King and Queen 2 それから真下の701に行って着替えなどの荷物を取り、 ロジャーに連絡してどこでも良いのでキャンセル空きがでた航空チケットを 二枚確保して貰った。 貧乏ビジネスマンらしくシャトルバスでヒースロー空港に向かい、 念のために搭乗ゲート付近のコーヒーショップで夕食代わりのサンドイッチと パンケーキを食べて時間を潰す。 真夜中近くになってやっと滞在先にチェックインした所だ。 さすがに今から別のホテルに移動したくはないだろう。 「あとは彼らが701に潜入して念入りに家捜ししなければ大丈夫です。 恐らくそんな時間はないでしょう」 701には無線の画像受信機を設置してある。 カメラの小ささを優先したので、せいぜい数メートルしか電波を飛ばせないのだ。 「いつもこんな危ない橋を渡っているのか?」 シャワーを浴びて髪を拭きながら出てきた夜神は、 ジーンズだけ穿いていた。 パジャマは買ったが、それを着て寝られるような安穏な生活は まだしばらくは与えてやれないだろう。 「まさか。今回はどうしても人の手配が間に合わなかったんです。 偶然本人の顔を拝めたのは僥倖でした」 「ああ、『私の顔を知らない』と言ってた奴か。有名人なの?」 「ある意味、それはもう顔の売れた人です。月くん」 「何?」 「筋肉、つきましたね」 「まだまだ薄いよ。トレーニングしなくちゃ」 「そうですね。でもマッチョになりすぎないようにして下さい。 私と同程度でお願いします」 「何故?」 「いざという時の影武者用に」 「おまえも早く入れ」 今日はシャワーもパスしたい気分だったが、促されて 仕方なく浴びた。 寝室に戻ると、寝るなと言っていた夜神の方が ベッドに横になって目を瞑っていた。 「月くん」 「……」 「寝てるんですか?」 「……」 「襲いますよ?」 夜神は薄く目を開けて、眉をしかめた。 「おまえにそう言われると、洒落にならなくて怖いな」 「そうですか?」 「僕が『うん』と言ったら普通に襲ってきそうだ」 「そうですね。今の体力が落ちたあなたなら、力尽くでも何とでも出来ます」 「……」 「逃げた方がいいんじゃないですか?」 夜神は片肘を突いて半身を起こすと、物憂げに髪を掻き上げた。 「いや。覚悟はしてる。おまえにどうにかされても、 たとえ弄り殺しにされても、今の僕には文句も言えない」 「月くん。私とセックスしたいんですか?」 「はあ?」 「私はそういう方面に疎いですが、そうとしか思えない言動が多いです」 夜神の肩を押さえて股に馬乗りになると、腰に巻いていたバスタオルが はだけそうになって、慌てて押さえる。 「何でそうなるんだよ」 「一つ一つ言いましょうか?足が弱っていたとは言え躊躇いなく私に縋り、 私の前で涙を流し、キスを拒まず、私に抱きつきましたよね? それに、」 「……やめろ」 「認めますか?」 夜神は、閉じた唇の向こうで歯を食いしばっていたが やがて大きく息を吐いた。 「そうだな……みっともない事だが、僕は確かにおまえに 縋っていたかも知れない。」 「そうしなければ、私があなたを見捨てると思いましたか?」 「一度取られた命だ。何としても失いたくなかったんだ」 「墜ちましたね。月くん」 その言葉を、跳ね返すように私に向けた強い視線は 昔と何も変わらなかった。 やはり一筋縄では行かない。 まだ、飼い犬になってはいない。 「それを言うなら、おまえもだろ?」 「どういう意味ですか?」 「負け知らずの人生も、一度敗北の味を知ってしまったら 元には戻れない。そうだろ?」 「……」 確かに。 私は、勝ち続けていた。 勝ち続けていなければならなかった。 だからあの一度の敗北は、私がそれまで積み上げた全ての経歴を無に帰した。 だがそれ以上に、私の精神に与えた影響は計り知れない。 ワイミーを失った事も相まって、モロッコで呆けていた数ヶ月間 私の心は生死の境を彷徨っていた。 しかし私よりもっと多くの物を、極端に言えば命以外全てを失った夜神も、 私以上に深くて大きな喪失感を抱えている筈だ。 「そうですね。私も『無敗の探偵』の座からは落ちましたが、 あなたよりは上の位置にいますよ」 「そう。だから」 だが夜神は、怒りも見せず意味ありげに上唇をゆっくりと舐めた。 「おまえが、僕とセックスしたいというならする。 おまえには僕を屠る権利がある」 「月くん。柄でもない事をしないで下さい。震えてますよ?」 「震えてない。が、おまえがしたくないと言うなら、何よりだ」 「どっちなんですか」 夜神が、自分の矛盾を認めたのを見るのは初めてだ。 さすがに震えているというのは大げさだが、誘惑の仕草と 全身で私を拒絶するオーラが同居しているのは奇妙な光景だった。 「というか、どうして私があなたとしたがっているという話になるんですか」 「おまえが唯一不自由してそうな事だから」 「性処理ですか?」 「そう。おまえはその気になれば何でも手に入るだろうけど 女性だけは気軽に買う訳には行かないだろ?特定の人もいなさそうだし」 「まあ、そうですが。あなたが関知すべき事ではありません。 いざとなれば私にも手はありますのでお気遣いなく」 片手を上げて指をひらひらと動かして見せると、夜神は漸く 肩の力を抜いた。 ダブルベッドのせいで、本当にあらぬ疑いを掛けられていたらしい。 まさか、連日ニアの部屋で寝ていたのも私に夜這いを掛けられるのを恐れて?
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