月百姿 12 十年前の背広を着れば、大概の者は身体に合っていなかったり流行遅れであったりと無様になる物だ。 しかし夜神は、まるで昨日仕立てたかのように華麗に着こなしていた。 自分の様相が社会から浮いていないか、前科者である事が滲み出ていないか、気になってどこか挙動不審になる方が自然だと思うのだが。 夜神は刑務所の正門から出て来ると、出所した囚人がよくするように足を止めて深呼吸したりきょろきょろしたりもせず、そのまま歩いて行った。 まるで偶々刑務所の側を通りかかったかのように。 「出して下さい」 私はしばらく夜神を見送った後、運転席のワタリに声を掛けた。 歩き続ける夜神にゆっくりと併走すると、暫くして前を向いたまま足を止める。 「乗って下さい夜神くん」 じろりと私を見下ろした夜神は、それでも素直に後部座席に乗り込んで来た。 「取り敢えず私が建てたビルに移動します」 「……もう、迎えに来ないかと思った」 「あなたがどんな顔で出所するのか見てみたかったんです」 夜神はただ溜め息を吐いて、窓の外の景色に目を遣る。 さすがに少し懐かしそうに見えた。 「変わってないな……って当たり前か」 「はい。私もこの十年日本に居ませんでしたし」 かつてキラ事件捜査本部であった建築物は、管理会社のお陰で当時のまま痛みもせずに保たれていた。 勿論、PC類は総変えしたし金属探知機も外したので、今は出入口の検査が少し厳しいというだけの建物だ。 名目上は、外国人の社員が日本に滞在する際の寮という事になっている。 「PC、触って良いか?」 「良いですよ。情報は何も入っていませんが」 メインスイッチを入れると、久しぶりのせいか起動するのに時間が掛かったが、夜神は楽しそうに指のストレッチをしながら待っていた。 「……え?OS、前はWindowsじゃなかったよな?」 「はい。これはまぁ、誰に見られても構わない観賞用のPCですから」 「XPだ……懐かしい」 「今はさすがに古いですね。Windows 9がもうすぐ発売されます」 「ああ、新聞で見た」 言いながら夜神の視線は画面に釘付けで、十年ぶりとは思えない滑らかなマウス操作と打鍵で次々とWindowを開いて行く。 「中でも新聞は読めるんですね」 「塗り潰されてる記事もあるけどね。舐めるように読んだ」 夜神は暫く遊んだ後、私の目も憚らず「キラ事件」を検索した。 キラ事件が、キラが、世間でどう認識され、決着したのか知りたいのだろう。 「ふぅん、結局『少年A』が犯人らしい、という報道で最後か」 「報道各社で競って少年Aの正体を探っていましたが、警察関係者の親族であるという所までしか調べられていません」 「そこまで知られてたら不味いだろう!」 「因みにあなたは、キラの正体を嗅ぎ付けたのでキラに殺されたという事になっているみたいです」 「ああ……」 もうおまえの帰る家はないぞ、と伝える為に言ったが、夜神は特に表情を崩さなかった。 刑務所では朝食を食べさせてから出所させるので、我々の初めての食事は昼食だった。 とは言え外に出すつもりはないので、何か宅配の希望は無いかと聞くと、少し躊躇いがちに「拉麺」と答える。 安い胃ですねと答えて夜神に任せると、少し検索してから近くの店に出前を頼んだようだ。 「ええ、はい。ビルの玄関に取りに行きます。 それから高層階までエレベータで運ぶので、すみませんが食べ頃より三分は早く到着するようお願いします」 「……誰が取りに行くんですか月くん」 「僕が取りに行ってもいいのか?」 「……」 私は仕方なく、夜神に渡された金を持ってエレベータに向かった。 「僕の奢りだよ。今日だけだけど」 「はぁ、そうですか。作業で稼いだ金ですね。十年でいくら位になりました?」 「おまえの一ヶ月の生活費くらいかな」 「教える気が無いのならそう言って下さい」 拉麺を盆に乗せてエレベータを降りると、夜神が待ち構えていた。 私から奪うように受取り、捜査本部の机の上に置く。 「もっと急げよ」 「普通に来ましたけど」 夜神は応えずに割り箸を割り、追い立てられるように素早く小さく手を合わせた。 「頂きます」 「刑務所の中でも、」 またもや私を無視して、麺を啜り始める。 始めは上品に、ゆっくりと。 やがて貪るように。 「美味しいですか?」 「……」 あの夜神が。 餓鬼のように、飢えた獣のように、拉麺を腹の中へと流し込んでいく。 私は思わず惚れ惚れと、その姿に見惚れてしまった。 夜神が、食べている。 あの夜神が、本当に私の目の前に居る。 生きている……。 「中では麺類は出なかったんですか?」 「……年、末に、蕎麦が、出た位だな」 私が半分食べる前に全部食べ終わり、汁まで飲み干して、夜神はまた手を合わせた。 「ええと……まだ、お腹空いてます?」 「……」 「良かったら、これ、食べます?」 「……おまえが食べないなら、貰う」 夜神が私が残した伸びた麺を啜っている間に、私は冷蔵庫の中から用意したケーキを取りだした。 四種類のカットケーキを並べ、麺の汁を飲んでいる夜神に声を掛ける。 「どれが良いですか?」 「僕が選んで良いのか?」 「良いですよ。今日だけですが」 「珍しいな。おまえ、滅茶苦茶ケーキが好きだろう?」 「好きというか……まあ好きですけど。 今日は一応出所祝いという事で、月くんに先に選ばせてあげます」 「その割りにはおめでとうの一言も言って貰ってない気がするけどね」 横目で私を見ながら言うが、特に気を悪くしてる様子では無さそうだ。 「別に私にとってはめでたくもないですし」 「ああ、そう。じゃあその苺のショートケーキ」 「Layered cakeですか……私、これ一番好きなんですよね」 「ならその隣のチーズケーキで良いよ」 「う〜ん……」 「やっぱりおまえが残したのでいいって」 「いえ!チーズケーキで良いです。残したのとか言われたら全部残りませんし」 先程とは逆に、夜神が一個のケーキを食べる間に私は三つ食べた。 まあ、拉麺を一人前半食べた後なのだから遅くて当然だが。 「美味しいな、本当に美味しい」 「刑務所に長く入ると、甘い物に飢えるそうですね」 「ああ。人に依っては酒の方が恋しいようだけど」 会話は……面倒だ。 面白くも無く、建設的でも無く、死ぬほど退屈で。 人間は情報を伝え合う為に言語を発明したのだ。 時間を無駄に潰す為ではない。 それでも。 彼の声を聞くのは……悪くない。 脊髄を駆け上がるような、欲望を刺激する声。 「食べ終わったらシャワー浴びて下さい」 「……え?」 「刑務所ではゆっくり風呂に入った事もないでしょう? 十年間の垢を落として下さい」 「……清潔だよ。それなりにね」 青醒めながらも、素直に浴室に向かうのは良い様だった。
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