記憶鮮明 1
記憶鮮明 1








「う ぐあぁあぁあああ!!!」




その瞬間。


全ての、記憶が流れ込んできた。


いや、湧き上がってきた。


僕は……




僕の心の、澄んだ水の底と見えていた部分は、本当は泥だった。
かき混ぜれば、全てが舞い上がり。


『直訳で死のノート……くだらない』

『いや、待ってたよリューク……』

『新世界の神となる』

『間抜けすぎるぜL……もう少し賢こければ面白くなったかも知れないのに』

『センター試験前期日程、完全に一人で浮いていたやつだ』

『まさか……何を言ってるんだこいつ!LがLだと言うはずがない』

『いずれ殺す子だ……情が移るような事があってはならない』

『さよならだ、リューク』




……思い出した。

デスノート。

によって、僕は法で裁けないたくさんの罪人を裁いた。
その事を。

そして何より。


……圧倒的な……、全能感。


僕の指先一つで、地球の裏側にいる悪人に正義の鉄槌が下せる。
首相が、大統領が、僕の前にひれ伏す。
僕が、世界の行方を決める。


その手段が今、この手の内に。


この感覚だけは、さすがの僕でも……記憶を失った夜神月には、想像出来なかった。
だから安易に、自分がキラなら甘んじて刑罰を受けたいだなんて考えていたけれど。

セックスなんて目じゃない。
一時の射精となんて比ぶべくもない、
全世界を救済できる恍惚が、快感が、一生続くんだ。

人類史上、誰も到達した事のない、


神の、至福だ。




「だ……大丈夫ですか?誰だってあんな化け物には驚く、」


……竜崎。


「……すまない」

「えっ?」

「こんな物に名前を書けば死ぬなんて、そんなの信じられるか?」

「し、信じがたいですし……」


そうさ。信じられないだろうな。
それが僕の強みでもあった。
不可思議な現象、犯罪者の死が続いても、常人はそれが
人の手で為されたものとは絶対に考えない。

だがお前は、すぐに超常的な殺人手段に拠るものだと証明した。

お前を生かしておいたら、絶対に僕は追い詰められる。
それはこの世界を見捨てる事に等しい。
だからお前を殺すしかないんだ。


全ては、計画通り。






……以前捜査本部で竜崎の隣で捜査していた時の事。
右手で資料を取ろうとした瞬間、カチッと腕時計がPCにぶつかった。


『夜神くんは右利きなんですから、左手に時計をしておいたらどうですか?』

『それは普段ならそうするけど。
 今は左にしたら手錠と当たって傷がつきそうじゃないか』

『ついたら弁償しますよ』

『これは父から入学祝に買ってもらった物なんだ。お金に換算出来ないよ』

『そんなものでしょうか』


竜崎は、大切な人や二度とない記念日に貰った物、
そんな、金額とは関係のない価値のある物を持っていないのだろうか。

……いや、元々荷物は少なそうだしな。
何でも全て自分で手に入れてきたのかも知れない。
失っても、自力でまた取り返せば良い、と思える物しか持っていないのかも知れない。


『では外して大事にしまっておいては?』

『それこそ使わないと意味がないよ。
 僕がこれを外すのは、風呂に入る時と死んだ時だけだ』

『へぇ……』

『……おい。いくらお前でも、これには触るなよ?さすがに怒るぞ』

『分かりました。残念ですが、この状態であなたに怒られると困りますし』


……


あまりにも何気ない雑談。日常の遣り取り。
後で思えば、あの時が一番ピンチだったな……。

竜崎に、この時計を調べられて、この小さな紙片が見つかったら。
触れられたら。取り上げられたら。
そして、僕よりも先に死神を目にされたら。

全てが終わっていた。

僕の人生だけじゃない。
世界が、強い犯罪抑止機能を失った全世界が、暗闇に包まれていただろう……。


ヘリの中でそんな事を考えながら、モバイルPCの画面を見つめる振りをする。
デスノートに書かれた人名と死んだ犯罪者を照会しているポーズを取りながら、
必死で左手に神経を集中していた。

掴みどころもない、細くて小さな針。
落としたらお終いだ。
拾うわけには行かない、というのと、万が一竜崎が見つけたら、
きっと何か意味のある落し物だと気づくに違いないからだ。

慎重に、指の腹に刺して血を出すためにぎゅっと押す。
緊張で血の気が引いているのか、なかなか血が滲まない。
もう一度思い切って指すと、今度はぷくりと血の玉が出来ただけではなく
流れ出した。

火……口……

デスノートの細かいルールは知らないが、血が垂れてこの小さな紙が
濡れて書けなくなったら万事休すだろう。
血のしずくが落ちないように留意しながら、字が途切れないように、

卿……なんでこんなに画数が多いんだ……
よし、あとは「介」だけだ……


「……」


さすがに、一瞬手が止まった。

竜崎の「取引」はもう白紙に戻っている筈だが。

それでも、火口を殺した瞬間、それは完全に可能性を失う。
竜崎に、キラじゃないと、おまえに好意を持っていると、誓った後で
人を殺した僕をコイツは許しはしないだろう。

それともこのまま、デスノートを手放して、記憶を失ってしまえれば。
火口がキラという事で、事件は解決しないだろうか?


このまま、清廉潔白な夜神月、でいられないだろうか。


……いや、だめだ。
火口の証言によってミサが第二のキラだということがバレ、
必然的に僕もキラという事になる。

それに、竜崎の「取引」だって、最初から怪しいもんだ。
いや、嘘に違いない。

記憶を失った僕がどんなに誠意を見せても、絶対に信じなかった男だ。
寝室だけは撮らないと言いながら、自分の性生活まで含めて
こっそり録画しているような奴だ。

未練なんか、ない。


……介


やった!


これであと四十秒持ち続ければ。
火口が死んで、このノートの所有者は僕になる……。






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