Magnetic eyes 2
Magnetic eyes 2








スワンナムプール国際空港に到着したのは夜だった。
しかし、夜神が既にネットでバンコク市内のホテルを確保してくれていた。
入国審査を通過してすぐに、両替などもしてくれる。
私一人ならワタリに電話して手配を頼まなければならないので、こういう所はやはり手放せないと思った。


「暑いな……」

「月くんも成田までTシャツ一枚で行けば良かったんです」

「いくらタクシーでもそういう訳にも行かないだろ」


私はTシャツ一枚で来た訳だが。


「最低限の下着しか持って来ていないから、後で買い足そう」

「私はこれしか着たくないし穿きたくないので、クリーニングよろしくお願いします」


そんな事を話しながら、エアポートリンクへ向かう。
途中、リムジンタクシーの客引きが英語や日本語で話し掛けながら夜神の荷物に手を掛けていた。
それを振り解いて、「マイ、マイ」と断りながら速歩で歩いて行くのに慌てて追いつく。


「リムジンタクシーの方が早いのでは?」

「タクシーだったらバンコク市街まで一時間掛かるが、鉄道なら二十分だ」

「しかし」


歩くのが嫌なのだと伝える前に夜神はくるりと振り向いて、立て板に水で捲し立てた。


「英語も日本語も分かる人が結構いそうだから、スペイン語で話そう。
 事件の概要は機内で言った通りだが、タイという国の事は説明していなかったな。
 今まで来た事はあるか?」

「はい。とは言ってもだいぶ前ですし、現地の人との折衝はワタリがしてくれましたが」

「今回は甘やかさないぞ。色々な注意点を調べたから覚えろ」

「三点、それぞれ五十文字以内でお願いします」


このまま行けばガイドブックを丸一冊読み上げそうな勢いなので先手を打つ。
夜神は一瞬険悪に眉を寄せたが、少し考えた後口を開いた。


「……一つは、王室は尊敬されている。万が一にも貶さないように気をつけろ」

「問題点を指摘するのはありですか?」

「ナシだ。二つ目は、国民の殆どが敬虔な仏教徒である事だ。
 寺院の付近では……まあそれ以上だらしない格好はするな」

「三つ目は?」

「詐欺が多い。気をつけろ」


私が了解の意味を込めて軽く手を挙げたのに、「本当に分かってるのか!」としつこく訊いて来る。


「タクシーも、観光客とみればほぼボるらしいから、嫌なんだ」

「はぁ?そんな理由ですか?
 戻りますよ、さっきの中から適当な一人を一週間一万ドルで専属運転手として雇います」

「やめてくれ……!それは、おまえの財産からすれば些細な金額だろうけど!」

「……月くんは節約家というか、締まり屋の奥さんみたいですね」


思わず笑ってしまったが、反射的に言い返しかけた夜神も、突然何故か笑顔になった。


「それがおまえの望みだろう?」

「……」


昔確かに、妻の役割を求めると言ったことはあるが。
公私に渡って私のフォローをしろという意味であって、何も起こらない内から口うるさく世話を焼けという意味ではない。


「行きますよ」


仕方なく、何も言い返さずに先に立って歩き始める。
だが、その行動がまた無理矢理主導権を握ろうとしているように見えるだろうと思うと面白くなかった。





ホテルに着いて、カウンターでチェックインをする。
高級ホテルとは言え、荷物を置きっぱなしで行くのは嫌だというのでホテルのセイフティボックスに詰め込んで夜の町へ食事と偵察に出た。


「どうします?私は屋台でもいいですよ」

「……というか、この辺りって、」

「折角ですから『羽を伸ばし』ますか?」


ニッと笑って見せると、夜神は眉を顰める。
辺りには屋台も犇めいていたが、両側は蛍光原色のネオンが光る店ばかりだった。
その外に立っている若い女性は漏れなく露出度の高い服装をしている。
“やすくてあんしんのやっきよく”……恐らくほぼ避妊具専門店であろう妙な日本語の薬屋。


「その辺に立ってる子なら、800バーツくらいから遊べるみたいですよ」

「死んだイギリス官僚達が利用していたホテルだから、便利でちゃんとしているかと思ったんだけれど」

「正にアジア最大の歓楽街でしたね」


ここは世界にその名を轟かせる、パッポン通りだ。
携帯端末を出して辺りの地理を調べ、夜神に示す。

と、後ろから歩いて来た男がひょい、とむしり取って行った。
だが、走り出そうとする前に夜神が足を掛け、盛大に転ぶ。
呻いている男の手首を踏み、携帯端末を取り戻したが、画面に傷がついていた。


「参りましたね……まあ使用に差し支えないから良いですが」

「だから言っただろ。油断しすぎだ。
 観光地歩いてたら普通にリュック切られる土地だぞ」


なるほど、南アフリカ程ではないが、タイの掏摸も相当大胆らしい。
そんな遣り取りをしている我々も、倒れて呻いている掏摸も、全く人目に立たないのはありがたかった。
観光客も客引きも、他人を気にする様子もなく屋台の商品や女性に群がっている。


「すぐ向こうの日本人街に行きますか?
 そちらの方が、飲食店が多いみたいです」

「ああ、」


そう言って人の波を掻き分け始めた時。
突然後ろから手首を掴まれた。


「?」

「そちら、良くないね。ファラン向けのお店ね」


場違いな日本語に振り向くと、場違いなすらりとした少女がすぐ後ろに立って居る。
前を向くと、夜神は気付かずどんどん先に進んでいた。


「日本人?チャイニーズ?」


見上げるアーモンド型の目は視力が悪いのか、居心地が悪くなるほどにこちらの目を凝視する。
吸い込まれそうだ……と思いながら見返していると、ふい、と視線を逸らされた。
それで、私も異常に見つめてしまっていた事に気付く。


「ええと……私、これでも一応ファランなんですが」

「嘘、嘘。英語じょーずねー」


少女は何故か私の腕に手を絡め、夜神とは反対方向に引っぱった。
店の前に立つ半裸の豊満な女性を見慣れていた目には、清楚なワンピースも相まって随分華奢に見える。

……いや。女性の言葉を使ってはいるが、


「あなた、ガトゥーイですか?」

「No,no.ガトゥーイないね」

「どこへ連れて行ってくれるんですか?」

「お兄さん、いい男ね。いいゴーゴーバーあるね」


ガトゥーイではない……手術もしていないただの少年か。
にしては、随分美しく見える。
化粧のせいもあるだろうが。


「あなたは何歳ですか?」

「私?」

「はい。ゴーゴーバーまで行かなくても、あなたが気に入りました」

「私は売らない。いくらなら買う?」


矛盾した言葉に、思わず噴き出してしまう。
私が彼が女性だと信じ込んだ振りをして、高額を提示したらどうするつもりだろう?

と思ったが、揶揄うのはやめた。


「おや残念。私、お金持ってないんです」

「持ってるね」

「いや本当に。電話は取られたら困りますが、あとは身体検査して貰っても良いですよ。
 連れが財布類は全部持ってるんです」


ポケットを裏返して携帯端末だけ持って両手を挙げて見せる。
少年は本当に私のジーンズをぽんぽんと叩いて身体検査をした後、何かタイ語で罵って蹴りを入れてきた。
勿論、ガードしたが。


「さっきの私の連れなら、この国の王様と同じくらいお金を持っています。
 狙うならあっちですよ」


少年は地面に唾を吐くと、踵を返した。
私も夜神を追って、日本人街へ足を向けた。






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