月百姿 5 そんな夜神と何気なく、しかし注意深く会話を続けながら二ヶ月。 どうやら彼には本当にキラであった記憶がないのかも知れないと、不承不承認めざるを得なくなった。 そうこうしている内に、夜神が「第三のキラ」を絞り込む有力な情報に気付く。 本当に優秀な男だ……部下に欲しいくらいだ。 キラで無ければ、だが。 キラ……少なくとも現在キラの裁きを行っている人物は、ヨツバグループに居る。 そして経済界から政界に、政界から警視庁に、キラに手を出すなという指示……。 「今から警視庁に辞表を出しに行くんだ」 「ど……どういう事ですか?」 「そ……そうですよ。警察だから追えるんじゃ無いですか?」 「簡単な事だ。『Lと共にキラを追うならクビだ』今そう言われてきた。それだけだ」 正直、警察官でない夜神総一郎達に用はない。 それを正直に伝えるのは得策でないのは分かっていたのだが、話の流れで言ってしまった。 私にはワタリと、夜神月さえ居れば良い。 後は……。 「ワタリ。アイバー、それにウエディをここに呼べるか?」 『え……彼等の居所は把握していますが、顔を見せる気ですか?』 「彼等と私にはもうそれなりの信頼関係があります」 アイバーは国際的詐欺師としてその名を馳せていたが、五年前に私が捕縛した。 勿論アイバーというのも本名でなく、偶々その事件の時に使っていた偽名だ。 ICPOに引き渡すか、自分の管理下に置くか少し迷ったが、自分が使った方が良いと判断したのだ。 ウエディの方は中々の良家の出で、幼い頃から習っていたピアノもバレエもプロはだしだと言う。 だがそれ以上に、ピッキング、クライミング、射撃等、プロの泥棒に必要な技術の腕は素晴らしい。 金もだが、自分を楽しませる事に命を賭ける、非常に冷静で合理的な女だ。 この二人に共通しているのは、人を欺く技術が文句なしに超一流だという事、そして衝動では絶対に動かないという点だ。 金や楽しみで私を裏切る可能性は充分にあるが、そのタイミングは予測出来る。 説明出来ない理由で予測不可能な動きをする事がない、というのは私にとって充分信頼に足る条件だ。 そう言う意味では夜神もキラも(今は別々に考えてやろう、今は)私の好みに適うと言って良いだろう。 私にとって本当に手強いのは実は、頭の良い論理的な犯人ではなく、推理不可能な気まぐれで頭の悪い犯人の方だ。 まあそんな一般的な事件の依頼は私には舞い込んで来ないので関係ないが。 二人は三日後にはこの捜査本部ビルに現れた。 写真で見慣れているし、会話もした事があるので初めて会ったような気がしない。 しかしアイバーは……。 いや、ウエディと一緒だから、か? 暫くこの五人で組む事になるが、夜神もすんなり馴染んでくれて助かった。 軽い打ち合わせを終えると、夜も更けていたので捜査本部の人員が一旦解散する。 彼等にもそれぞれに与えた部屋で旅の疲れを癒すよう言ったが、アイバーはすぐにティーポットと三つの紅茶碗を持って夜神と私が居残る本部室に戻って来た。 「何でしょう?」 「いえ。あの『L』と、折角直接会えたのでもう少し顔を拝んでおこうかと」 「アイバーさんは前もLと仕事をしたと言ってませんでしたか?」 「アイバーで良いよ、ライト。 仕事の依頼は受けているけれど、中々直接会える人じゃないからね」 「というか、あなたと私が顔を合わせたのは初めてですよね?」 何気なく口を挟んだが、アイバーはそれに答えず軽く片目を瞑って紅茶碗を机上に置いた。 ……? 初めて……を肯定しない? と言う事は、まさか初めてでは、ない? ぞくりと。 不覚にも背中に悪寒が走る。 理屈より前に、本能が訴えかける危険信号。 確かにPC画面越しに何度も話した事があるが、アイバーからは私の顔が見えていた筈が無い。 だが。 先程の違和感が、また顔を出す。 私の知るアイバーと、目の前に居るアイバーが雰囲気があまりにも違うのだ。 PC画面越しに見た彼は、少し眉間に皺を寄せて抑揚のない声で話す、人間味の少ない人物だった。 しかし実際来たのは、見た目も名前も同じでありながら、妙に気さくで愛嬌のある優男だ。 まさか別人ではあるまい……人格変換術か。 しかし私の前ではあの無味乾燥な人格で通すと決めていたのだろうに何故わざわざ? ウエディと一緒だったからかとも思ったが、そう言えば少なくとも昇降機の中の監視カメラでは無表情だった……まさか私を見た瞬間、から? 「もう少し手掛かりを下さい」 繋がらない会話に、夜神が少し目を丸くしたがアイバーは嬉しそうに笑って顎を撫でた。 「そう言えばLはライトと一緒に大学に行っていたそうですね?」 「……はい」 「面白かったでしょう?勉強だけではない、色々な事が学べる」 「!」 『大学で学ぶのは、勉強だけではないよ。 人間関係の作り方、友情の育み方、恋愛の仕方……』 そうだ……この口調。 声まで変えられて気付くのが遅れた。 だが間違いなく、十年前に会ったあの、中東の王子だ……。 白人だったのか……やられた。 『あと、社会で学ぶべき事は、人の嘘の見抜き方……』 『あなたも言っていた通り、私自身が嘘吐きなんで。 他人の嘘にも敏感ですよ』 「私は……自分が思っているよりも、他人の嘘に騙されやすい事に気付きました」 「それは結構」 彼の正体に気付いた意を込めて伝えると、茶碗に茶を注ぎながらアイバーは快活に笑った。 記憶の中の中東の王子と肌の色も声も違うが、その笑顔は全く同じだ。 わざと同じ表情をしてくれたのだろうが。 『おや。そうなんだ?Lawliet. 』 !……そうだ。 という事はこの男は、私の本名を知る唯一の人間……。 不味いな。 選りに選ってキラと、この男が出会ってしまうとは。 どういう偶然だ……。 私は十年前の自分の迂闊を怨む。 特に意図も無く金で買った男が、まさか世界的な詐欺師になるだなんて。 当時アイバーが、私がLだと知っていた筈はない。 だから身体を売ったのもほんの気まぐれだろう。 また私が本名を教えてしまったのも、気まぐれに過ぎなかった。 小さな悪戯心。 衝動で動く頭の悪い犯罪者を馬鹿に出来ないな。 とは言え、あれから十年経っている。 アイバーはもう衝動的に身売りする事などないだろうし、私も今なら犬の子にでさえ本名を告げる事など有り得ないが。 もし……。 アイバーが十年前に聞いた名前を覚えていて(その可能性は低くないように思うが)それが本当に私の本名だと、悟っていたら? 今、夜神にLの本名を告げる事に、何らかの利益を見出してしまったら? 「どうしました?L」 アイバーが、紅茶を私の前に差し出す。 殆ど無意識に軽く手を挙げて断った。 「いえ……あなたが、自分の役割だけに全力を尽くしてくれる事を期待します」 「勿論自分の仕事は完璧にこなしますよ。 その余暇に何をしようと、それは私の自由だと思いますが?」 彼がニヤッと笑ってひらりと掌を返すと、その四本の指の間に三つの角砂糖が挟まっている。 そしてそれを芝居がかった仕草で一つづつ、茶碗に落とし入れた。 下らない手品をする……私が甘い紅茶を好む事を覚えていたのか。 砂糖の量は全く足りないが、私は仕方無く受け取った。 「あなたの雇い主は私なので。その私の不利益にならないようお願いします」 「了解です」 不味い。 アイバーをこの仕事から外すべきか? いや……それでは逆効果だ。あれが私の本名だと白状するような物だ。 せめて夜神から引き離したいが……そうすると私も離れなければならない、か。 そうこうしている内に、アイバーは今度は夜神に気さくな笑顔を向け紅茶を勧めた。 「ライト」 「はい?」 「キラ容疑者がこんなに可愛い男の子だなんて、正直驚きました」 「え……え?」 「私、実はバイなんです」 「……」 一瞬空気が凍ったが、夜神はさすが、小さく首を傾げただけで紅茶を啜った。 「それが、今までの話と何か関係在りますか?」 「どうだろうね」 「あなたが僕を口説く事が、Lの不利益になる。そのように聞こえました」 ガリッ。 頭蓋の中で、親指の爪が砕けた音が響く。 察しの良すぎる男……。 「夜神君。アイバーにはいずれヨツバの誰かに近付いて貰わねばなりません。 ヘマはしないと信じていますが、知っていた方が良い情報と知らない方が良い情報とがあるので、むやみに話をしないように」 「……」 「アイバーも。あなたの推察した通り夜神月はキラ容疑者の一人です」 「何も聞かされていないけれど、その手錠を見れば、ね」 「ですから、会話は必要最低限にお願いします」 アイバーは答えず、苦笑を浮かべて肩を竦めた。 「私が本当にライトを好きになってしまったら、辛いな」 「ご冗談を」 夜神も面白くもなさそうに、小さく溜め息を吐く。 「僕は男性は、無理ですよ」 「そう?試してみる?」 「アイバー」 軽く睨むと、アイバーは今度こそ降参、というように両手を挙げて部屋から出て行った。
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