花鳥涙月 1
花鳥涙月 1








「綺麗ですね」


竜崎が広い出窓に乗ってしゃがみ込むので、
手錠に引かれた僕も仕方なく反対側に腰掛ける。

目の前には、東京の夜景が広がっていた。
勿論いつもの事だが、こうして改めて見るのは初めてかも知れない。


「そうだね。前に聞いたことがあるけれど、東京23区の」

「違いますよ」


竜崎は明らかに不興げに口を尖らせた。


「月、ですよ」

「つき?」

「月が綺麗ですね、と言ったんです」

「ああ、」


確かに、夜景の遙か上空には完璧な円を描く天体が掛かっていた。

夜景のトータルからすると悲しい程に光量は少ないが、
単体で見ると圧倒的な存在感を放っている。

竜崎に、月を愛でる風流があったとは。

意外な気もするけれど、もし謎解き以外に趣味があるとするなら
ボードゲームか天体観測あたりという気もする。




竜崎は、毎晩僕を抱くようになった。

可笑しいというか悲しいというか、最初は優しいキスから始まるのに
行為が進むと必ず手荒になるので、僕を完全にキラ扱いしていると知れる。

その事が、不快だったが少し嬉しくもあった。
僕に、執着してくれているようで。

そして。
あくまでも竜崎によれば、だが、僕は勘も覚えも良いらしい。


「私と同じくらいには」


そう言われても、前回酷く責められた部分に舌が近づけば
どうしても反応してしまうし、慣れれば力の抜き方も入れ方も
上手くなるだろう普通。


「ああ……おまえもレッスンを受けたんだったね」


竜崎が以前受けた手ほどきを、今度は僕が受けていると思うと……
もっと言えば、過去に竜崎を抱いた男がいると思うと、複雑な気分になる。



……なんだか、ふわふわとして現実ではないようだ。
自分が男と肉体関係を持っているなんて、今も信じられない。

肉欲に溺れた事だって、初めてだ。

こんな、地に足がついていないような感覚も。
こんなに誰かに負けたくないと、思ったのも。


退屈だった日常、誰にも理解されず、常に六割の力しか出さすに生きてきた。
不幸せでは全くなかったけれど、特に幸福でもなかった。

そんな僕が、竜崎に出会ってから毎日わくわくしている。

目が離せない。
モノクロームの世界に、極彩色の鳥でも現れたように。


体が軽い。

視界もクリアだ。


竜崎という、異国から飛んできた鳥が、
僕を日常という、灰色の粘膜に覆われた現実から引っ張り上げて
真っ青な空を飛び回らせてくれているようだった。

今まで想像もつかなかった景色。

それを見られただけで、僕は。




「夜神くん?」

「……死んでもいい」

「は?」

「何でもない」

「月が綺麗だと、死んでもいいだなんて思うんですか?
 意外とロマンティストというか破滅的というか」

「何でもないって言っただろ」

「夜神くん」


……少しはオロオロするかと思ったが、竜崎は相変わらず
落ち着き払った声を出した。

いや、いつもより少し低く、遅いか……冷静さを保とうと努力しているのか。


「その、私は、泣いている少年に、どう対処していいのか」


そう。
自分でも驚いたが、頬を塩水が伝っていた。

何年ぶりだろう。

自分の内面を走査してみても、感情が高ぶっているとは思えない。
涙が出るほど悲しいことや嬉しいことがあった訳でもない。
自分でも不思議なのに、竜崎はさぞや困惑しているだろうな、と思うと
少しいい気味だと思った。


「正直……、今すぐPCで検索したいくらいですが、
 それをしていいシチュエーションでない事くらいは分かります」

「いいよ。別に。気にしなくて」

「そうですか?では失礼します」


僕の涙を気にしなくて良いと言ったつもりだが、
竜崎は出窓から降りてベッドサイドのモバイルPCを開いた。

なんだかもう……人慣れしていないにも程があって、
笑えてしまう。

苦笑をかみ殺していると、物凄い早さで動いていた竜崎の指が
タッチパネルの上で止まった。


「どうした?泣いてる男の子をどうしたらいいのか出てきた?」

「いえ……それは、子育て支援のサイトしか……」


大きく目を開いて画面を見ていた竜崎が、不意にぐるんと振り向いた。


「その……すみません」

「?」

「私は、本当に、今晩の月が綺麗だと……」

「……」


顔がカッと熱くなる。
小さく舌打ちしてしまう。

僕だって勿論、うっかり口にしてからすぐに連想した。
だが竜崎が知っているとは思わなかったし、知らないで良いと思ったから言わなかったのに、
まさか目の前で検索するとは。
インターネットを、情報社会全てを恨みたくなる。


苛立っているのに何故かまた、涙が流れた。
誤解だ違うんだと、言う機会さえ失われていく。

本意ではないので急いで拭いたいのは山々だが、
その仕草はきっと年端もゆかない子どものように見えるだろうから
そのままにしておくしかない。


熱い頬を涙で濡らしながら窓の外に目を向ける僕を、
竜崎はただ黙って見ていた。


それで正解だよ。






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