ラプラスの悪魔 10
ラプラスの悪魔 10








Lは小さく息を吐いて、黙り込んだ。


「どうした?僕の前では本心で話すんだろ?」

「ああ、すみません。
 あなたがキラだという前提での話を許してくれるようになるまで
 随分長かったので」

「おまえはずっとそうして来たじゃないか」

「でもあなたは聞いてくれなかった」


それは、そうだ……。
自分がキラだという前提で話す事はおろか、考えるだけで
負けだと思っていたから。
だが、今となっては、どちらにせよはっきりと決着を付けたい気持ちの方が強い。


「まず、私は今のあなたを司法の手に引き渡すつもりはありません」

「そうなんだ?」

「あなたにキラの記憶がない事は分かっていますから、
 死刑にしても後味が悪いだけです」


意外だった。
自分がキラだと認めた時点で、大量殺人犯として処刑されると思っていたから。


「……じゃあ、どうするんだ」

「以前言ったように、私には手下として泳がせている犯罪者が沢山居ます」

「まさか」

「はい。あなたも同じように働いて貰うのが一番かと思います。
 あなたの頭脳は、灰にしてしまうには惜しい」

「へえ……それは、『キラ』に対して、随分温いな?」

「再犯の可能性を完全に断つ事さえ出来れば、
 使える犯罪者は使うに越した事がないんですよ」

「断てるのか?僕がミサに会って記憶や殺人手段を取り戻さないとも
 言い切れないだろ?」


自分で言いながらひやりとしたが、Lは当然考えていたのだろう、
驚いた様子もなく、紅茶をサーブした。


「私、火口を逮捕した時、殺人ノートを燃やしましたね?」

「ああ。あれは判断ミスだったと、僕は今でも思っている」

「あの時私は毒だの呪いだの言っていましたが、本当は
 あなたがキラに戻るキーが隠されていると考えたからです」

「……」


それが本当だとしたらLは。
どんな気持ちで、自分の推理が無に帰するかも知れない、
僕がキラだと証明する事が出来なくなるかも知れない処置をしたのだろう。


「あなたがあのノートに触れるか、中身を見るかしたら、
 きっとあなたはキラに戻っていたと思います」

「そんな事」

「ないと言い切れますか?
 あなたがキラに戻る事を諦めるなんて、絶対にありません。
 監禁された状況から確実にキラに戻れるまで、レールが敷いてあった筈」

「それが、火口を操って新たなキラを作り出し、僕の疑いを解く、という事か?」

「それだけではありません。
 私と一緒に捜査する事、あなたと私なら火口にたどり着く事まで予測した」

「……」

「キーが、火口と対面する事なのか殺人ノートに触れる事なのか分かりませんが
 遅かれ早かれ殺人ノートを入手出来るようにしていたのでしょう」


『yesを続けていたら本当に従ってしまうなんて、催眠商法みたいな事には
 私は絶対に引っかからないと思っていたんですが』

不味い。僕も、僕がキラだという前提の話に付き合っていたら、
本当に従ってしまいそうだ。
分かっているが。
いるのに。


「そこまで思っていたのなら、余計にノートを燃やすべきじゃなかった。
 何故、ノートを燃やした?」

「あなたが殺人手段を取り戻したら、あなたを処刑せざる得なくなるからです」

「……」

「あるいは、私が殺されるか。二択ですね」


お茶を飲むより簡単に、僕の死を、自分の死を語る。
だがその目だけは、言葉を弄んでいるとは思えない真剣な光を帯びていた。


「どちらも私の望む結果ではありません。
 私には、あの場ではノートを燃やす以外、道がありませんでした」


どちらも、僕がキラだという前提条件があってこそだ。
ノートを調べて、真のキラを探すという選択肢はなかったのか。

……と、言える空気でない事に、軽く気持ちが沈む。


「なら、ノートはもうないから、僕はキラに戻らない、と?」

「いいえ。キラに戻りかねない、という部分を、あなたの抑止力に
 出来るのではないかと」

「もうちょっと説明してくれないか」


Lは椅子の座面にいつもの通りしゃがむと、片手で膝を抱えて
黙ったまま紅茶を無意味にスプーンでかき混ぜ続けた。
やがて。


「私が犯罪者を上手く使えているのは、彼らに犯罪者の自覚があるからです。
 いざとなったらいつでも司法の手に引き渡す事が出来る、
 それは大きな抑止力です」

「それは、そうだろうね」

「ですからあなたも、自分で自分がキラだと認めてくれないと、使えないんです」

「いつ裏切るか分からない?」

「はい。普通の会社でしたら社員が横領しようがインサイダー取引をしようが
 馘首すればいいんでしょうが、私の場合は命と世界が掛かっていますから。
 そんな事は、絶対にあってはならない」


スプーンで冷め切った紅茶を一口掬い、舌に乗せて顔を顰めた。
角砂糖を、気持ち悪い程いくつもいくつも放り込む。


「あなたが、口でキラだと認めようが認めまいが、そんな事はどうでも良い。
 要は、私はいつでもあなたを、弥や火口に会わせ、弥が持っている殺人ノートに
 触らせる事が出来る、という事です」

「……どれかは、当たるという事か」

「はい。私はあなたにキラの記憶を取り戻させ、処刑する事が出来る、
 その事をあなたに認識して貰いたいんです」


それは、今までのLの言動と矛盾する。
そんな事をして、本当に僕がキラだったら、Lを殺すんじゃないか?


「私の監視下で記憶を取り戻したら、そんな事は絶対にさせません。
 私には、あなたが記憶を取り戻した瞬間分かる自信があります」

「分からないじゃないか!」

「分かります。あなたが記憶を失った瞬間も分かりましたし、
 ポリグラフに掛けながら作業を進めます」

「……」

「いつ記憶が戻るのか分からないのが怖いのであって、
 それさえ分かれば、次は絶対に逃がしません」

「……」


僕はキラではないが……万が一、もし、キラだったとしたら。
犯罪の記憶が蘇った時、微塵も動揺せずにいられるだろうか?
いや、絶対に、無理だ。
その方法なら確かに、僕がキラかどうか、はっきりとするだろう。


「……ただ」


Lは、カップの底から、どろりとした砂糖を掬う。
ぼとり、と粘度を持った塊が紅茶の中に落ち、小さな滴が四方に飛び散った。


「それをすれば、もう引き返せません。
 あなたを処刑から守る術はありません」

「……」

「あなたと私、両方の命を守るには、あなたが自分がキラである可能性を認め、
 私を恐れてくれるしかないんです」


随分勝手な言い分だが。
これがLの言っていた、プランか……。
これなら、決着がつき、この状態を打開できるのは間違いないが。


「僕がもし、断ったら?」

「分かるでしょう?」

「今すぐポリグラフに掛けながらミサと火口と対面させ、
 ミサのノートに触らせるんだな?」

「はい」

「それで、僕の記憶が戻らなかったら、僕はキラじゃない、という事になるな?」

「そちらに賭けるのも、一つです。が、」

「もし僕が記憶を取り戻したら、処刑せざるを得ない、と」

「はい」


僕はキラじゃ、ない。
命を賭けて、それを証明するべき時なのかも知れない。
だが。


「少し、考えさせてくれ……」

「はい。今まで待ったんです。ゆっくりと決断して下さい」


竜崎がかき混ぜるカップの中で、砂糖が微かにじゃりじゃりと音を立てた。
甘すぎる毒は、まるで竜崎の情けのように醜怪で。
味を想像するだけで吐き気がしそうになった。






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