The last question 1 夜神をあの地下牢から救出した翌日、念のために健康診断を受けさせた。 栄養失調気味ではあったが、疾患も障害も発症していなかったらしい。 あの衛生環境では奇跡的だ。 栄養剤を点滴して病院に一泊した夜神は、驚くほどの回復を見せていた。 ホテルに戻る時には、私に縋ってはいたが車椅子がいらなかった程だ。 あと一週間も歩行練習をすれば、普通に歩けるようになるだろう。 だが私には、乗らなければならない飛行機があって4日間しか休日が取れていない。 「月くん。申し訳ありませんが、私は明日イギリスへ発たねばなりません」 「そう……」 「しかし訳あって、あなたに私の代わりの者をつける事が出来ません」 部屋の窓際のソファに深く沈み込み、目を閉じた夜神はやはり弱って見えた。 病室から病院の入り口、ホテルの入り口からホテルの部屋、それだけの歩行でも 相当疲れたのだろう。 空にいるのは三時間程度とは言え、前後に移動の多いフライトに耐えられそうにない。 想定していた中で、一番面倒なパターンだ。 ここに来る前は、80パーセント位は夜神は既に壊れていると思っていた。 監視カメラの映像で生きていることは視認できるが、 ここしばらく人間らしい動きを見せない、とロジャーから聞いていたからだ。 私としては、それが確認できれば気が済むという程度の考えだったし 苦しんで死ぬような病を発症していたら、数ヶ月一緒に暮らしたよしみで 楽にしてやっても良いとも思っていた。 勿論、思いがけず正常を保っていればそれはそれで、そのまま本国に 連れて帰れる。 夜神を連れ出すのなら全て私一人で、というニアの条件があるので、 自力で動けない程体が不自由になっていたら迷い無く置いてきたが、 こういう……何とか自分で歩けはするが、全く介助無しでは心許ない、 という状態は一番困る。 しかも、今後十分回復が見込める、というのは……見捨てにくい。 「この部屋には好きなだけ滞在していただいて結構です」 「……」 「次に私がいつ来られるか分かりませんが、それを待っていても良いです。 もしあなたがどこかへ行くと言うのなら、私にはそれを止める術はありません」 犯罪者を野放しにするなと、ニアは苦い顔をするだろうが他に方法はない。 自らの足であの地下牢から出てきた者を、また同じ場所に封じ込めるというのは 物理的にも心理的にも厳しい。 私だって人間だ。 そんな事なら臨機応変に人を雇って監視をつけてくださいよ、と 顔を顰めるかも知れないが、私の知ったことではなかった。 「……なら、今晩が最後の夜になるな」 「そうですね」 私を待つつもりはない、という事か。 言葉も通じず領事館も頼れない海外、しかも金も身分証明もない、 そんな悪条件でも確かに何とかするだろう。夜神月なら。 最初の日は、約束した通り熱いシャワーを浴びさせ、 たっぷりと湯を張ったバスタブに浸からせた。 その後夜神はほとんどベッドに横たわってぼうっとしていたが、 ルームサービスのディナーを一口食べさせた時に、ほろりと。 きれいな涙を零した。 夜神月ほどの精神力の持ち主が、涙くらい耐えられない筈がない。 これはつまり、私に対して腹を見せたという事だ。 以前は私に絶対に負けまいと肩肘を張っていた夜神だが、 現在は私の不興を買ったら生きられない立場だと、 私と対立する事は得策ではないと、理解しているのだろう。 だから心の鎧を脱いでいる事を示すために、犬が強者の前で ひっくりかえって腹を見せるように、涙を見せた。 私もそれを了解したと、言葉で伝える代わりに無言で涙をぬぐってやった。 夜神が従順でいるならば、いつまでも飼い主を演じてやる。 ……と思ったが、自由の身になれる機会があるのなら、それを逃しはしない、か。 やはり夜神は野犬だ。 それも、私から逃げると予め宣言する、誇り高い野犬。 まあ逃げたとしてもその気になれば居場所位は掴めるだろうが。 それを調べるのもニアの役目だ。 病院から帰ってきた日の午後に、キラ事件や死神の事について あらかた聞き終わった。 知れば知るほど興味深い。 足りなかったパズルのピースが、一つ一つはまっていく。 だが出来れば、リュークのように気まぐれな死神には二度と現れて欲しくないものだ。 いや、夜神のような希有な人物に拾われなければ、あれ程の事件にはならなかったか。 話し疲れた夜神に配慮して、彼と私の最後の晩餐は、 ゆったりとした音楽を聴きながらの静かなものだった。 「聞いてもいいかな」 食後、リビングに移動して軽く酒を飲んでいる時に夜神が口を切った。 そうだ、私に尋ねたい事があるならこれが最後のチャンスだぞ。 彼の「死後」については、ノートを燃やした事、魅上が死んだ事など 粗方話したつもりだが、彼の方からはほとんど質問が出ていない。 「良いですよ。何でしょう」 「竜崎は……いや、Lか。どうして僕を助けてくれたんだ?」 「やっとその質問が出ましたか。ですが……今となっては意味がないので言いません」 本当はその頭脳を活用させて貰うつもりだったが、 夜神が私から離れるというのなら、仕方ない。 出来れば、再び大それた犯罪を犯さないで欲しいが。 もう、追う者と追われる者として再会したくはない。 二度と誰かに対して、あの時殺しておくべきだった、などと思いたくない。 「そう。じゃあ、質問を変えるよ。 あの時……『死んだ』後、どこで何をしてたんだ?」 「偶然ですが、このモロッコを拠点にしてバカンスを楽しんでいました」 「嘘だろ?」 「私がSPKの捜査に参加しているように見えましたか?」 「……いや」 「私だって命は惜しいですから。裏で動いて万が一夜神さんにでも悟られたら あなたに伝わって消されると思いました」 「いくら僕でも……そうか。本名を知られたという前提だったか」 「はい。あなたは私の顔と名とデスノート、全てを持っている、と思っていました。 生きている可能性があると、疑われただけでアウトというのは 精神衛生上良くなかったですよ」 あの後動かなかった本当の理由は私の口からは言わないが、 私が負けたから、だ。 私を殺せれば、キラの勝ちだった。 そして確かにあの時夜神は私を殺した。助かったのは偶然に過ぎない。 敗将は、身を引いて次の将に戦を譲るまで。 しかし今思えば、少しでもニアに協力すべきだったかも知れない。 ……そうすれば、もしかしたらメロを失わずに済んだかも知れない。
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