月百姿 11 二週間後、私は日本に居た。 キラ事件以来、十年ぶりだ。 そしてある刑務所を訪問している。 薄灰色の部屋で簡素な椅子に座っていると、透明板の向こうの扉が開いた。 現れた人物は俯いていたが、ゆっくりと顔を上げて私を認めると口を開け、驚きを隠しもせず目を見開く。 『L……!』 「お久しぶりです。月くん」 夜神は。 十年前に自殺未遂をしたが、何とか命を取り留めていた。 その時は本気でどうでも良いと思ったのだが、今となっては生きていてくれて良かったと思う。 「今回もワタリかと思いました?」 『……』 ワタリには何度か面会に来させていた。 キラ事件について何度も質問したそうだが、黙り込んだままだったと言う。 十年前のあの日。 病院に搬送されて治療を受け、昏睡状態から醒めた夜神は、自分がキラだと公式に認めた。 その証言と自白書に従って緊急逮捕されたのだが、以降の取り調べでは中々犯行の詳細を吐かなかった。 デスノートで殺した人間の名前を暗唱して見せ、私に疑われて火口にデスノートを移動させた事、自ら記憶を失った事などをぽつぽつと自白したそうだが。 いずれもキラ捜査本部に出入りしていた人間になら簡単に証言出来る内容だ。 もしかしたら、敢えてそういった情報を注意深く選んでいたのかも知れない。 つまり、自白以外に彼をキラだと決定づける証拠は何も挙げられなかった。 かと言って釈放するわけにも行かず。 精神鑑定を受けさせてみたり、そもそもキラだとしても不能犯であろうという論議を巻き起こしたり、警察庁内では大騒ぎだったようだ。 結局、別件逮捕という形で勾留収監して観察する事にしたようだが、未成年であったという事で氏名も公表されず、一般の受刑者と同等に扱われている…… 「ところで、またやらかしたそうですね」 『……』 「今回は刑務官を殴ったとか?」 『……』 「これで何回目ですか?」 夜神は少し苦笑した後、口を開いた。 『……随分久しぶりだと言うのに、いきなりそれか』 どうやら私は、しゃがれ、疲れた声を想像していたらしい。 静かではあるが、昔と変わらずよく響く声に、少し驚いた。 「色々聞きたい事が有り過ぎて、追いつきません。 まず、仮釈放が近付くと問題を起こすのは、何故です?」 俯いたままじっと私の言葉に耳を傾けていた夜神は、漸くゆっくりと顔を上げた。 薄緑色の囚人服が、全く似合っていない様にも似合い過ぎている様にも見える。 『……分かって、いるんだろう。おまえには』 「何故あなたが出所を嫌がるか、ですか?」 『そうだ』 「私が身元引受人だからですかね」 『……正解』 両手を机に置いたまま、薄日が差すような有りか無しかの笑顔を浮かべる。 夜神の背後に立って監視している刑務官が、じろりと目を動かした。 「何故、それが嫌なんです?仮にも三ヶ月も寝食を共にした仲じゃないですか」 『……』 「正直、あなたに嫌われる心当たりがありません。あなたを自首に追い込んだのもアイバーですし」 『……』 「あ。今まで会いに来なかったから拗ねてるんですか?それは謝りますすみません。まあぶっちゃけ今まで忘れてたんですけどね、でもいつでもあなたを引き取るつもりでは居たんですよ?ワタリから聞いているでしょうが」 自分がこんなに饒舌になっている事が、面白かった。 どうやら私は久々に夜神を見て興奮しているらしい。 『……僕は』 「何です?」 『何でも無い』 「何でも無い事はないでしょう?キラなのに破格の刑期の短さは私が身元引受人だからこそという部分も大きいんですよ?これは日本の司法と探偵Lとの取引になりますので詳細は言えませんがあなたのお父さんも納得づくです」 『……』 「まあいいでしょう。今日は問題を起こそうが何をしようが、連れて帰ります」 『え?』 夜神は不意を打たれて顔を上げると、目を見開いたまま再び俯いた。 「取引だと言ったでしょう?世界中の警察を動かせる私を舐めないで下さい」 『何故、急に』 「急に、でもないんですが……今回私が直接来た理由は、私にとって月とは心で観る物ではなく、この手で奪う物だと、気付いたからです」 『何の話だ?』 「こっちの話です。とにかく今日は、出て来て下さい」 『……嫌だ』 夜神は俄に、怯えた、あるいは威嚇する動物のように、軽く背を丸める。 背中の毛を逆立てた「Light」を思い出した。 「何故ですか?刑務所よりは良い待遇にするつもりですが?」 『だっておまえは』 「……だって私は、何なんですか?」 『……』 「黙っていては分かりません」 台に置かれた夜神の手に力が入り、関節が白くなる。 それでも彼は、何かを待っているかのように止まっていた。 ……やがて、決然といった様子で顔を上げて。 『おまえとヤる位なら、死んだ方がマシだ……!』 「……」 私は背もたれに凭れて、指を囓った。 知らず、ニヤリと口が笑ってしまう。 「へえ……気付いてたんですか、私がゲイだと」 『それは、気付くさ。……それに、僕を変な目で見ていた事も』 「それでいて私にそれを悟らせず、三ヶ月間も一緒に暮らしたんですから大した物です。 私も気付かれないように気を付けていたつもりなんですが。まだまだでしたね」 『男だと言うだけでなく。キラに欲情するなんて、変態だ』 「そうかも知れません」 私は更に愉快になって来て、夜神と私を遮る樹脂の板に、顔を近づけた。 夜神はギョッとしたように少し後ずさる。 「それで、私と寝るのが嫌だから出所しない、と」 「そうだ」 「成る程、良いでしょう。それではどちらかを選んで下さい」 彼はその美しい眉を顰め、続きを促すように首を傾げた。 「私とこの監獄を出て行くか、それとももう出ないか」 『……』 「その二択です。 ああ、後者を選んだ場合は私もワタリも二度とあなたの前に姿を現しません」 『そんな事言っても、』 不機嫌に唇を歪めた夜神の目の前に(と言っても樹脂板越しだが)掌を突き出す。 「いえ、勿論あなたの出所を邪魔するつもりもありませんから、これまで通り模範囚で居ればすぐに外に出られますよ」 『……』 これは、おまえにとってアンフェアでも何でも無い条件だろう。 少しだけ出所が早いか遅いかの違いだ、おまえに不利益は全く無い。 だがだからこそ、おまえは悩む。 ……そうだろう?夜神月。 「どうしますか?」 『……』 「あなたが自由に選んで下さい、今。 どうしますか?……月くん」 硬直した夜神の背後で、刑務官が少し俯いて帽子の鍔に手を遣ったのが見えた。
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