The last question 3 「おまえが来た頃は、自分は夜神月なんていう日本人じゃなくて、 どこか未開の地の奴隷なんだろうって思ってた。 ただ、ちょっと幸せで、ちょっと不思議な夢を見ただけだって」 「……それが、あなたの推理ですか?」 「だから推理という程の物じゃない、愚にもつかないって言っただろ?」 現実を受け止められないのは、弱い人間だ。 夜神の夢想は、今この場所で聞けば滑稽だ。 だが、あの場所を見てしまった私には、夜神を弱い人間だなどと断じ得ないし その夢想を笑うことも出来ない。 「なるほど。夜神月が生きているという事を肯定するならば、 デスノート、キラ事件自体を否定するのが妥当ですね」 「僕が本当にキラで、死神が僕の名前を書き間違えた、あるいは 本物と偽物のノートを間違えただなんて、『夢想』の中では最悪だったよ」 「でもそのお陰で、今の現実があります。 あ、ホテルで私と向かい合ってお酒を飲んでいるのは、掛け値無しの現実ですよ?」 「ああ。疑ってないよ。人は信じたいことを信じる生き物だからね」 こちらに向き直って乾杯するように軽くグラスを上げ、 慣れた仕草で小首を傾げる夜神。 細くなった手首や耳に掛けた長い髪もあいまって、銀幕の女優のように見えた。 目の前の彼を見ていると信じられないが、やはりそんなに怪しい精神状態だったのか。 となると一層、もう一つの事が気になる。 「あと一つ。本当に最後の質問だね」 「ええ。一昨日あの地下牢から出て、地上に出るまでの間何を考えていたか? という件なのですが」 「……ははっ。事件じゃなくて僕の事にも興味が出てきた?」 「はい」 「……まあ最初は例によって夢だと思ってたけど。 夢でもおまえにみっともない所見せたくないと思って必死でついていった」 「姿は十分みっともなかったですけどね」 「竜崎が出てきたって事は、デスノートの世界の続きだ、思い出せ、思い出せ、 でもコイツ死んだんじゃなかったっけ?だめだ、意識をクリアにしろ、」 「そんなに切羽詰まってたんですか?」 「そう。でも、おまえが死ななかった理由を淡々と説明してくれただろ? お陰で、早く現実認識が出来たよ」 「ええ。あなたの意識がはっきりしていた事に驚きました」 「あれでもギリギリだったんだ。もし迎えに来たのがおまえじゃなかったら…… 外に出た瞬間、僕は崩壊していただろうな」 昨日も思い浮かべた、砂のように崩れる夜神月の泥人形、あるいは 日の光を浴びた途端にゲラゲラ笑い出して砂漠に向かって歩き去っていく夜神が、 妙にリアルに想像出来た。 「あなたは本当にいつも、綱渡りですね」 「人の事言えないだろう?」 「ええ。まあ」 絹糸のように細い綱を渡り、私は一度、彼は二度、命拾いをした。 この邂逅は、たくさんの偶然の上に偶然を重ねた、本当の奇跡だ。 ……だが、私たちの奇妙な縁も、これまでだ。 「ではもう、寝ましょうか」 「そうだね」 翌朝は、早く目が覚めてつい夜神の寝顔を覗き込んでしまった。 荷物もなければ準備という程の事もない。 モロッコの景色は見飽きているし、他に見る物がない。 いや、実は夜神の寝顔も昔さんざん見た筈だが……。 見飽きない。 私が、これまでの人生で一番長い時間見つめた顔。 頬の血色が良くなった夜神は、寝ていると男ながら天使のようだった。 勿体ない……。 この男がもう少し馬鹿だったら、平凡ながらも相当幸せな人生を送れただろうに。 「月くん」 「ん……」 「私は行きます。ゆっくりと休んで下さい」 夜神が目を開ける前に、ドアの所まで行く。 半分ドアの外に体を出して、ベッドに起きあがった彼にひらひらと手を振ると 顔を顰めて大きく伸びをした。 「では」 「L、忘れ物」 夜神が枕の下に手を突っ込んで、ダークレッドの小冊子を取り出した。 全く……子どものような事をする。 無造作にジーンズのポケットに突っ込んで置いた私も私だが。 「中を見ましたか?やはりデスノートの切れ端をどこかに隠しているのですか?」 「まさか。見てないよ。それにどうせ偽名だろ?」 そうだが。 そんなパスポートでも、ないと飛行機に乗れないので仕方なく取りに行く。 受け取ろうとした瞬間、夜神が背後に隠したので思わずそのまま 押し倒すように覆い被さってしまった。 「返して下さい」 十p程の、顔と顔の距離。 この二、三日、夜神の介助を通して何度となく顔を近づけたが、 真正面からというのは始めてだ。 「僕に最後の質問をさせなかった罰だよ」 「返さないと、キスしますよ?」 キスをしそうな距離だと思って言っただけだが、 「うん」 夜神は堪えなかった。 何が「うん」だ……。 まだ頭がおかしいのか?欲求不満か? それともこの期に及んでまだ私を試しているのか? 気味が良くないが、待たれているようなので仕方なく軽く唇を重ねる。 夜神は目を閉じなかった。 それを見ていた私も勿論閉じていないわけだが。 顔を離した後も、夜神は私を見つめるばかりで パスポートを取り出す気配を見せない。 「あなたとじゃれている暇はありません」 「はははっ。暇があっても、おまえと僕でじゃれるっていうのは変だな」 「いい加減にして下さい。私、あなたを許した訳ではないんですよ?」 少しイライラして……言わなくても良いと思っていた事を、つい口にする。 しかしもうすぐ別れる相手だ。別に険悪になっても構わない。 だが私を睨んでくると思った夜神は、ニヤニヤ笑いをすっと消したまま 能面のような顔になった。 「世界なんてどうでもいい。でも、あなたは私の大切な人たちの命を奪った。 その事実は、あなたがどんな酷い目に合おうが、死のうが、変わりません」 「……」 今更、伝えても仕方ない。 「悪いのはデスノートだ」、という夜神局長の言葉には一理ある。 もし夜神を神とする新世界が実現していれば。 ワタリを殺した事もメロを殺した事も、広義の「緊急避難」として 合法化されていただろう。 その程度には客観視出来る。 「すみません。言い過ぎました」 「……いや、事実だ」 「そうですね。でも、私もこんな自分が嫌ですよ。 だから他人を好きになったり思い入れたりしないようにしていたのですが。 長い間一緒にいると、自分の意に関わらずどうしても情が移ってしまいます」 夜神は、私の下で憮然とした顔をしているように見えた。 そろそろと体を起こそうとすると、夜神は背中から私のパスポートを出し、 そしてそのまま……その手を私の背に回した。
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