月百姿 3
月百姿 3








「さて。どこへ行きます?」

「どこでも良いよ。おまえが行きたい所へ付き合う」

「そうは言っても私、東京は……というか外の世界はあまり詳しくないので」


特に目的も決めずにしばらく歩いていると、美術館の広告看板が目に入った。


「入りましょう」

「え。浮世絵に興味あるの?」

「何でも良いんで芸術に触れたいんです」

「なんか……おまえってやっぱり変わってるね」


それは、ある浮世絵師が「月」をテーマとして描いた連作「月百姿」を集めて展示した特設展だった。


「満更縁がない訳でもないじゃないですか」

「……」


夜神は黙ったまま二枚切符を買ってくれる。


「どうせ財布持ってないんだろ」

「はあ。ありがとうございます」


中は案外と人が多かったが、夜神をすぐ側で監視出来ると思えば怖くもなかった。
A4より少し大きい細密な版画が、飾り気のない額に入って沢山並んでいる。
時折拡大パネルが掲示してあるが、それでも美術展に来たとは思えない程、地味な展覧会だった。


「なるほど……月と人、みたいな絵なんですね」

「月とキツネとかもあるけどね」

「これは、Grave maker moon……ああ、卒塔婆小町ですか」

「よく知ってるね、そんな言葉」

「一応国語も満点ですから。平均的な日本人より日本文化にも漢字にも詳しいですよ?」


周囲は男女のカップルか、かなりの年配者しかいない。
男二人でぼそぼそと話しながら、特に興味も無げに流し見ている私達は、一体どう見えているだろう。


「しかし上手いね、絵」

「ですね。浮世絵師にしてはかなりデッサンがしっかりしてます」

「デッサンを重視していない時代だから、それは上手さの物差しにはならないけれど」

「美術にも詳しいんですね、夜神くん。見直しました」

「詳しいという程じゃない。授業で先生がそんな事を言っていたという程度だ。
 ああ、これ、いいね」


夜神が初めて立ち止まったのは、画面の大半が真っ黒い海の一枚の前だった。
サーファーが喜びそうな程立ち上がった波に乗った一艘の小舟があり、その更に舳先に山伏のような装束の男が佇んでいる。
足下はとてつもなく不安定な筈だが、まるで大岩の上に立っているかのような安定感だ。
波の向こう側に、異様に大きな満月が輝いていた。


「大物海上の月……ああ、武蔵坊弁慶ですかこの人」

「みたいだね。構図が面白い絵が多いけれど、これはなかなか格好いい」

「あちらのも似てますよ」


袖を引いて反対側の壁に向かうと、「順番に見ろよ……」と文句を垂れながらも付いてくる。
私が見つけたのは、今度は画面の殆どが先程よりは少し立派な舟に占められていて、上の方にその舳先で横笛を奏でる武者姿の若者が描かれた絵だった。


「The moon and the helm of a boat……舵楼の月……平清経だそうです」

「壇ノ浦だな。という事は自害直前か」


船先より低い場所に掛かった満月が、先程の弁慶の物より小さい。
壇ノ浦は確か日本の本州の西の端なので……西に月が沈む直前、明け方か。

自軍の最後を知った若き武将が、最期に夜通し篠笛を吹き明かす。
そのもの悲しい旋律は暗い海に響き渡った筈だ。
もうすぐに月が沈む。
それを見送ると共に静かに笛を口から離した若者は、鎧のまま躊躇いもせずに夜明けの海に身を投げるのだろう。


「何だか寂しい絵が多い気がします」

「それは、日本の侘び寂びという物じゃないか?」

「隣のも寂しい構図ですね。花山寺の月……この若者は花山天皇ですか」

「そうみたいだね」


十七歳の若さで天皇に即位し、二年後に出家した。
これはその時、寺へと向かう道行きだろう。
荒々しく野性的な山中の木と、いかにも洗練された若き天皇が見事なコントラストを表している。


「この人は外見が美しい上に芸術的才能に非常に秀でていたとか。
 夜神くんに少し似ています」

「僕に芸術は分からないって。
 それに、『内劣りの外めでた』を知らないとでも思っているのか」


花山天皇のその乱心ぶりは当時から有名だった。
蔵人に騙されて出家したのも頭の中身が足りなかったからに違いない。


「たった二年の在位ですね……」


夜神月がキラであろうとなかろうと。
キラという人物が非常に支配力の強い優れた頭脳の持ち主である共に、欠けた部分も多分に持っているのは間違いないだろう。
そういう意味では国の支配者でありながら何かを欠いていた花山天皇と似ているとも言える。

夜神月は、十七でキラになった。

今は十八……。
花山天皇になぞらえて、十九になるまで泳がせておいて十九になった途端に捕縛してやろうか。
などと下らない事を考えてみる。


「私はやはり、こういった華やかな絵が好きです」


「嫦娥奔月」と題された一枚は、画面からはみ出て月とも分からない程大きな月が輝いていて、その手前で古代中国風の女性が踊るように駆けていた。
華奢な体格で、弥に少し似ている。
夜神は全く興味無さ気だった。


「嫦娥のような女性はどうですか?」

「ごめんだね。人の物を盗んで蛙にされるような愚かな女は好みじゃない」

「手に持っているのがその盗んだ不死の薬でしょうが……逃避行の割りに何だか楽しそうです」

「だから馬鹿なんだよ」


夜神は、何故か吐き捨てる様に言った。
嫦娥は「月神」とも呼ばれ、中国では月探査機にもその名が使われていて、さほどマイナスのイメージはない。

彼は女性嫌いなのだろうか?


どの絵が好きだ、嫌いだなどと、まるで普通の若者のように下らない事を話しながら二人で絵を見るのが、中々楽しかったのは自分でも意外だった。
中東の王子に言わせれば、私は夜神とは本気で話しているという事だろう。

確かに、どこで彼がキラである確証を掴めるか分からないし、逆に私の命が奪われるか分からない。
こんなに緊張する会話はない。

とは言え結果は、夜神は概ね武者絵を好み、私は女性の絵が好きだなどと、適当な事を言い合っていただけだった。


「中々面白かったですね」

「ああ。浮世絵というよりはイラストのようだった」

「気に入りました。今日の記念に、1セット買っておきましょう」

「図録?ああ、絵はがきのセット?」

「いえ。現物です」

「……は?」

「浮世絵は版画ですから、何セットもあるんですよね?
 今回のこのセットでなくとも、どこかに売っているでしょう」

「……」


早速ワタリのメールしてみると、今すぐ買える全揃いセットは一千万日本円との事だった。
展覧会をを開くにしては、手頃な美術品だ。

夜神は、手に取りかけていた絵はがきを置いた。






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