恋煩 5 翌日。 私は、彼に自白させる事は諦めていた。 シーツの洗濯が終わってしまえば、二人きりになる事はもうない。 その代わりと言っては何だが……「Ich liebe dich」と告白された。 嫌がらせかと思ったが、表情を見ても判断がつかない。 昨日あれ程の事をしたのに、と思う。 もっと早く言ってくれれば、恋人権限でキラの自白も引き出せたのに、とも思う。 だが今となっては全てが遅い。 今が、仮面をかなぐり捨てる好機かも知れない。 そう、思ったのだが。 何故か私は夜神の手を取り、その甲に唇を押しつけていた。 最後の、演技だ。 彼を心から愛する恋人としての。 ラストコンタクト。 新幹線でも並んで座ったが、我々は殆ど喋らなかった。 もう、語るべき事もない。 だが全く気不味そうでもない。 その事に、彼が私を受け入れ始めている事が伺えて少し憂鬱になった。 いや、それこそが彼の狙いか? 列車を降りればもう、すぐに彼を拘束する。 その事まで読んではいないだろうが、私を信じている振りをして、私の追求の矛先を鈍らせようとしているのかも知れない。 そんな事を考えていると、新幹線はすぐに東京に近付いた。 途中、デッキでワタリに連絡したが、やはり自宅からは何も出なかったとの事だった。 「……どういうつもりだ、流河」 「……」 「おい!」 車が動き出して暫くすると、夜神が怒鳴る。 送ると言ったのに自宅に向かっていない事に気付いたのだろう。 来るべき時が来た。 既に隠す事に意味はない。 私は冷静に全てのネタをバラし、この後彼をCIAに引き渡す事も説明した。 証拠がなくとも、もう彼には逃れる術がないという事を。 夜神は私を殴った。 「僕を、殴り返さないのか」 「はい。一回は一回、というのが私の持論ですが、 自分がそれだけの事をした自覚はあります」 西洋の男なら、もう一度殴ってくるか、両手で顔を覆うか、膝を拳で殴りながら悪態をつくか。 そんな場面だと思ったが、夜神は息を吐いて静かに窓の外を見遣っただけだった。 その横顔が、何故か酷く印象深い。 きっと後々、思い出すであろうと思わせるライン。 「夜神くん……」 「触るな」 静かな声だったが。 私はもう、動く事が出来なかった。 「結局おまえは、僕の自白を引き出す為に、僕を好きだとか何とか言ってたんだな?」 ああ、そうだ。 ああそうだ、夜神月。 その為だけに、私はおまえに付き纏った。 「はい」 「……」 「私を愛し、信じてくれたら、自白してくれるのではないかと。 捨て身の作戦でした」 夜神は横顔を見せたまま、目の下をひく、と引き攣らせる。 「上手い演技だったよ。本気に見えた」 ……そうか。 今まで殆ど他人と関わらずに生きてきたが。 私の演技力も中々悪くなかったらしい。 「『L』には、感情はありません。 機械的に、ただ有り得る選択肢の中で最善の物を選ぶ。 そういう訓練を自分に課して来ました。探偵としての職務を全うする為に」 淡々と伝えると、夜神は初めて苦笑をした。 ように見えた。 「それにしても、呆れるよな。 普通男が、男を誘惑しようだなんて考えつかない」 「そうですね。ゲイじゃないのも本当ですし。 自分でも、よくあそこまでやったと思います」 僅かながら波立った自分の感情を、抑えるために。 敢えて平坦に答えると、夜神の苦笑は不自然な程に明るい笑顔に変わった。 「あの巫山戯た結婚式も、方便の為、か……」 「……」 「そんな事じゃないかと、どこかで思っていたよ。 だから安心した」 「安心……ですか」 「ああ。僕もおまえをハメてやろうと思って、 好きでもないのに、好きだと言ったから」 それは……。 「安心した」というのは。 もし私が本当におまえを愛し、おまえの言葉を信じ、喜んでいたら。 おまえの心は平安ではなかった、という意味か? 「……あなたは、私を罠に掛ける為に、落ちた振りをした。 そういう解釈で良いですか?」 「ああ」 どういうことだ……。 私を罠に掛けたくせに、掛かっていなかった事に安心する。 それは。 頭でそんな事を考えながらも、口は自動的に彼を追い詰める。 「つまりそれは、自白と取って良いですか? あなたがキラでないのなら、私を罠に掛ける必要は無いですよね?」 「……」 「私が迫っても、ただ拒み通せば良かった話です。 馬の駆け比べも、乗る必要は無かった」 夜神の笑顔は、どこか苦しげに見えた。 自分の体重すら支えられない病人のように、全身の力を抜きヘッドレストに頭を乗せる。 「さあね」 「夜神くん?」 「……僕は、」 その、美しい横顔。 に、昨夜の、痛みに、快感に、悶える表情が重なる。 この済ました顔を、私は征服したのだ。 キラを。 泣かせ、喘がせ、その唇をも思う存分に貪った。 彼の身体に、私が触れていない部分はない。 一時とは言え、我を忘れ、盗聴器を殺してまで溺れた。 『ああ。僕もおまえをハメてやろうと思って、 好きでもないのに、好きだと言ったから』 それは。 もしかして。 まさか。 「夜神くん」 「僕だって……おまえなんか、好きじゃ無かった」 「……」 「おまえが僕の事を、ただの容疑者だと、思っていた事なんて、 最初からお見通しだった」 「……」 苦しげに吐き出す彼の脳裏には、今どんな思いが去来しているのか。 「僕が、本当に、キラだったとしても、おまえなんか、」 「夜神くん」 「おまえなんか、」 「なら何故、泣いているんですか?」 そう。 その目からは一筋の涙が流れていた。 私が指摘すると、膝の上で拳を握りしめて俯く。 その拳の上に、ぽたぽたと、また水が落ちた。 くっ、というような呻きと共に、熱い息が歯の隙間から漏れる。 「夜神くん、夜神くん、違っていたら申し訳ないのですが、」 鼻水が、鼻先に溜まる。 ぼたぼたと、水滴が膝の上で握りしめた拳に落ちる。 これは、この反応は。 「私の事を、愛していますか?」 夜神は拳を振り上げたが、泣いているせいかその力は弱々しかった。 手首を掴んで止めると、また俯いていやいやをするように首を振る。 赤くなった鼻。 涙でぐしゃぐしゃになった顔。 どんな名優でも、咄嗟にこんな演技なんか出来ない。 ましてや観客がこれ程至近距離にいては。 だとすれば。 ……こんな人間を、私は知っている。 子供。 思う通りに周囲が動かなくて。 駄々を捏ねる。 小さな子供。 ……彼は。 子供のように純粋に、心から私を信じたのだ。 私が彼を、キラだと知りながら愛し、欲情したと。 そんな事有り得ないだろう普通に考えて。 考えながらルームミラー越しにワタリを見ると、その目が細められていた。 全てを見通すような、青い瞳。 ワタリは、この数日の夜神と私の会話を全て聞いている。 小舟の上での事も、昨夜の事も。 盗聴器をベッドの下に蹴り入れ、彼を強姦する直前まで。 そう。 私は昨夜、その必要がないのに彼を抱いた。 彼を滅茶苦茶にしたいと……私の物にしてしまいたいと、思った。 今……。 今このまま、彼をCIAに渡したらきっと私は後悔する。 理由は分からないが、その事だけは今、はっきり分かってしまった。 「ワタリ。次のインターで降りて下さい」 「しかし……」 「計画は中止です。夜神月くんはキラではありません」 「……」 ルームミラーの中で、また目が細められる。 ああそうだ、今自分が無茶苦茶な事を言っている自覚くらいある。 夜神は涙の跡もそのままに、ただ呆然と私を見ていた。 それは、教会の中で私を欲情させた、あの「何もない」表情だった。
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