「さあ一足よ」 3
「さあ一足よ」 3








取材終了後、与えられた楽屋に戻り、鬘を取って衣装をハンガーに掛け、
付属した狭いシャワールームに入る。

湯を出しながら、頭を冷やして今日の己を反芻した。


……さっきは早々にLを発見した喜びに、少し舞い上がってしまったが。
雑誌社に問い合わせても彼等に繋がるかどうか怪しい。
あの場で確保してしまうべきだったか……いや、せめて尾行をつけるべきだったか。


僕が即彼等を捕まえなかったのには、これがLの罠なのではないかという
一抹の不安に襲われたからだ。

用心深く質問をしているようでいて、キラについて妙に詳しく聞かれた。

……本当にLなら、キラかも知れない相手に向かって、あんなにあからさまに
自分がLだとバレそうな言動を取るだろうか?

いや。
僕を怪しんだなら、L・テイラーを殺させた時のように、必ず確認を取る筈だ。
彼等がLだとしても、必ずもう一度コンタクトを取って来る。
その時まで待つべきだろう。



そんな事を考えながらシャワーを浴びていると、ミラールームの方で何か気配がした。

相当気をつけていなければ気付かない、微かな気配。
忍び足。

不味いな……人がシャワーを浴びているのに個室に入って来るのだから
まともな人間なわけない。
そうでなくとも、僕が男だと知られるのは困るのだが。

シャワーを出しっ放しにしたままそうっとカーテンを引き、
隙間から入り口を伺う。

何か不味い事があれば、デスノートに名前を書いて死の前の行動を操り、
僕の事を他言しないまま千秋楽の後に死んで貰うしかない。


見ていると磨りガラスの向こうに影が差し、ゆっくりとドアノブが回った。


かちゃり。


「……」


入って来たのは意外な人物、殆ど関わりの無かったアメリカ人の演出家だった。

確か、ゲネプロの時に軽く挨拶した程度だった筈。
舞台の事は知らないので、一般的に演出家と役者がどの程度関わるのか知らないが
どうも名ばかりなのではないか、という印象を持った覚えがある。

この薄気味の悪い覗き魔は、僕と目が合っても全く動じなかった。
彼は……別の意味でまともではないのではないだろうか?


「……石鹸を、取ってくれますか?」


試しに話し掛けてみると、男は無言で指を咥えてじっと僕を見つめていたが、


「……」


やがてのろのろと動いて中に入り、洗面所にあった石鹸を摘み上げて
カーテンの隙間から差し出した手に乗せてくれた。


「ありがとうございます」

「……どういたしまして」


男が、初めて声を出す。
彼が日本語を解する事を、僕は初めて知った。


「いや、大した物ですね、月さん」

「はぁ……」

「この状況でその冷静さを保っていられるというのはただ事じゃないです」

「ならばこの状況がかなり非常識だという事は分かってらっしゃるんですね?」


シャワーを出したままカーテン越しに会話しながら、
いつ突然カーテンを開けられるかとどきどきしていたが。


「これは一本取られました」

「私に何か急ぎのご用ですか?」

「いえ」

「ならばすみませんが、外で待っていただけませんか?」

「はい。失礼しました。鏡の所で座って待ってます」


男は、案外大人しくドアを閉めてくれた。




シャワーを浴び終わり、きれいに髭と臑毛を剃ってバスローブを着る。
胸がない事がバレないよう、前を掻き合わせながら部屋に戻ると
演出家は僕の携帯を摘み上げていた。


「ちょっと!」

「あ、すみません。見た事ない機種でしたので」


ロックは掛けてあるから短時間で中身を見られてはいないだろうが。
気持ち悪い事には違いない。
俳優は演出家に逆らえないとでも思っているのだろうか。
だから非常識な事をしても許されると?


「どういうつもりですか、さっきから」

「月さん、素顔もお美しいんですね」

「そんな話はしていません。あなたの国では殆ど初対面の女性の
 シャワーシーンを覗いたり、携帯を触ったりしても良いんですか?」

「いいえ。でも、あまりにも興味が湧いたので……すみません」

「すみませんで済めば警察は要らない」


あまりにも苛々してつい口調が尖ってしまったが。
男は全く意に介した様子がなかった。


「その、今更ですが今日はお疲れ様でした」

「はい……お疲れ様でした。Mr.……」

「リューザキです。Mr.は要りませんよ」

「リューザキ、これからは、女性の部屋に勝手に入らない方が良いですよ」


そうだ、名前はマイクロフト・リューザキ。
日系が入ったアメリカ人で、有能なプロデューサー兼演出家という事だが
相当の変わり者だ。
僕の警告に、男は何故か目を丸くした。


「何ですか?」

「その……私は東洋人の女性は小柄で従順で頼りない印象を持っていました」

「ご覧の通り私は長身です」

「そうですね。それに今日の演技を見ていても、今の反応も、
 欧米の女性以上に強い精神を持っているように見えます」

「すみませんね、気が強くて」

「大丈夫ですよ。美人ですし」

「……」


こんなにあからさまなレイシストは初めて見たが。
男も殆ど東洋人と言って良い容姿なので、滑稽だ。


「西洋の男性は、東洋女性の華奢で幼い少女っぽさが好きなのでは?」

「あなたの方が差別主義だと思いますけど」

「……」

「さっき私の事、レイシストだと思いましたよね?顔に出てましたよ?」


何だこいつ……。
頭がおかしいのかと思えば、妙に鋭い所もある。
油断出来ない男だ。


「まぁ、男性と女性が完全に分かり合う事が不可能であるように、
 東洋人と西洋人も相容れない部分があるでしょうね、リューザキ」

「ですね」

「……で。何のご用でしょう?」

「用という程の事は。ただあなたとお話しがたかっただけです」

「……ストーカー?」

「そう思って貰って構いません。
 月さん、本当はショートカットなんですね。そちらの方が好みです」

「……」


僕は髪を伸ばす事に決めた。


「リューザキ。申し訳ありませんが。疲れていますのでもう」

「月さん。演出家と仲良くなって損はありませんよ。
 どうです?この後食事でも」


気味の悪い……人間関係に慣れていなさそうな奇才型の男だと思ったが。
それがこんなプレイボーイのような口を利くのがまた腹立たしい。
「僕は男だ」と言って鼻を明かしてやりたい気もするが、そういう訳にも行かないので
僕は鼻で笑ってやった。


「傲慢な人ね」

「何がですか?」

「あなたは東洋の女性は自己主張をしない人形だと思っている。
 その思い込みの規格から外れた私を思い通りにして、満足したいだけでしょう?」

「……そんなつもりは」


男はまた目を見開いた。
僕の言った事が当たっているのか、それとも本当に思いも寄らなかったからかは、
分からない。


「でも普通、演出家に誘われたら喜んで着いて来ますよ?」

「悪いですが私は西洋女性のように発展的ではないので」

「欧米並なのは見た目と気の強さだけ、という事ですか?」

「あなたの下心にお応えする気は一切ありません」

「損得とか、考えないんですか?」

「……」


埒があかないので、無視を決め込んでドライヤーを使い始めると、
演出家はいつの間にか出て行っていた。






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