恋煩 2 それから、私が二本の指を立てても夜神は何も言わなかった。 「……」 そして何とも言えない顔をしていた。 それは。 長らく彼を観察した中でも、初めて見せた表情。 古びた教会の、こぢんまりと並んだ長椅子と入り口からの光を背景に。 左右対称の鼻筋、長い睫と青いほどの白目に縁取られた、丸い、鳶色の瞳。 少しだけ白い歯を見せて、開いた口。 口惜しさも憎しみも矜恃も欺瞞も何もない、何もない顔。 自分が私より早く倒木を跳び越え、この教会に辿り着いた事さえ忘れていそうな。 ただ純粋な、驚き。 その、無垢と言っても良いキラの面に……私は酷く動揺した。 今まで経験した事のなかった、犯罪者を前にあってはならない、心理。 キラである事を自白させるのとは別に。 ……絶対に彼を、落としてやる。 そして滅茶苦茶にしてやる。 最前の敗北感と相まって、そんな激情に捕らわれたのだ。 自分の手で自白を引き出す事が出来ても出来なくとも、明日にはCIAに夜神を引き渡す。 私の望み通り彼の人生は滅茶苦茶になるだろう。 正直、自白なしでは自分の中で「勝ち」ではなくなるが、それでもこの世から「キラ」は消える。 だが足りない。 その程度では。 そんな思い。 ……そこまで考えて、私は頭を振る。 こんな衝動に見舞われたのは初めてだった。 冷静に。 冷静に、なれ。 犯罪者に対しては、常にニュートラルでなければならない。 怒りも憎しみも、同情も慈しみも。 いかなる感情も抱いてはならない……。 ……いや。待て。 いずれ、この三日間で色々と大きな賭をする必要はあるのだ。 彼がキラだと明らかにするために。 私に心を許させるか、キラの裁きをしている現場を押さえるか。 あるいは私への殺意を証明するか。 その為には多少の無茶はするつもりではあった。 ならば、少々感情を露出させても問題ない筈だ。 「夜神くん、聞いてました?私の、勝ちです」 「ああ……ああ、そうだな」 もしかしたらそれで夜神からも感情を引き出す事が出来るかも知れない。 「愛」に絆されて、あるいは「憎悪」に目が眩んで、尻尾を出すかも知れない。 失敗したとしても明日には永遠の別れが来る。 あとの尋問は、CIAに任せれば良いだけの事。 よし。 私は冷静だ。 「約束、覚えてますね?」 夜神は一瞬眠そうに目を細めて考えた後、意外にも優雅に微笑んだ。 「分かってる。僕は今からおまえの物だ。 おまえを愛す。おまえの要求も可能な限り聞く」 「……」 愛。 という言葉が、こんなに軽く響くという事を初めて知った。 なるほど、そういう対応で来るか。 私の愛に応える振りをして、夜神は夜神で私の事を探ろうと言うのだろう。 面白い。 キツネとタヌキの化かし合いだ。 そこに感情という物の入る隙はないが、この言質は私を満足させるには充分だった。 「どうした?」 「いえ……長かった、と思いまして」 「告白されてからまだ数日だよ。 そもそも出会ってからまだ一ヶ月だし」 そうだな。 こちらはもう五ヶ月もおまえを見つめ続けているが。 私は立ち上がり、夜神の手首を掴んで祭壇に戻った。 「折角ですから、ここで愛を誓い合いましょう」 キラ。 おまえを絶対に逃がさない。 勝ったのは私だ。 と、何度でも確認させてやる。 夜神は抗わず、薄ら笑いを浮かべながら着いて来た。 夜神に愛を誓わせた後、夜神も私に倣って例の宣誓文を諳んじる。 「汝……僕は、おまえを何て呼べば良い?」 L=Lawliet。 神という物が本当に存在するのなら。 ここで誓った事を破る事が絶対に出来ない世界でなら、教えてやる所だ。 「『L』で」 「『L』だけで良いの?」 「はい」 夜神は平然とした顔で続けたが、よくよく観察すれば少し落胆しているのが見て取れた。 キラに本名を告げる筈がないだろう。 こんな事になるのなら、またリンド.L.テイラーのような犯罪者を用意しておくべきだった。 「……死が二人を別つまで。 その命ある限り、 真心を尽くすことを誓いますか?」 ああ、そうだな。 おまえが死刑になるまで位は、おまえの事を覚えておいてやろう。 「誓います」 夜神は俯くと、ほう、と少し息を吐いた。 ままごとなのに、柄にもなく緊張していたようだ。 私も完全に平常心とは言い難いが。 「誓いのキス……してくれますか?」 夜神は私をじっと見つめた後、微笑んだ。 「勿論」 キラとLの、ファーストコンタクト。 が、こんな形でとは笑える。 顔を近づけても、夜神は目を閉じなかった。 キラに。稀代の犯罪者に、触れる。 きっと今日明日中に私はおまえを刺す。 そう思うだけで、武者震いがした。 「す、すみません……こういう事に、不慣れで」 「その割りには先日からやたら積極的だったけどね」 「それはその、ただ夢中で。 人をこんな風に好きになったのは初めてなので、アプローチの仕方も分かりません」 「……」 「ただ、あなたを好きだと、あなたに触れたいと、伝えるので精一杯でした」 わざと言葉を詰まらせながら言うと、夜神は戸惑っているようだった。 おまえを落とす為なら、何でも言う。 キラの自白へ向けた布石になるのなら、どんな道化にでもなる。 「今は、指輪は無くて申し訳ありませんが。 最高のデザイナーに作らせます」 ついふざけて言うと、夜神は益々困ったように顎を引いた。 「いや、良いよそんなの。それにアクセサリーって好きじゃないし」 ……口から出任せではあったが、本当に作ってやりたくなった。 処刑台に上がったおまえの指に、私の名を刻んだ指輪が光っている様はさぞや痛快だろう。 夜神は指輪を断った事を取り繕うように、少し慌てて私が世界最高の男だと、白々しい事を言い始めた。 「おまえを尊敬しているし、おまえが好きだ」 「本気にして良いんですか?」 「ああ」 「陶酔して、愚かになってしまいそうです」 うっとりと微笑んで見せると、夜神も緩んだ笑顔を見せた。 お互いに心の中に殺意を秘めているのに。 端から見れば、まるで世界中で一番幸せな恋人同士のようではないか。
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