Near 2 「ところであの子、いくつなんだ?」 「二十歳にはなってない……と思うんですけど」 「え、そんな年齢なのか?せいぜいミドルティーンかと思った」 「特殊な環境にあると、見た目の年齢も当てにならなくなりますよ」 「じゃあ、おまえも見た目よりトシだったり逆に若かったりするんだ?」 「どうでしょう」 夜神は紅茶に口を付けながら、ニアの寝顔に横目で視線を送った。 確かに、ニアは元々小柄で若く見える。 それが環境によるものか遺伝なのかは実は私にも分からない。 「まあ、どんなに若くても頭の良い奴は良いから、意外でもなかったけど。 正直、ニアを最初に見た時は健常者じゃないんじゃないかと思った」 「無理もありません」 「いや、おまえもだけど」 「私ですか?センター試験で目が合った時ですか?」 「とてもまともじゃないと思った」 まあ……我ながら、周囲の目を気にしなさすぎだとは思ったが それをどうにかする気はなかった。 別に苦でもないし、変える必要も感じなかったからだ。 それでも、あの極東の島国で私にしては沢山の他人と過ごし、 夜神と寝食を共にして、自然と多少変化したと思う。 あれは本当に珍しい経験だった。 「……確かに私たちは、サヴァン症候群的な部分があると思います。 卓越した才能を持っている自覚はありますが、それだけではない」 「だね」 「ニアは見た目も子どもなら遊びの志向も子ども。 体は健常ですが一切動く気がないので、軟体動物のような体です」 「酷い言い草だな。僕はそこまで言ってないぞ」 「私はご覧の通り口唇期固着がありますし、こういった座り方を 胎内回帰願望だと言われれば返す言葉もありません」 「大丈夫。気持ち悪いとか思ってないから」 「大丈夫です。その程度で傷つくようなヤワな精神構造してませんから」 私が、夜神にキラだと言った仕返しかも知れないが 生憎先天的に他人の悪意には鈍感な質だ。 逆に、夜神の方が少し傷ついたような顔をしているその意味が、 理解できない。 「つまり……おまえたちは、人工的なサヴァンという事か? 精神的な成長や社会性を犠牲にして、思考力を手に入れたのか?」 自閉症であったり、知的障害を持っていたりしながらある一点に関して 人間離れした才能を持つ者をサヴァン症候群と言う。 彼らが、健常な精神・頭脳を犠牲にした代償に天才を手に入れたという 考え方をするなら、夜神の言う通りだろう。 だが。そんな訳はない。 「結果としてはそうなりましたが、作られた訳ではないですよ」 「本当に、そうかな?」 「私は元々精神年齢が低くて、IQは高かった。 幼児性から来る癖の方には触れず、IQを伸ばしてくれた。それだけです」 「何故、触れなかったんだろうね?」 夜神は唇の片端を歪めて笑顔に似た表情を作った。 何かを企んでいるような……涙を堪えているような…… 何とも判断出来ない不思議な表情だった。 ただ直感的に、ここは少し空気を変えるべきと判断して、 敢えて見当はずれの返答する。 「癖は……明らかに、母親だった人間の愛情不足、世話不足でしょうね。 特に困ることもないので問題ありませんが」 「そうか。Lのお母さんってどんな人?」 「覚えていません」 「……ごめん。ってこんな気遣いも不要か」 「はい。全く気になりません」 「でも、養育してくれた人はいるんだろ?」 「いましたが、矯正らしい事は一切されませんでしたし、その事に感謝しています」 背筋を伸ばしなさい。 フォークとナイフを使って食べなさい。 食べ零してはいけません。 食べている時に口を開けてはいけません。 物語やTVドラマで見る子ども達は、随分窮屈そうだと思った。 彼らの周囲の大人達は、意地悪なのだろうと思った。 まさか彼らが、そうやって他人を不愉快にさせないように心を砕かないと 生きていけない程無力だなんて。 大人達はそれが分かっているから一生懸命躾けているだなんて、 思いも寄らなかったのだ。 「何だか、怖いな」 「私の育ち方がですか?」 「それもだけど、質問すればするだけ答えてくれる事。 Lのプライバシーをそんなにぺらぺらと喋っていいのか?」 「良いわけないじゃないですか。 ここまで聞いた以上、私の元から生きて逃げる事は叶いませんよ」 「やっぱり怖い」 とても怖がっているとは思えない微笑を浮かべて、夜神が肩を竦める。 「嘘です。半分は冗談です。 本当は、このままではアンフェアかと思いまして」 「半分かよ。というかフェア?」 「私はあなたの半生も性格もほとんど全て知っているのに、 あなたは私の個人情報をほとんど何も知らない。面白くないでしょう?」 「……ああ。面白くない。ゲームとしてね」 勿論、自分のことを馬鹿正直に洗いざらい話すつもりはない。 ゲームはフェアでなければ面白くない、それも確かだが 負けては更に面白くない。 確実に勝つには多少のイカサマは必要だ。 夜神もそこの所は重々承知しているだろう。 実際、デスノートだの死神だのも、イカサマも良いところだった。 「今後は何でも聞いて下さい。答えられる範囲なら答えます」 「じゃあさ、癖、直すつもりはない?」 「ありません。普通の座り方では思考力40%減というのは伊達ではありません」 「嘘つけ」 「どうとでも」 「本気で、癖を直したら推理能力が落ちると思ってるのか?」 「ですから、必要がないから直さないだけです」 夜神と私が完全に対等な状態で推理合戦をしたら、あるいは IQテストでもすれば、恐らく私が勝つだろう。 その事を、夜神も薄々感じている。 だが、社会性では到底敵わない。 だから夜神はそこに固執する。 心の奥底に幼児性を大切に隠している彼よりも、 公表している私の方がよほど健全なのではないかと思った。 「そんな顔するなよ。本気で心配してるんだよ」 「あなたに言われたくないです」 「表面上の癖を矯正するんじゃなくて、癖の原因を取り除く 根本治療だったら良いだろ?」 「本っ当に余計な……」 その時の夜神の表情は到底私を気遣っているとは思えず、 どちらかと言うとクリスマスプレゼントを目の前にした子どもの顔だった。 「……ゲームですか?」 「当たり」 「馬鹿馬鹿しい。私は付き合う気はありませんので、ニアに言って下さい」 夜神が、私の幼児性を抜き取り、社会性を身につけさせる? それも、矯正ではなく根本的に? 本当に余計なお世話だ。 必要ならとっくに一流のカウンセラーでも呼んでいる。 と罵りたいが、夜神自身の「ゲーム」だと言われてしまうと 自分の感情を盾に断りにくい。 「ニアならいいのか?」 「そこは、ご勝手に。 但し言った通り、絶対に矯正も強制もしない方向でお願いします」 「なるほど。考えてみるよ」 何を考えても、この数日でニアを変えられる訳がない。 ニアの精神はそんなにヤワではない。 夜神のお手並み拝見と行きたい所だが、結局遊びは遊びで終わるだろう。 「ん……」 その時、ニアが体が痺れたのか魘されたのか、小さく呻いた。 「もう、ベッドに運んだ方が良いね。L、足を持ってくれ」 「仕方ないですね」 私がニアの膝の裏を支えると、夜神がニアの上半身を抱くように 脇の下に手を入れる。 「う……」 「ニア。私の首に、手を回したまえ」 夜神が、ニアの耳元で低く囁く。 それはロジャーの声のトーン、ロジャーの話す速度を真似た声だった。 発音すらクイーンズイングリッシュになっている。 「はい……」 目の覚めないニアは、驚くべき事に素直に夜神の首に腕を回して 自分の体重を支えた。 夜神が私の目を見てニヤリと笑う。 もし夜神がいつもの通り米語で話していたら、ニアは即座に目を覚まして 夜神を突き放しただろう。 ニアを油断させるポイントを、こんなに短時間で的確に掴んだ夜神。 もしかしたらアイバー並の詐欺師になれるかも知れない。 ニアをベッドルームに運んで横たえると、くたりと腕が垂れた。 半分以上寝ているが、本能的に弛緩出来る寝床にたどり着いた事が 分かったのだろう。 「戻りましょうか」 「いや、僕はここにいる」 「何のために?」 「念のために。っていうのはニアのセリフだけど、実際いつ目覚めるか 分からないし」 「目が覚めたら勝手に向こうに来ますよ」 「僕は、今はニアの世話係だよ。 それにニアになら、ゲームを仕掛けていいんだろ?」 またゲームか。 寝室で、寝ている相手に何を仕掛けると言うのだろう。 「この部屋のシャワー、使ってもいいかな?」 ……まさか不埒な事はすまいが。 もしニアが目覚めたら、同じ部屋に夜神を発見して どんな顔をするだろうと思ったら思わず笑いがこみ上げてきた。 「何をしても良いですが、彼を起こさないで下さいね」 我ながら人の悪い笑みを浮かべて、私は居間に向かった。
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