでは少しだけ、自由にしてあげます」 身元不明人として機械的に処理されるであろう夜神の体に、 いかなる痕跡も残して置けない。 首にぶら下げた鍵を取り出し、夜神の発信器を解錠する為に 頭から外そうとしたが……、短くて外れなかった。 そう言えば、紐を固結びにしたのだった。 その辺りを探せばハサミくらいあるだろうが、せめて先に、 夜神から発信器を外した後にしよう。 こんな外し方をするとは、想像もしていなかったが。 首もとで鍵を摘んで、夜神の首に近づける。 夜神の首の後ろにだらりと横たわっている小さな手錠を目指し、 顔と顔が間近になった時……。 ……風? いや、微かだが、息を、している? いき?ている? そう言えば医療の基礎の授業を受けていたのも、教授と同時期だった。 いつもなら真っ先に頸動脈を確認するのに、その後呼気も瞳孔も確認するのに、 今回は手が丁度出ていたから手首の脈を優先してしまった、私としたことが、 軽く混乱しながら頸動脈に触れた所で、目の前数センチの睫毛がふわりと動いて、 濡れた瞳が現れる。 「……何、してんの」 「……」 掠れた、小さな声。 だが確認するまでもなく決定的に、生きていた。 ……十分に情報が与えられていながら、あるいは情報を得ることが可能な状況で なお勘違いをする、「ケアレスミス」だとか「早とちり」だとか言うのは 私が最も嫌う所だ。 頭が悪いのか冷静さを欠いているのか分からないが、 そんな事で取り返しが付かなくなる事もあるからだ。 特に私は、ほんの小さなミスも許されない、自分で許せない世界に生きている。 ……夜神が生きていた事より、 自分がそんな初歩的すぎるミスを犯した事に、愕然とした。 「L……?」 「スリーピング……ビューティを目覚めさせるのは、 やはり王子のキスかと思いまして」 動揺を悟られたくなくて、咄嗟に不味い嘘を吐く。 「王子……」 だが夜神は気付いた様子もなく、口元を歪めているのは どうやら笑っているようだ。 「気持ち、悪い事……というか、この、ベルト……」 「分かりました。少し待って下さい」 すぐにマーロウに電話をして、戻る事より教授と金髪を確保する事を 優先するよう伝えたが既に逃げられた後だった。 『あいつら何者だ?いきなりSMG出して突きつけて来たぞ。 車椅子にも爆弾を積んでいたようだし。 メモリは最後に放って寄越したが、ありゃ戻って来ねえな』 この部屋の簡素な様子は、既に移動先に重要な物は移してあるという事か。 それにしてもその慌てぶりでは、夜神を生かしておいたというよりは 殺す暇がなかったと言う方が正しいのだろう。 代わりに……。 肩と腕のベルトを外すと、腕の内側に詰め物がしてあった。 小学生レベルの手品だ。 普段の私なら絶対に引っかからない。 なのに。一体。 全てのベルトを外すと、夜神は身じろぎしたが 身を起こす事が出来なかった。 丸五日間、仰向けに固定されたまま身動き出来ないと言うのは 想像以上の苦行なのだろう。 戻ってきたマーロウと共に手足をマッサージすると ガチガチだった関節が少しづつ動き始める。 褥瘡が酷く痛むらしいので、取り敢えず患部にガーゼを当て、 マーロウが担ぐように運び出し、車まで運んた。 力自慢を雇って良かった……。 それから最寄りの闇医者で消毒と手当を受け、 塗り薬と鎮痛剤を処方して貰った。 健康体の男が褥瘡を患っていても何も訊かれないのはありがたい。 それとニアにも、デスノート試用の中止を連絡したが、 夜神が生きていたと伝えても「そうですか」と 感情の読めない返事があったきりだった。 こうして私は、予定外にも夜神を救い出した。 --了-- ※またしてもめっちゃ途中ですが一旦切ります。 ※フィリップ・マーロウはハードボイルドの人。 「私立探偵」の代名詞的な人です。
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