「さらば愛の巣」3 「でもその前に、父にだけは……挨拶をして下さい。 今から一緒に、来て下さい」 「はあ」 彼女はベッドから降り、襟元を正してもう一度スカートを手で捌いた。 それからクローゼットに行き、中に一つだけ掛かった毛皮のコートを取って 少し苦笑した後、私に着せかけてくれる。 「えっと。髪の毛、梳かした方が良いですか?」 「そうですね」 「髭はどうでしょう」 「別に伸びていないので、そのままで良いかと思います」 そう言って彼女は自分の携帯電話を取りだした。 「あ、お父さん?今から会って欲しい人がいるんだけど」 「うん、そちらに連れて行く」 「うん、そう。……うん、うん。分かった」 砕けた言葉の彼女は新鮮で、聞いていて楽しかったが。 心のどこかで警鐘が鳴る。 「お父さん」……? キラに、そんな物が? しかも私に会わせるなんて。 このまま私は、行ってしまっても良いのか? それとも彼女は本当に、キラではないのか? 「私もちょっと、連絡します」 「はい」 怖い。 という感情に囚われるが、私は行かない訳には行かない。 行かなければ危険はないだろうが。 行かなければ私は、一生後悔を続ける事になる。 「ワタリ」 『はい。何かありましたか?』 「ああ。朝日月さんのお父さんに、今から会うことになった」 『……キラの第一容疑者ですよね?』 「ああ」 『分かりました。そちらの携帯の電源を切らないで下さい。 後、靴は赤い方のスニーカーを履いて下さい。監視します。 武力で踏み込んだ方が良い程緊急の場合は、右の踵で地面を蹴って 発信器を潰して下さい』 「ああ。頼む」 最低限の言葉で、私が望む全てを提供してくれた。 ワタリの察しの良さにはいつも助けられる。 今回は、踏み込まれるような事にならなければ良いが。 歩きながら、彼女はどこか憂鬱な顔をして黙り込んでいた。 地下鉄に乗って、霞ヶ関方面に向かう。 到着したのは、警察庁の前だった。 「ここは……」 「父の勤め先です。どうか来て下さい」 月の手が。 これまでになく強引な力で、私の腕を引っぱる。 嫌な予感のままに建物の中に入ると同時に、数人の男性に囲まれた。 正面に年配の、威厳のある男性が立ちはだかる。 「……どういう事ですかこれは」 月を振り向くと、彼女は堂々と正面の男性に近付いた。 「父さん、この人だ」 「そうか……」 「リューザキさん、紹介します。父です」 「……」 ……どうやら私は、嵌められたらしい。 この人物は本当に月の父親なのだろうか。 だとすれば……。 考えている内に男達に腕を取られ、引き立てられた。 「どういう事ですか、これは。まるで容疑者扱いだ」 「容疑者ではないが……まず、自分がキラではないと証明して欲しい。 それから、キラを逮捕するのに協力して頂きたい。……L」 「これが人に物を頼む態度ですか?」 「そうは思わないが、形振り構っていられない程、日本警察は 追い詰められている、と理解して欲しい」 男は本当に申し訳なさそうに、深々と頭を下げた。 相手を事実上拘束しながらなのだから、全く誠意は感じないが。 私は振り向き、月の姿を探す。 「あなたは承知していたんですか?月さん」 「……」 「それとも、最初からこのつもりで?」 「……」 建物の奥に引き立てられる私を、月は玄関の所で見送っている。 その表情は、逆光でよく見えなかった。 「答えて下さい、月さん。月さん!」 だが彼女は、一言も発さず。 くるりと踵を返して、屋外に出て行った。 それが私が彼女の姿を見た、最後だった。
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