キッシング・グラミー 1
キッシング・グラミー 1








「……だから!僕はキラじゃないと何度言ったら、」

「何度言われても、あなたの口からでは意味がありません」

「……っ!」


思わず拳を振り上げる。
そう言えば竜崎は、僕が殴りかかった時に避けたり防御した事がない。
あれだけの格闘センスがあれば、容易い事だろうに。

などと考えながら拳を竜崎の顔にめり込ませるべく上腕に力を入れると
後ろから肘を掴まれた。


「……模木、さん」

「月くん。ちょっと気になる統計が出たので見て欲しいんだけど」


憮然としているようにも、飄々としているようにも見える表情で言われて
思わず士気が下がる。

竜崎も少し力を抜いたように見えた。
どうやら、体よく喧嘩を止められたらしい。


「……巧いなぁ、模木さん!」


松田さんの能天気な高い声が響く。
思わず竜崎と二人で見てしまうと、まるで睨まれでもしたかのように
口を押さえて相沢さんの後ろに隠れた。


「……まあ、竜崎も月も。そんなにしょっちゅう喧嘩をされては
 捜査本部としての示しもつかないんだ。
 ここは子どもの遊び場でもない、クラブ活動でもない、職場だ」


父が、静かに言う。
怒っている訳ではなさそうだが、その内容はそれなりに辛辣だった。


「そうですよ、月くん」

「おまえが言うな竜崎!」

「先に手を出すのは、今まで100%あなたです」

「っ誰が!僕を怒らせてるんだ!」


思わずもう一度拳を握り締めたが、勿論殴りはしない。
今まで殴りたいほど、僕を怒らせた人間はいなかった……と思う。
周囲にいたのは、礼節をわきまえた人間か、相手にする価値のない人間だけ。

僕が認める知能を持ち、かつ通常の「大人として」の振る舞いが出来ない相手は
竜崎が初めてだった。

しかもコイツは……抵抗できないのを良い事に、僕の尻を、僕の尻に……。

それで余計に苛立ってしまうのかも知れないが、それは皆に言えない。
だが、それがなくても明らかに許容しがたい言動が増えてきていた。


「まあ、竜崎ももう少し、和というものを考えて喋ってくれないかね」

「日本独特の言葉ですね。私日本人じゃないのでよく分かりません」

「どこの国でも、チームとしての団結は必要だろう。
 家族であったとしても、思ったことを全部言って良いというものじゃない」


父さん……全然家族じゃないんだけど。
引き合いに出すのもおかしいんだけど。


「そうなんですか」

「おまえ!親しき仲にも礼儀ありだぞ!」

「家族でも言ったら終わることってあるよ!」


空とぼける竜崎に、松田さんや相沢さんが激しくツッコミを入れた。


「夫婦喧嘩なんて犬も食わないと言われている内が華だ」

「え、相沢さんまた何かあったんすか?」

「月くんと私は夫婦じゃありません」


ああもう。
面倒くさいことになった。
このまま雑談モードになってぐずぐずと休憩に入るのは嫌なので
父に話を纏めて貰う事にする。


「そう言えば父さんと母さんが喧嘩をしているのを見た事がないな」

「そうなんですか?」

「局長凄いです!」

「いやいや……」


父さん……照れてないで話を切り上げて仕事モードにしてくれよ。


「夫婦喧嘩をしないコツはなんですか?」

「……」


だが相沢さんに切羽詰った顔で聞かれて、父は少し考え、
慎重に口を開いた。


「……まあ私達も、若い頃はそれなりに習慣や意見が食い違って
 お互いに苛々した事もあるさ」

「でもそれを乗り越えたんですよね」

「要は、決定的な事を言ってしまう前に、というか雰囲気が険悪になる前に
 二人とも頭を冷やすことだ」

「へえ、どうやってですか?」

「声が大きくなってきたな、このまま行くと言い争いになるな、と
 先に気づいた方がある言葉を言う」

「ど、どんな言葉ですか?!」


相沢さん……前のめりだ。
そんなに深刻なのか?


「それは……」

「もったいぶらないで教えて下さいよ!」

「……『嶋倉千代子』」

「……は?」

「え?」


し、嶋倉千代子?
何故?演歌の大御所の名が?


「そ、それは……何故ですか?」

「ほら。お前達も今一瞬、思考が停止しただろう?」

「はぁ……」

「どんな争いであれ、その内容と絶対に関係のない言葉で、
 そして思い浮かべると何となく和んでしまう、そんな言葉なら
 何でも良いんだが、それがうちの場合は『嶋倉千代子』だった」

「はぁ……」


……この年にして自分の父母の秘密を知ってしまった……。
でもそう言えば、昔よく母が「人生いろいろ」を歌っていたのは
もしかしたら父との喧嘩を回避出来た、そんな時だったのかも知れない。


「でもそれ、意外と良いかも知れませんね。
 竜崎と月くんも、これはまずいと思った時は、『嶋倉千代子』でどう?」

「……だから僕たちは夫婦じゃありません」


馬鹿馬鹿しい……それで回避出来る喧嘩なら、元々些細な
それこそ犬も食わない類の争いなのだろう。


「というかそれ誰ですか?」


竜崎がない眉を顰めた。
ああそうか……流石の竜崎でも、嶋倉千代子は知らないか。
逆に知ってたら日本通すぎて怖いな。

僕が、説明する気はない、という意味を込めて肩を竦めると
竜崎にしては珍しく、雑談を転がした。


「でも、ヨーロッパでも、似たような事を聞いた事がありますよ。
 夫婦喧嘩の回避の仕方」

「へえ。誰の名前?って言っても僕たちは知らないか」

「言葉ではなく。議論が感情論になりかけているな、と気づいたほうが
 頭を冷やすという事です」

「どうやって?」

「キスをするんです」


金髪の男女が言い争いをしている場面で、不意に脈絡もなく男が女に
キスをする、そんな映画か何かの一場面を、確かに見たことがある気がする。

だがその事に対しては、それがどうした、という感想しか湧かず、


「……ああ。なるほど。さすが欧米って感じだね」


適当に答えてまた肩を竦めると、タイミングよく父が咳払いをして、
漸くそれぞれが持ち場に戻った。






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