女か虎か 5 「どうしました?夜神くん」 夜になり、ベッドに入ってから(竜崎はいつも通りソファにしゃがんでいる) 竜崎の「おやすみなさい」に応えかねていると、珍しく僕を気遣うような 声を掛けてきた。 「いや……大丈夫?」 「訊いているのはこちらです」 「いや、その……僕が殴ってしまった所だけど……」 「ああ……問題ありません。それにお互い様ですよね」 「そうだけど」 女性の顔を殴ったのは、我ながらどうかしていた。 それを口に出せないのももどかしい所だ。 「竜崎、本当に強いんだな」 仕方なく当たり障りのない事を言うと、僕の異変、あるいは隙を感じたのか 膝の上のノートパソコンをサイドテーブルに置き、こちらに体を向ける。 「何か格闘技習ってたの?」 「カポエイラです」 「ああ、聞いた事ある。南米の……奴隷発祥の足技スポーツだったっけ」 「はい。習ったわけではありませんが、動画を見て」 「え?先生に教わったんじゃないの?」 「そんな暇ありませんよ。見れば大体分かります」 「凄いね……」 短い付き合いではあるが、竜崎は見栄を張る人間ではないと思う。 ならば本当だろうか。 人間の能力でそんな事が可能なのだろうか……。 「ねえ竜崎、その話を聞かせて欲しい。ちょっとこっちへ来ないか?」 今日もソファで眠るのはごめんだが、やはり女の子を座らせたまま 一人で寝るのは心苦し過ぎる。 「ここでも話は出来ますが?」 「物理的距離が近い方が、理解の深まりも早い。知ってるだろう?」 「……」 竜崎は無い眉を顰めて僕を見つめた後、ずるりとソファから降りて ベッドによじ登ってきた。 八割方無視されるだろうと思っていたので、軽く驚く。 「私は、他人と至近距離で話した事がありません。 ですからあなたの言う事は全く理解できませんが、否定も出来ません」 「そ、そう?学校の授業で、教卓に近い席の時の方が授業内容が 入って来やすかったりしなかった?」 「……」 ああ、そうか。 これは、口実か……僕の側に来る為の。 というか、僕が呼んだ事も、そういう、誘いだと思われたか。 まあ、それはそれで悪くない。 元々、男と女が同じ部屋で何事もなく何日も過ごす、というのも不自然な話だ。 彼女といつかそうなるのは、どこかで予想していた。 竜崎は、するりと僕の隣に潜り込む。 「夜神くん……」 「う、うん……」 何日も……何十日も、恋い焦がれた、声。 が、こんな距離で僕の名を。 「カポエイラの歴史は古く、十六世紀にポルトガルがブラジルを 植民地化した時に始まります」 ……。 「流派は二つ、ヘジオナウとアンゴラがありますが、私が見た動画は」 「ちょ、ちょっと待って」 雰囲気を作らない奴だな……。 このまま延々とカポエラの解説を続けるつもりか? 「ドキドキして来た……」 「……はい?」 「竜崎が同じベッドに居ると思うと、ちょっと緊張する」 「何故ですか?」 「だって」 女の子は、こういうのに弱いんだよな。 手を伸ばして指先で頬に触れると、彼女はぴくりと瞼を引き攣らせた。 「……自分が抑えられなくなりそうだから」 「……」 「ああ、ごめん。大丈夫、襲ったりはしないから」 竜崎は目を細めて、一層暗くなった目でじっと僕の目を覗き込んだ。 「それは……私とセックスをしたいと言っていると、理解して良いでしょうか」 「身も蓋もないね」 「それは、単純に身近なBODYとしての私に欲情しているのでしょうか。 それとも、私を愛したという事でしょうか?」 何だか……これまで出会った女の子達と全く勝手が違う。 「世界の切り札」だ、当たり前と言えば当たり前だが。 今までは、僕がちょっと優しくしただけで先方から告白して来たものなのに。 そう言えば僕は、自分から口説いたのは初めてだ。 「後者だよ」 「不思議ですね……あなたは私の事を何も知らないのに」 「そうだね。でも、僕は自分で言うのも何だけど、結構優秀な方なんだ」 「学業的にはそうでしょうね。東大でぶっちぎりの一番なら、 ハーバードでもかなり良い線行くでしょう」 「女の子の好みにうるさい方ではないけれど、僕はやっぱり 自分と同レベルかそれ以上の人と高め合っていきたい。 例えば君のような人と」 「……はぁ」 「そんな頭脳の持ち主で、年齢も近くて容姿も僕好みの人に出会えたなんて 奇跡に近いよ。……運命すら感じてしまうんだ」 「……」 目を逸らして考え込んだ竜崎の、顔に顔を近づけると 野性の獣の素早さでベッドから抜け出された。 「夜神くん。運命でも何でもありません。私があなたを捕まえたのですから」 「真犯人が、選りに選って僕をキラだと思い込ませたのは やはり運命だよ。そのお陰でこうしていられる」 昼間の意趣返しに、手錠を上げて鎖の音を鳴らして見せる。 これがある限り僕はおまえから逃げられないが、おまえだって 僕から逃げられないんだ。 「いずれにせよ、あなたをキラだと思っている私を口説こうなんて 頭がどうかしたとしか思えません」 「そうだね。でも恋は盲目って言うし。君の方が多分年上なんだから、 哀れな男に、少し情けを掛けてくれても良いんじゃ無いか?」 「良くありません」 一人掛けのソファにしゃがみ込み。 抱えた膝の上からじっと僕を睨む目だけを見せる竜崎に…… 何故か、昨日の息苦しさから解放されていた。 口から出任せを言っているつもりだったが、僕は、本当に彼女の事が 好きになって来たのかも知れない。 甘酸っぱい感情に満たされ、久しぶりに熟睡した。
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