Odd one 1 ロンドンの、腕っ節の強い探偵 金さえ払えば余計な詮索をせず、きっちり仕事をしてくれる便利な男だ。 彼の伝手で手に入れた、古びたつなぎのズボンに足を通す。 上半身には二人とも薄型のボディアーマーを着込み、腋にホルスターを着けている。 つなぎのジッパーを、咄嗟にピストルを取り出せる程度の所までしか上げず、 それを隠すために首に薄汚れたタオルを掛けた。 鏡を見てみると、二人ともどう見てもくたびれた作業員だった。 夜神が消えて五日後。 死刑囚でデスノートの切れ端を試すリミットまであと二時間、という時になって 漸く突入準備が整った。 ロンドンに車で向かっている間に筋立てを考え、ロジャーと手分けして 早朝に電話を掛けまくったという粗い計画だったが、 即都合がつき、かつ小道具も準備出来る相棒を探すという 最大の難関も何とかクリア出来た。 私たちは、内装業者とその助手として、教授の部屋に向かう。 時間がなかったので教授が在宅かどうかは調べていない。 もし不在なら、フィリップ・マーロウ(あだ名だ)に開けさせて家捜しすれば良い。 実際に来てみると教授のフラットは、豪奢で古い建物だった。 業者の出入りも少なくなさそうで、都合が良い。 予め頼んでいた大家にエントランスを開けて貰い、部屋の前で呼び鈴を押すと。 「おはようございますぅ。連絡した業者ですぅ」 「……」 扉の向こうにいたのは、教授自身だった。 久しぶりに間近で見た教授は、遠目で見て想像していたより老いていた。 砂色だった髪は白が勝つようになり、元々色が悪かった肌は 今やなめし革のようになっている。 しかし眼光は相変わらず鋭く、冷徹な眼差しは私たちをじっと吟味している。 それにしてもドアが開いた瞬間……微かに、饐えたような匂いがした、気がした。 普通に訪問した家でなら、気になるレベルではない。 だが。 夜神がここで死んでいるであろうという先入観のせいか、 それとも別の理由か? 目の前にいるマーロウに聞いてみたいが、そういう訳にも行かない。 気を取り直して、マーロウの大きな体の陰から 改めて教授を覗き見た。 車椅子自体は、私が知っていた当時より格段にコンパクトになっていた。 しかしその胸の前にはスチールパイプが通され、キーボードやモニタが固定してある。 背後にも様々な機器が付随しているので、このフラットの広い廊下でも 転回に手間取りそうだ。 マーロウは要塞のようなその姿にも臆せず、愛想良く口を開いた。 「どうもー。すみませんねぇ。 真下のエドガーさんのお宅に入っている内装なんですが、 エドガーさんが最近どうも天井に気になるシミが出てきたって事で ちょっとだけ見せて頂けませんかねぇ」 汁物のゴミを放置していないか、水道や排水管に異常はないか、 こちらに問題がなかったら床と天井の間に入って調べてみる、 というような事を慣れた風に事務的に伝える。 私はその間教授の表情を注意深く観察していたが、 残念ながらいかなる小さな変化も顕れなかった。 マーロウの口上が一通り終わると、教授がこちらに顔を向けたまま 指だけ最低限動かしてキーボードを叩く。 やはり、Enterキーだけがカタ、カタ、と小さな音を立てた。 こちらに向けられたディスプレイを注視していると、 『ヨロシイ ドノ 辺りヲ 見タイノカネ』 突然、合成の機械音声が流れた。 驚いて思わず教授の顔を見てしまうと、真正面から目が合ってしまった。 まずいな……。 取引の時は、盗聴を警戒してモニタで会話していた訳か。 考えてみれば大学で講義をしているのだから、これくらいの装備はあるだろう。 迂闊な事をしてしまった……。 今の振る舞いで私が「アーロン」の関係者であると、悟られてしまったかも知れない。 内心冷や汗が流れる思いだったが、教授は何も言及せず 肘掛けについたジョイスティック・レバーを操作して器用にくるりと転回した。 着いてこいという事だろう。 バレていない、のか? 教授の居間は広く、コンピュータこそ充実していたが、 老齢の大学教授の部屋としては非常に簡素なものだった。 書類も几帳面に整理されて背の高い書類棚に納められている。 『えどがー氏ハ 部屋ノ 模様替エ デモ スルノカ』 「はぁ、客用寝室だけ壁紙を張り替えたいそうなんですが、 その天井にですねぇ、微かですがシミが」 『コノ階ノ セイデハ ナイ』 「ああ、この部屋ですねぇ。開けても良いですか?」 マーロウがリビングの一角にある、目立たない扉の前に立つと 『NO』 淡泊な機械音声とは対照的に、教授が険しい表情を浮かべていた。 厳めしく容赦なく、ほんの僅かだけ、怯えの色が混じった目。 私はマーロウの横から顔を出して、発信器があった位置の座標と 部屋の見取り図を確認する。 間違いない。この中に、少なくとも発信器は、あった。 恐らく今もあるだろう。 もしかしたら、夜神の体も。 『ソノ部屋 ニハ 病人ガ イル。べっど以外 何モ ナイ』 「すみません、少し床を調べたらもう終わりますんで」 マーロウが、無頓着な振りをして、ノックをする。 教授は動かない。 まあ、死に物狂いで止める位なら最初から我々を入れないだろう。 ドアを開けると、気のせいではない腐臭が濃く漂った。
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