Near 1 「ワタリさんに、ニアの世話の仕方を聞きたいんだけど」 「はあ。適当で良いと思いますけど」 「自分から引き受けた以上、それは出来ないよ」 部屋に案内したと思ったら、落ち着く間もなく夜神が口を開いた。 彼にはこういった律儀さもあるらしい。 望んでいない仕事でも成果を求められていない仕事でも、 可能な限り完璧に近づける努力をする。 私には真似の出来ない一面だ。 仕方がないので本館からロジャーを呼んだ。 しばらく夜神にニアの世話をさせる旨を告げると少し顔を曇らせ、 歩行がやっとの夜神を気遣う体で室内の世話だけを任せると言った。 食事などは部屋まで運んでくれるらしい。 室内の世話とは、即ちニアの良いタイミングで食事を促し、入浴を促し 着替えさせ、彼が休むことを忘れていたらさりげなく体を休めるように勧める。 その他はニア自身の希望に、ニアが納得行く結果を出す。 それだけだ。 それだけとは言ってもニアの事を良く知らなければ「完璧」は難しい。 が逆に、何もしなくても支障がないと言えばない。 夜神は少し不満そうだったが、勝手の分からない屋敷内、 結局それを受け入れた。 しかし。 『ただし、ニアに対する教育や指導は、一切不要です。 あなたの方が年上ですし色々歯がゆい事も出てくるでしょうが Lと同じく、彼も必要な教育は自分で自分に施す人間です』 ロジャーからそれを聞いた夜神の表情を見て、一抹の不安を覚えたのは 私だけだっただろうか。 とにかくそういう訳で、ニアの居室となっている広間の壁際の、 PC群の前を夜神と私の指定席とすることにした。 私はここでも自分の抱えている事件の捜査は出来るし、 データ収集など手間の掛かる仕事は夜神に手伝わせる事が出来る。 ニアは私たちを無視して、スパチュラで小さな粘土をいじっていた。 勿論傍らにはノートPCがあり、恐らく捜査資料をフラッシュ表示させている。 夜神はと言えば、ニアに話しかけもしないし私に対してニアの話もしないが それでもさりげなく様子を見ていた。 到着早々、話もせず三人で午後を過ごす妙な事になったが ニアも私も気にしないタイプなので、居心地の悪い場ではなかった。 アウェイの夜神がどう思っていたのかは分からない。 日が暮れて、動きがあった。 夜神が内線電話を取り、「19:00に三人分夕食をお願いします」と言ったのだ。 ニアが驚いたように顔を上げる。 「私はお腹空いてません」 「でも決まった時間に口に入れておかないと」 「非効率的です」 「規則正しい生活の方が頭の回転も良くなるよ」 「……L。あなたが連れてきたんですよ?」 うんざりしたように、私の方を向いた。 面倒くさいから説明しろと言うのだろう。 人使いが荒い。 「月くん……私たちは、謎解きだけに特化して育てられ、生活してきました」 「ああ、分かるよ」 「今更、健康的な生活の必要も、人間としてバランスを取る必要も ないんです。その結果寿命が縮んでも構いません」 「歪だな」 「はい。その通りです。 したくない事は何もしなくていい、仕事さえこなせば良い、という 一般的にはどうかという生き方です」 「……」 「あなたから見れば私たちは甘やかされ、我が侭放題の子どもなんでしょう。 でもそれでいいんです。それを変えないで下さい」 「分かった……けど、心底おまえたちが気の毒だと思うよ」 言葉つきはしおらしいが、ニアに背を向けて私の話を聞いている夜神は 実はニヤニヤしている。 馬鹿らしい。 ロジャーの言葉を十二分に理解した上で、ニアを揶揄っているにすぎない。 確かに可愛がってやれとは言ったが、私まで面倒に巻き込まれるのは予定外だ。 私もうんざりして、甘い物が食べたくなった。 「丁度区切りがついたので、お茶にしましょう」 夜神が内線で夕食のキャンセルなどを連絡すると、 間もなくロジャーがフルーツケーキを持ってきてくれた。 夜神がきれいに八等分して、私の目の前には取り皿とカップだけ置く。 好きなだけ取れという事か。 「ニアは?」 「……」 「ニア、ケーキは食べるか?」 「何ですか?」 「ケーキ」 「……私は、いりません」 「そう」 今のニアはわざと無視している訳ではなく、 成型に集中しているだけらしい。 「尋常じゃない集中力だな」 夜神が小声の日本語で言った。 やはりニアに興味がある、か。 「いかにも天才という感じだ」 「月くんは経験ないんですか? 私なんて気が付いたら丸二日経っていた事もありますけど」 「僕が二日も食事も摂らず風呂にも入らなかったら、 家族が放っておいてくれないよ」 家族。 恐らく無意識に口にしてから、夜神の表情が微かに歪む。 今は亡き父・夜神総一郎に、夫と息子を失った母。 回復傾向にはあるものの、心に大きな傷を負った妹。 彼らと夜神月は、ある一時までは絵に描いたように幸せな一家だった筈だ。 少し不自然な程の長さの、沈黙が落ちる。 「……私は諸事情あって、今までに沢山の天才を見てきました」 「おまえ自身も含めて?」 「そうです。そしてあなたもです」 「ははっ。謙遜した方が良いのかな」 「あなたは、私が見た中で一番特殊な天才です」 「?おまえやニアの方がよっぽど特殊だと思うけど」 「いいえ。私たちは、無駄な事は一切排除しての現在なんですよ」 「……」 「無駄の最たる物は社交辞令ですが、その他人間関係をスムーズにするための さまざまな配慮、生活習慣・社会通念の習得、道徳教育、 必要以上の健康管理等もそうです」 「道徳教育は必要だろう?」 「知識として持っていますが、ニアも私も自分の判断でキラを悪としました。 恐らくあなたが神となった後の世界に生まれたとしても、同じですよ」 「……」 「話が逸れましたが、あなたは私たちから見れば、 無駄な時間を沢山ロスした人生を送ってきています。 しかしそれでいて尚、私たちと拮抗出来た。驚くべき事です」 毎朝決まった時間に起きて歯を磨き、ネクタイを絞め、 必要もない授業を受けて、浮かべる表情を計算し、 レベルの合わない友だちと時間を過ごして、家族に気を使い…… 私なら、何年もそんな生活を強いられたら擦り切れる。 毎日のルーティンワークをソツなくこなしながら自分を失わず、 頭脳の使い方を忘れなかった夜神の精神は本当に驚異的だ。 「あなたのような人を、本物の天才と言うのかも知れません」 夜神は複雑そうな顔をした後、「どうも」と口の中で呟いた。 「気持ち悪いな。で?何が言いたい訳?」 「私たちはあなたと決定的に違うという事です。労って下さい」 「……要するにニアをもう揶揄うなという事か」 「端的に言えばそうです」 本当は、夜神がもし家族や社会に煩わされていなければ もっと凄まじいモンスターにでも、合法的に一国を掌握出来る人間にでも なれていたのではないかと思った。 だがそれは言わない。 言えない。 夜神局長と夜神は、私には知り得ない家族の絆という物の片鱗を 見せてくれた。 「分かった。僕の配慮が及ぶ限りは努力するよ」 「ありがとうございます」 「僕がキラだった頃、おまえの発想には何度も驚かされたし 煮え湯も飲まされたが、その秘密が分かった気がする」 「『だった』ではなく、あなたは現在でもキラです。その烙印は一生消えません」 「……ああ。そうだな」 私たちの話を聞いていたのかいなかったのか、大人しかったニアが、 その時崩れた。 夜神が、私より先に機敏に立ち上がる。 ニアの前髪が紅茶に浸かる寸前に、カップを避難させる。 ニアはいつも脱力した座り方だが、急に睡魔に教われるらしく その場で突然崩れて猫のように丸まって寝てしまうことが多い。 夜神は予想していたのか驚きもせず、紅茶をテーブルに戻して ベッドルームから枕と毛布を持ってきた。 「何となく、さっきから眠そうだったから」 うっかり物問いたげな顔をしてしまっていたのだろうか。 私の心の中の疑問に答えながら夜神はニアの頭の下に枕を入れ、 毛布を掛けて、エアコンを何やら調節する。 「風邪をひかないように、少し温度を上げて加湿したよ」 「そうですか」 「一時間経って起きなかったらベッドに運ぶから手伝ってくれ」 「私がですか?」 「他に誰がいる?」 そのまま私の答えを待たずPC前に戻り、 何事も無かったかのように作業の続きを始めた。 スマートで無駄のない動き、その内容も私には思いつかない、 なかなか気が利いた対応だと少し感心した。
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