乾坤一擲 2 「あなたを拘束します。抵抗したら手錠を掛けます。悪しからず」 ……今? 捜査本部にも戻らず? それはあまりにも意表をついたスピードだった。 今から拘束するって、手錠なんか掛けられたらもうレムと話す機会がなくなる。 いや、何かの冗談か? 「……何の容疑で」 「勿論キラ容疑です」 「せっかく手錠を外して貰ったのに、もう一度すると?」 「そうしたくないので大人しく従って下さい」 「証拠もないのに」 「本当にそう思いますか?」 じっと見つめられて、これがハッタリでない可能性を探る。 二、三秒経って、血の気が引いた。 一つ、思い当たる事がある。 まさか。 そうっと、バレバレだろうが一応さりげなく、パンツの尻ポケットを触る。 それから反対側、前のポケットと触れてみたが、財布とハンカチ以外 何も入っている感触がなかった。 「おまえ……」 「その顔で確認できました。中身を見る時間はなかったのですが、 やはりあれは、決定的な証拠だったのですね?」 「どこだ?」 「さあ?」 ……埋めてあったデスノートに挟んであった、ミサに宛てた手紙。 『君がこの手紙を読む時には全てを思い出しているはずだ』 『流河旱樹と名乗ったが君に見えた名前は違った 僕の友人を覚えているか?』 『彼の本名をこのノートに書き、葬って欲しい』 『ノートもいつでも処分できるだけの数ページだけを隠し持ち』 『僕に会った時、ノートの切れ端を触れさせてくれ』 『これに従ってくれたら僕は弥海沙を 一生愛す』 『夜神月』 ご丁寧に、封筒にも便箋にも署名入りの間抜けな証拠だ。 昨日取り出して、その場で捨てては誰に拾われるか分からないと、 ポケットに入れたままにしてあったのが、徒になった。 いや、あの場で捨てても竜崎の手の者に捜索されたか。 あの時、デスノートと一緒に燃やす以外助かる道はなかった。 いやせめて、手錠がなければ細かく千切ってトイレに流すなり出来たものを……! いくら死を覚悟したとは言え、昨夜の自分の愚かさに自らの頭を殴りたくなる。 「……でも、まだこの部屋からは出てないよな?」 「……」 こうなっては、竜崎をこの場で殺して……事故死と見せかけられるような あるいは正当防衛が主張出来るような方法で殺して、 そうだ、僕は一昨日の晩も昨夜も殆ど強姦同然にヤられた、と言っても おかしくない痕がある。 プライドの高い僕がそれに耐えられなくなって、 前科はつくが最悪情状酌量で……、 …… ……いずれにせよ、無様だ。 と思った。 竜崎が、邪魔だった。 絶対に始末しなければならないと最初から思っていたが、 自分の手を汚す方法は、目の取引を含めて論外だった。 それなのに今僕は、素手で竜崎を殺そうと言うのか。 「夜神くん。私を殺しても無駄です。殺されませんが」 竜崎が、そんな僕の思考を読んだかのようなタイミングで言う。 「……」 「あの手紙は、既にこの部屋にありません」 「……いつの間に」 「バスルームに入る前に既に掏っていました。 ウエディに重要な仕事と言ったのは、手錠を外すことではなく」 「手紙を持ち出す事、か」 「はい」 手錠を外すためだけに、わざわざ呼んだ訳ではない、か。 考えてみれば当たり前だ。 まんまと竜崎の策略に掛かってホテルにまで着いて来た自分が情けない。 しかし、という事はあの手紙は今頃、父や他の捜査員の元に……。 僕の筆跡だと言うのは調べるまでもなく父が判断するだろう。 いや、あくまでも知らないととぼけ続ければ? 筆跡鑑定というのは現在どの程度の証拠能力が……。 ……だめだ。 完全に黒だと証明されなくても、ほぼ黒だと他の捜査員に思われただけでお終いだ。 今後どう動こうとマークされて、結局キラとして活動する事が出来なくなる。 勿論、「L」を乗っ取る事なんてとても……。 膝が、笑うという慣用句を知った時、その意味が本当に分からなかったが 今初めてこの膝や腿に力が入らない様子はそんな感じだと思った。 上手い事を言うものだな……。 じゃなくて。 現実を認識しろ。 しっかりしろ、夜神月。 キラを継続する事は、取り敢えず今は据え置きだ。 一番ダメージを少なく、容疑から逃れる方法……。 また記憶を捨てるか? いや、前回はほぼ竜崎の勘だけだったし、記憶が戻る当てがあった。 今回は物的証拠がある。 下手をしたら、自分でも訳の分からない間に成すすべもなく死刑だ。 それに今回は、僕が記憶を失うと共に間違いなくキラの裁きは途絶え 再開することはない。 こうなったら、みっともないが、竜崎の前でレムに頼んで殺して貰うしか……。 いや、待て。 証拠は既に捜査本部に渡っているんだ。 その状況で僕と二人の時にLが死んだら、心臓麻痺であろうが、 事故であろうが正当防衛を主張しようが、キラの容疑を固めるだけ……。 「良いですよ。携帯を探しに行くなら行きましょう。 私も一緒に探します」 竜崎の声がやけに遠く聞こえる。 数学の問題を考える時、時間が掛かる事もあるが、どんな場合にも必ず 正答に辿り着ける気配というものがある。 だが今、その気配がない。 僕が助かる一筋の道、絶対にある、と信じたいが その方向が全く見えないのだ。 ……道は。 今レムに竜崎を殺させて、後は一人で捜査員達を言いくるめるしかない。 それしかない。 そんな事出来るか? 松田や最近戻ってきた相沢ならまだしも、父まで? いや、出来るか出来ないかではない、やるしかないんだ。 それ以外に僕が生き残れる道はないのだから。 「夜神くん?」 「……竜崎」 「なんでしょう」 「何で僕は、もっと早くおまえを殺さなかったんだろうな?」 しかし、賭けるしかない。 物的証拠、竜崎の死、それすらひっくり返して、僕の無罪を信じさせられる 論理がどこかに存在する事に。 「それはあなたの良心」 「……」 「地獄に垂れてきた、一本の蜘蛛の糸です」 「僕には、堤を決壊させる蟻の一穴に思えるけれど」 「そんな事はありません。私を殺せば、あなたに救いはありませんでした」 ははっ。 本当は今からでもお前を殺せるし、殺すんだけどね。
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