月百姿 8 「L」 火口を捕らえ損なって、デスノートを確保して。 十三日のルールから、夜神はキラでは有り得ない、という結論に至った。 逆に言えば……そのルールさえ偽物なら、夜神がキラで決まりなのだが。 もやもやしながら手錠を外し、三ヶ月ぶりに夜神と別行動をしているとアイバーが個室を来訪した。 「ああ、お疲れ様でした。アイバー」 「はい」 「一応、今回の仕事はこれで完結です。 何か用事があるのなら、飛行機のチケットが取れ次第、」 「いえ、そうではなくて」 手錠が外れた途端にこれか……と少々うんざりしたが、アイバーはいつになく真剣な顔をしていた。 「彼……記憶、戻ってますね」 「……」 思わず、大きく息を呑んでしまったがゆっくりと吐き出す。 「……やはり、そう思いますか」 「ええ。例によって勘ですが」 勘だの言うに言われぬ感覚というのは、危険だ。 非常に慎重に取り扱わなければならない。 だが、全く信用しない訳ではない、むしろ経験上勘や霊感に従った方が上手く運んだ経験も多い。 それに、大概の「勘」には、実は根拠があるものなのだ。 私も潜在意識を掘り起こしながら口を開く。 「いつからだと思います?」 「今日は、今日ですね」 「私は……」 ヘリコプターに乗るまでは、違和感はなかった。 やはり、あの……殺人ノートを渡した瞬間……。 あの混乱振りは死神を見た所為だと、その時は思ったが。 「火口が死んだ辺りかと思います」 「悪魔のようなものが、火口から抜け出してライトに戻った……?」 「それは分かりませんが」 アイバーは顎に手を当てて少し考え込むようにした後、全く普段通りの笑顔で私を見た。 「L。前に私が言った事を覚えていますか?」 「『夜神がキラだと納得したら、全力で証拠を掴む』というやつですか?」 「そうです。という事で、私はライトの所に行って来ます」 「……自分が何を言っているのか、分かっているのですか?」 アイバーは耳の上を掻いたが、それも本当の癖ではなく「少々困っている」という表現なのだろう。 少し苛々した。 「彼は、キラです。そしてその気になれば、顔だけで殺せるようになる可能性も充分あると私は考えます」 「でしょうね」 「ならば。あなたが尋問らしき事をした途端に殺される可能性もある、という事です」 「分かっていますよ」 「彼に、尋問されていると気付かれないように尋問して、しかもキラだと白状させ、殺される前にその殺人手段を奪う。 そんな離れ業があなたに出来るんですか?私は出来るような気がしません」 「……」 アイバーはただ苦笑いに見える笑顔を浮かべ、それ以上私が口を開くのを避けるように、素早く部屋を出て行った。 部屋に備え付けの電話があるのに、携帯電話が鳴ったのはそれから三時間三十分後だった。 正直、アイバーが心臓発作で死ぬ可能性は低くないと思っていたし、内心焦燥していたが、腹いせにわざと数回待ってから取る。 『L。ライトの部屋に来て下さい』 説明の無い最小限の言葉にまた苛立ちながら夜神の部屋に入ると、夜神は着衣のままベッドの上に横たわっていた。 アイバーの方は憔悴した顔で、一人用の椅子に座っている。 これは、一体。 「月くん、」 これはどういう状況なのかと詰問しようとしたが、 「L」 夜神に先に遮られた。 彼にしては珍しく、行儀悪く横たわったまま口を開いている。 「何ですか」 「……認める」 「はい?」 「僕が、キラだ」 「!」 思わずアイバーを見るが、背凭れに体重を預けたまま目も合わせない。 本当に、夜神に自白をさせるとは……。 余程はっきりした証拠を、突き付けなければ無理だと思っていたが。 何か、突き付けたのか? まさか、目の前で殺しをさせた? 「……なるほど」 「ああ」 「では、少し訊いて良いですか?」 「いや……正直、疲れているし、同じ質問を何度も受けるのも嫌だ。 明日朝一番に父さん達に自首して、それで終わらせる」 クソッ!私に尋問させない気か。 「それではICPOに、」 「いや!日本警察に逮捕して貰う」 「どういう事ですか?というか私自身が尋問出来なければ全然納得出来ませんが?」 そうだ。これ程心血を注いだ事件は初めてだと言うのに。 こんな呆気ない幕切れが、了承出来る筈も無い。 「……あなた、本当にキラなんですか?」 夜神は力無く笑った後、しかし真顔で私の目を真っ直ぐに見つめた。 「ああ。キラだ。それは間違いない。だがこれ以上は答えない」 私は思わず、手近にあった長椅子に上ってしゃがみ込み、親指の爪を囓ってしまう。 「L。これから僕はどうなる?」 「……日本の司法制度には詳しくありません」 というか正直、そんな事に興味は無い。 「嘘吐け。死刑になるかな?」 「そうですね。殺した人数で言えば、極刑はまず免れないでしょうね」 「そうか……」 それから彼は、死ぬ瞬間のように、長く長く息を吐いた。 「……沢山の人間を裁いて来たが、やはり自分が死ぬのは怖い」 「巫山戯た言い分です」 「分かってる。でも……どこも悪くないのに、今も起き上がれないんだ」 横たわったままの夜神は、手を目の前に翳した。 それが、小刻みに震えている。 「……罪の重さに押し潰されているんですよ」 「そうかな……自分ではよく分からないけれど」 「……」 ……とてつもなく賢く、そしてとてつもなく愚かな男。 私は。 自分でも、感情の制御に長けていると思う。切り替えが早いと思う。 だからその瞬間、ふ、と糸が切れたように肩が軽くなったのも意外ではなかった。 「私は、あなたの事をキラだと思っていましたが、結構好きでもあったんですよ?」 「……ははっ。そうなんだ。何だかLらしい」 「でも今は嫌いです。というかどうでもいい」 「……」 「今のあなたは、ただの腑抜けです」 夜神はもう一度軽く笑い声を上げた後、それもおまえらしい、と囁くように呟いた。 私はもうそれには答えず、長椅子から降りて足を引きずりながら退室した。 夜神を、見損なった。 彼は最後の最後まで自分の信念を守り、死を絶対に受け入れず、足掻く質だと思っていたが。 勿論アイバーにも、三時間半の間に何があったのか質問した。 しかし、 「私は雇用主であるあなたの利益に従って、キラを自白させたまで」 「その手段は私自身の今後の活動に差し障りがあるので公表は出来ない」 今回呼び出す前、PC画面越しに会話していた頃の、必要最低限しか話さない取り付く島の無い人格に戻って無表情に答えるだけだった。
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